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第9話 それは落ちるものである
オオカミのビーストを撃退した次の日、空護はあの大けががなかったようにいつも通りホークギャザードに出勤した。
「大神君、ケガは大丈夫なのかい?」
しれっと事務室に入ってきた空護に、一番先に声をかけたのは昌義だ。彼の目には息子を心配するような色が滲んでいる。
「問題ありません」
空護はすっと体を昌義の方へ向けると、機械的に返事を返す。
「それはよかった」
昌義は空護の返事を聞き、ほっとした表情を浮かべる。
「でも、無理しちゃだめだよ」
「はい」
昌義は茶目っ気たっぷりにウインクを決めるが、空護はさらりと流した。
清美はそんなやり取りを、気に食わなそうに睨んでいる。
しかし、空護はそんな清美を気に掛けることなく、勇也に話しかけた。
「清水、トレーニングルーム行くぞ」
「はい、わかりました」
空護の呼びかけに勇也は素早く反応し、立ち上がった。空護は先に行くと言わんばかりに先行し、勇也は当然のように着いていく。
昌義達にとっては一見普通の光景、しかし今までと違い、なんとなく気安いような、柔らかな雰囲気が混ざっている。
清美は首をかしげるのみだったが、昌義は満足げに微笑んでいる。
「なあににやにやしてるんですか」
「大神君が、心を開けるようになったんだと思ってね」
今まではただ高圧的だった空護の声から、力が抜けていた。口調こそ悪いが、まるで友達に話しかけるような、慣れた様子だった。
相変わらずふわふわと微笑む昌義に、清美は口をとがらせる。
「潟上さんって、大神びいきですよね」
あんな愛想の欠片もない空護を清美は嫌っていたし、そんな空護を昌義が気にかけることも、清美にとっては不愉快でしかない。
「まあ、大神君は見てて心配になるよ。…もしかして、嫉妬?」
ふふっと笑いながら昌義は清美をからかう。清美は子供のように頬を膨らませた。
「もう、からかわないでくださいよ!」
「あはは、ごめんね。…中田は、見てて安心なんだよ。嬉しいことも悲しいことも、ちゃんと言ってくれるでしょ。見てれば分かるから、仮に中田に何かあっても助けやすい。中田の長所とも言える。でも大神君は全然そういうこと言ってくれないし、ある程度なら自分で解決できる実力あるからね、つい心配しちゃうんだ」
昌義は手をぽんと清美の頭の上にのせる。
「でも僕らはさ、君たち3人の成長を楽しみにしてるから、許してよ。ですよね、班長」
敏久は、昌義に急に話を振られピクリと肩を震わせる。敏久は、昨日の件で空護と勇也がどうなるのかひやひやしていた。しかし、いい方向に向かっていることが分かり、胸をなでおろし、気を抜いていた。
「おう。うちの若いのは粒ぞろいだと思うぜ」
動揺したのをごまかすように、敏久はいつもより声を張り、にっと口角を上げる。
うんうんとうなずく昌義と、目をぱあっと輝かせる清美を見て、敏久はほっと息をついた。
「ちなみに、今日お前ら護衛任務な。それと、潟上。研究所に頼んどいたやつ、車庫にあるからな」
「分かりました」
敏久は依頼内容が書かれた書類を昌義に渡す。昌義が書類を読んでいると、清美も覗き込んだ。
「角城!今回は長距離ですね!」
「ああ、頼んだぞ!」
「もちろんです」
清美は元気よく返事をすると、パタパタと駆けて行った。
「では、自分も行ってきます」
昌義も落ち着いた様子で清美の後に続いた。
昌義は車庫に着くと、清美が長い箱を持っていた。
「これが「注文の品」ですか?」
その箱には、鷲巣研究所と印字されており、昌義はにやりと笑う。
「うん、それ。ちょっと失礼」
昌義は清美から箱を受け取ると、ばりばりと開けた。その中から出てきたのは、見慣れない銃タイプのヴァルフェだった。
昌義はガチャガチャとヴァルフェをいじると、満足げに笑う。一通り見終わったのか、いつも通りのように肩にかついだ。
「それ、どうしたんですか?」
「これ?研究所につくってもらったんだ。前のより威力を上げた「レスタングバレット」。僕もまだまだ伸びしろはあるからね」
昌義は自慢げに笑い、エアカーに乗り込む。清美は一瞬ぽかんとしたが、負けじと強気な笑みを浮かべた。
「あたしだって負けませんから!」
