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出会い
「「あ」」
声がユニゾンする。
ひとつはもちろん俺の声と、もうひとつは…。
「すんません」
「…いや、こちらこそ」
俺が反射的に謝ると、見慣れない男性がペコリと軽く頭を下げた。何とも律儀な印象である。
それにしても、背が高いなぁ。
帽子を目深に被って長い前髪の下には眼鏡、更にはマスクもしているので顔は全く分からない。一瞬怪しい人かとも思ってしまった。だけどスタイルがめちゃくちゃ良いらしいことは顔が見えなくても分かる。
まるでこの雑誌の表紙の…名前分かんないや。この俳優さんみたいだなぁとその時の俺は呑気に考えていた。
自分の漫画を買うついでにと、妹に雑誌のお使いを頼まれたのが一時間程前のこと。
俺が愛読してる漫画は見つけるのに中々苦労したのに、頼まれた雑誌は本屋さんの一番目立つところに陳列されていた。
これだな、と思ってその雑誌のひとつに手を伸ばす。と、すらりと長い指が俺の指先に触れ合った。
ほんの僅か。数瞬の出来事だ。
それで声が重なって、隣を見上げている今に至る。
この人もこの雑誌が欲しかったんだろうか。まぁ、人気みたいだしなぁ。
毎月発行されるこのファッション雑誌、我が妹の愛読書なのだが、今月はいつもにも増して重版がかかりまくってるらしい。
その理由はこの表紙。
すらりと伸びた長い脚を組んで豪奢なソファーに座り、ジャケットを羽織ながら挑戦的な表情でカメラを見つめるこの俳優さん。彼の名前こそ覚えていないものの、テレビをつければ画面に、街中を歩けば看板にいつも見かける顔だから、流石に「人気があるんだな」くらいは分かる。
ともかくその俳優さんが表紙を飾っているというだけあって、この雑誌の売れ行きも鰻登りのようだった。
「…かっけぇなぁ」
すごいなぁ。俺とそんなに歳が変わらないらしいというのは母情報だ。
なのにこんなにメディアに引っ張りだこで、ドラマとか映画とか色んな役してて、CMにもたくさん出てて。
めちゃくちゃ努力してるんだろうなぁ。
表紙だけ見て、足が長くて羨ましいとか呑気なことを考えてた俺が恥ずかしくなるな。
まぁ全部、俺の妄想なんだけど。
普通に生活しててこんな人と関わり合うこともそうそうないだろう。
あ、そうだ。
俺の隣に並んだこの人もこの雑誌を買おうとしてたのかな。ならずっとここに居たら邪魔になっちゃうな。
そう思って俺はさっさとレジの方へ向かった。正確には、向かおうとした。
何だろ、何だか進まない。漫画は見つけたし雑誌も確保したし、もう清算して早く家に帰りたいんだが。
暫くして、服が何かに引っ張られたことに気づく。何かって、手だ。
さっき俺の指先と重なった細長い指。
色白のその手が、何故だか俺のパーカーの端をつまんでいる。
何か落としたのかな、と振り返るとやはり帽子とマスクの謎の男性が俺を見ていた。
多分。眼鏡とか前髪とかで目線の先は分かんないけど、そんな気がする。
何だろうと向き直ると、マスクが少し動く。
「………き?」
「えと、はい?」
「きみはその、この俳優…すき?」
この俳優。この雑誌の表紙の人のことだろうか。他にいないか。
何でそんなこと訊くんだろうなぁ。
とりあえず答えねば。
なのにスッと答えが出てこない。
「や、えぇと…」
「ごめんね、変なこと訊いた。忘れて」
「いや!カッコいいと、思います…けど」
「………」
「あー、すんません俺、こういうのあんま詳しくなくて。でもその、この人テレビとかでもよく見るし、母が大ファンで」
「きみも、ドラマとか観てくれてるの?」
「まぁたまに…。恋愛系のはあんま観ないんすけど、こないだの刑事ドラマは観ました。アクションすげぇカッコ良かったです」
「そっか。そっかぁ。………ありがと」
「どう、いたしまして?」
アレ、何でお礼言われたんだ?
