第十章

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第十章

「ヘイデルは自由を手に入れる為に兄上を騙していた。俺や父上達の裏切りは全部嘘で、兄上を利用していただけです。どうして俺達を信用してくれなかったのですか? どうして……ヘイデルなんかに心を渡してしまったのですかっ?」 詰め寄る弟をアムジャットは臆する事なく見つめ返した。 「……知っていたよ。ヘイデルの嘘は」 兄の驚くべき発言に弟が息をのんだ。 嘘と知って進んで騙されていたというのか。 「それなら、何故っ……?」 「最初は信じていたんだ」 約十年前のある日。 ヘイデルが不思議な力を使っている所をアムジャットは偶然見かけてしまった。 それは魔法としか考えられなかったが、七つの島の国ではありえない事だった。 この国には魔法を使える者はいない。 特に宮殿内では小さな魔法も使用禁止で、使える人間が住んでいる訳がないのだ。 それは現王が厳しく取り決めている法の一つでもある。 どういう事かとヘイデルに問うと、実は己とカリムは魔人なのだと告げられた。 そして、驚くアムジャットに追い打ちをかけるように、ヘイデルは母の名も口にしたのだ。 「世界が崩れる思いがしたよ。側近と母上までもがジンで……自分が魔の血を継いでいるなんて」 衝撃的な事実に悩むアムジャットに、ヘイデルは言いづらそうに言葉を重ねた。 母のマイムナーは自分の魔力を濃く継いでいる弟のアスアドを次の王にと望んでいる。 父もそれを承知していて、将来的にはアムジャットを離島にある別邸に不治の病の療養という名目で幽閉しようと考えている、と――。 「そんな馬鹿げた話……。俺は自分に魔力を感じた事なんか一度もありません」 「マイムナー様は自身に魔法をかけて、お二人を人間としてお産みになられました。魔の血など引いておられませんよ」 アムジャットはわずかに苦笑しながら頷いた。 「当時は信じてしまったんだ。両親は心底では私を疎ましく思い……アスアドは私に内緒で魔力を持ち、王位の為に兄を排除しようとしている。己の誇りであった国や家族が……真っ黒に塗りつぶされた気持ちだったよ」 覚えのある感情にルトは目の奥が熱くなった。 幸福と優しさに満ちていればこそ、それが上辺だけの紛い物だと知った時の絶望は、計り知れないものとなる。 何も信じられなくなり、あらゆる感情の行き場がなくなるのだ。 「そんな私にヘイデルは自分だけが味方だと言ってきた。アスアドの言う通り馬鹿げた話だが……。あの時は、ヘイデルしか私を案じている者はいないと心の底から思っていた」 アムジャットはカリムに押さえ込まれているヘイデルに視線を移した。 「そして、幾夜も悩み続けて……膨れ上がった不信感と怒りをぶつけるように、私はヘイデルに命じて国を不毛の地にした。それからは、もう後戻りはできなかった。私は間違ったのかもしれない。そう思っても、私には……ヘイデルしかいなかった」 ヘイデルの側へ兄王子は歩みよった。 「カリム。ヘイデルを放してくれないか。主として、魔力を使わせない事を誓う」 「……分かりました」 起き上がるヘイデルに主が手を差し伸べた。 「大丈夫か?」 「アムジャット様……」 ヘイデルは数瞬の躊躇(ためら)いの後、静かに主の手を取った。 「お前が私の味方だと言ってくれた時には、本当に嬉しかった……」 「周りは敵だと洗脳しておりましたからね」 苦く笑うヘイデルに、アムジャットは首を緩く横に振った。 「そうではない。お前の特別な存在になれたのが喜びだったんだ」 「……私はアムジャット様の側近で、最初から特別な存在でしたよ」 「主従の立場を超えて、という話だ」 「どういう事ですか……?」 「私は……幼い頃からお前に恋心を抱いていた。だから、父上達の裏切りを聞いて絶望したが、唯一の味方がお前である事は嬉しくてたまらなかった……」 アムジャットの告白に、ヘイデルは驚きの表情を浮かべた。 「国を不毛の地にした時……しばらく経つと後悔しかなくなった。