清美はさっそうと運転席にのりこんだ。ぶわりとエアカーが浮かび、軽快に空を駆けて行った。
「お前、ヴァルフェのコントロール、成長してねえだろ」
2人がトレーニングルームに入ると、すぐさま空護の鋭い一言が刺さる。痛いところを刺された勇也は、うっと小さくうめき声を上げた。
「あはは、すみません…」
勇也は情けなく眉を下げ、ぎこちない苦笑いを浮かべる。その覇気のない表情から、空護は勇也の訓練が上手く行っていないことを悟った。
「ちっ。……見ててやるからマナ込めてみろ」
空護に促され、勇也はヴァルフェにマナを込める。
穏やかな川のように、マナが涼やかに流れるのをイメージする。
ヴァルフェの刃は青みがかった白のままで、勇也はマナの量を調整しようとするが色が変わることはなかった。
「一回やめろ」
勇也はマナを込めるのを止め、ヴァルフェの刃を消す。そして伺うように空護を見上げた。
「まず、お前はマナってなんだか知ってるか?」
「生命エネルギー、ですよね」
「そうだ。じゃ、マナはどこにある?」
勇也は悩まし気に眉間にしわを寄せ、腕を組み考え込む。体の中にはあるだろうとは思っていたが、具体的にどこにあるのか分からない。そもそも特定の部位にあるものだろうか。
「か、体中…?」
勇也は自信がなかったため、恐る恐るといった風に答える。
「分かってんじゃねえか。そうだ、体中にあんだよ。なのに、お前は手元のマナしか意識してない。そんなんじゃスムーズに流れるわけないだろ。「マナを込める」なんていう言い方をするから間違えやすいが、マナは体の中で回すもんだ。で、その途中にヴァルフェがあんだよ。例えるなら…、マナが川でヴァルフェが水車だ」
「回す…。どんな風にですか?」
空護の言ってることは何となく分かるが、何となく分からない。
「人によって違う。好きにイメージしてみろ。お前の体なんだ、お前が思う通りになる」
先ほど会話にでたせいか、勇也の頭には水車が浮かぶ。ぐるぐると前から後ろに回転する、大きな歯車。
勇也はそのイメージを保ったまま、ヴァルフェにマナを込める。
頭から足へマナが回る。その途中にはヴァルフェがあり、マナがすっと入っていく。体銃のマナを意識しているせいか、いつもよりマナの流れがスムーズになっているのを感じる。
ヴァルフェの刃は、ほぼ白に見える。
「息をしろ」
空護の指摘で、また自分が息を止めていたことに気が付く。勇也は口を開けて呼吸すると、こわばっていた体から余計な力が抜けていく。それと同時に、勇也のヴァルフェが真っ白に輝いた。
「おお!」
勇也は思わず感嘆の声をもらす。こんなきれいな刃を見たのは初めてだった。
一方空護は、このくらいはハンターの基本だと、勇也を冷めた目で見ている。口に出さないのは、彼の情けだった。
「次は戦闘訓練だ。その状態のヴァルフェにしろよ」
空護の声をきっかけに2人はトレーニングルームの中心で向かい合う。張りつめた沈黙がその場を満たした。
「はじめ!」
その沈黙を突き破るかのように、空護の凛とした声が落ちる。それと同時に2人が動いた。
数十分後、勇也はぼこぼこに叩きのめされていた。マナのコントロールに気を取られるあまり、戦闘がおろそかになっていたからだ。
勇也は回復薬を飲む。体に少し疲労がたまるが、打撲はみるみる治っていた。
「先輩、もう一回お願いします!」
「休憩しろ、バカ」
初期の頃のようにボロボロに負けたのが悔しくて、勇也はもう一回をねだる。しかし、空護はとりつくしまもなく、勇也の頼みをばっさりと切った。
空護は壁に寄りかかりながら、ずるずるとしゃがみ込む。その様子から、空護が少し疲れていることに勇也は気が付いた。
現代の回復薬は有能ではあるが、万能ではない。生きてさえいれば、どんな大けがも治せるが、その分体力を消費する。空護のケガはひどかったから、その分体力の消費も多いことは想像に難くない。ましてや昨日の今日であるため、まだ本調子ではないのだと、勇也は悟った。
「分かりました」
空護に従い、勇也も腰かけようとしたとき、スピーカーから敏久の声が響いた。
『大神、清水!また土田倉地区でクマのビーストが出やがった!急いで向かってくれ!』
敏久からの指示に従い、車庫に向かって2人はバネのように走り出した。
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