それに観てくれてる?って、何だか日本語が変だ。
この人も、この俳優さんのファンなのかな。いや、俺は違うけど。
何か熱く語っちゃったみたいになったが、別にファンって程じゃないから。
名前もまだ覚えられてないから。
でも先週の刑事ドラマのあのシーン、アクションがはちゃめちゃにカッコ良かったんだよなぁ。この表紙の彼は確か犯人役で、ちょっとサイコっぽい感じだった。
それがいつもの甘い雰囲気とはまた全然違ってとても良いと、母がテレビの前で大歓喜して父が微妙な顔をしていたのはシュールだったなぁ。ちなみに妹は別に興味が無いらしく、今回このお使いを頼まれたのも普通に雑誌が読みたかっただけらしい。
俺の家庭事情はまぁいいんだ。それより今は目の前のこのマスクさん。
背が高いせいで話す時俺は少し見上げなければいけない形になるが、それは決して俺の背が低いという訳ではない。
この人が高過ぎるんだ。そういうことにしておこう。
それにしても、変だなぁ。
表情は全然見えないはずなのに、何だか嬉しそう…な気がする。笑ってるのかな。
自分の好きな俳優さんを褒められたのがそんなに嬉しかったのかな。
「きみはこの辺りに住んでるの?」
「まぁ」
「最寄り駅は?それともここまで徒歩で?あ、自転車かな」
「え、いやぁ…」
何だ何だ、めっちゃぐいぐい来るな?
そんなに俳優ファン仲間が欲しかったのか?圧がすごいんだが…。
「あ、嬉しくってつい…。怖がらせちゃってたらごめんなさい」
「大丈夫、ですけど」
「また会えますか」
「え」
「友だちになりたいなぁと、思って。ダメかな」
「ダメ、というか」
だから何で?
その後何故か押しに勝てなかった俺は連絡先を交換し、上機嫌そうな彼にエスコートされて本屋さんを後にした。
角を曲がるまで背中に視線が刺さっているような気がしたが、それは流石に考え過ぎだろう。
それにしても本当に不思議なひとだった。
やけにぐいぐい来るし、顔は見えないのに分かりやすく嬉しそうにするし。
やっぱり好きなものを語れる仲間が欲しかったのだろうか。
でもあの声、どっかで聞いたことあるような気がするなぁ。
「遅かったですね。あれ、何か良いことありました?」
「まあね」
「珍しいですね…いつも仏頂面なのに。明日は槍でも降るかな」
「…そうなったら守りに行かなくちゃな」
「は?今何と?」
「いいから出して。プライベートにまで口出してくんなよ」
「ハイハイ、分かってますよ。次の現場までにその緩みきったカオ、どうにかしてくださいね。少女漫画のクールなヒーロー役なんだから」
「…るせぇ」
カッコいい、かぁ。
あれだけ言われ慣れて、もううんざりしてた言葉なのに。どうしてこんなに胸が温かくなるんだ。
指が、まだ熱を持ってるみたいだ。
彼が無意識に発した一言がまだ鼓膜に響いてる。
こんなののどこがいいんだって、思ってたのに。
本屋で山積みされた薄っぺらな紙の束が、あの一言で一瞬にして宝の山みたいになった。
こんな感覚初めてだ。
顔が、声が忘れらんない。忘れたくない。
がっつき過ぎてちょっと引かれてたかもしんないけど、逃がしたくない。
何だろうなぁ。
さっき別れたばかりなのにもう、無性に触れたくて堪らない。声が聞きたい。彼に、呼んで欲しい。おれの名前。彼だけに。
「本当に何があったんですか、藤倉くん」
「お前にじゃねぇわ」
「理不尽」
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