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冬が終わりを告げたばかりの夜は、ぬくもりが少なく肌を撫でるにはまだ冷たい。
強風ではないが絶えず吹いている夜風に誘われて揺れる暖簾には、店の名前と思わしき漢字が二文字並んでいて、扉は開け放たれていた。
(何だろう、あの店――)
こんな時間に、住宅街の中で開いている奇妙な店。
最初に抱いた印象は、そんなものだった。
しかし、俺が一歩を踏み出した瞬間に「ざっ」と音が鳴る程の強い突風が吹いたと思いきや、目の前に落ちてきた薄紅色の花びらを見留めて俺は声を漏らして空を見上げた。
「さ、桜……」
空を覆い尽くす程に広がる桜の枝。
太い幹から伸びる幾つもの枝に咲く無数の花。桜の花。
店はその桜の木のすぐ傍に佇んでいて、壁や瓦に舞い散る一つ一つの花びらが、その存在を暗がりの中にふんわりと浮かび上がらせていた。
「おや? お客さまかな? いらっしゃい」
「……っ!」
いつの間に俺は店の前に。
気が付くと俺は、桜の木と店を見上げていた場所から店の入口へと移動していて、中から聞こえた声に思わず肩を跳ねさせた。
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