父上達の裏切りも、ありえない事だと思うようになって……しかし、魔法を解く気にはなれなかった。お前の意に反するような命令をしてしまえば、見限られるかもしれない。それが怖かった」 「……俺達より、ヘイデルとの関係を守ったと?」 「そうだな。国も親兄弟も捨てた。いや、捨てたつもりだった。だが……」 アムジャットは並び立つアスアドとカリムを見た。 「お前達が石になっていないと知った時……安心した。二人が無事でいた事に心底安堵している自分がいたよ。それから、すぐにシディを護衛として送った。結局、全てが中途半端だ。私は……罪を広げてばかり……。だが、もう終わりだ」 罪を告白した兄王子は側近の肩に触れた。 「ヘイデル。前言撤回だ。お前の本当の願いを、自由を、私は叶えてやれない。この先、何があっても……それだけは叶えたくない。お前が私の傍から離れる事は許さない」 ヘイデルが掠れた声で主の名を口にした。 その声にアムジャットは穏やかに笑んだ。 「アスアド。これから改めて魔軍を完全封印するのだろう? その時に私達も腕輪に閉じ込めて欲しい。ファリスに代わって、私達が魔軍の監視をしよう」 「そ、そんな……っ」 兄の言葉にアスアドは耳を疑った。 自ら腕輪の中に封印されるというのか。 「自分の過ちの大きさは自覚している。本来ならば死罪だが、腕輪の中で生き続ける事を許して欲しい」 「冗談はやめて下さいっ。国の魔法を解いたら二人で戻りましょう」 「どんな顔をして父上達に許しを乞えと? お前こそ子供じみたお伽噺はやめてくれ」 「アムジャット様……腕輪の中で生きるというのは、人間にとって死よりも辛い苦しみですよ」 カリムの言葉にアムジャットは静かに頷く。 「分かっている」 「……私を殺して国にお戻りなればよいではないですか。カリム達に頼めば、今の私は敵いませんよ。全てを私のせいにすれば、両陛下もご納得してくださるでしょう」 ヘイデルが乾いた声音で言った。 「……私の話を聞いていただろう? ずっと、お前を愛しているんだ……殺せる訳がない」 「愚かな事を……っ! 私はアムジャット様を利用していただけ。ただの手駒の一つに過ぎないのですよ? 何故、責めないのですかっ? 怒りのままに私を殺せばいい。あなた様の全てを壊した使い魔に情をかけるなど、愚か者のする事です……!」 声を荒くするヘイデルを前に、アムジャットは口元を緩ませた。 「……お前はいつもそうだ。昔から私の代わりに怒ってくれる。気が弱いから損をする。感情を抑え続けていても得にはならないと、何度も説教されたな……」 アムジャットは噛みしめるように己の使い魔の名を呼んだ。 「私は、お前を失いたくない。どれだけ罪を犯そうとも、お前にとって手駒に過ぎなくとも。私が馬鹿なのは、お前が一番よく知っているだろう? 例え、世界一の愚か者だと言われても……私はヘイデルを愛し続ける」 ヘイデルの瞳の奥が、主の想いに大きく揺れた。 「……アムジャット様こそ、いつもそうです。昔から、損得を考えず周囲を許して……私がどれだけ言っても相手を優先する事ばかり上手くなって……。不器用な生き方をする貴方様は危なっかしくて仕方がなく……でも、その寛大さがずっと眩しかった……」 数多の想いが交錯する灰色の瞳が、そっと瞼に隠された。 「……私は、また悪事を企てるかもしれませんよ? アムジャット様の愛情を利用して、今度はもっと手酷く裏切るかもしれません。それでも……いいのですか?」 「上等だ」 アムジャットが口角を上げて愉快そうな笑みを浮かべた。 「アムジャット様……っ」 ヘイデルが震える手で顔を覆う。 涙を零してはいない。 しかし、ルトには大粒の涙を流しているように見えた。 「腕輪の中には美しい庭があった。あの場所でお前と永遠の時を過ごすのは、私にとっては罰ではなく人生最高の褒美だな……。さぁ、ヘイデル。主の願いだ。国にかけた魔法を解いて、私と共に腕輪の中に封じられてくれ」 「……はい」 ヘイデルはしっかりと頷いた。 「ご主人様っ」 シディがアムジャットの腰に抱きついた。 「シディ。お前との主従契約は終わらせる。晴れて自由の身だ」 「嫌だよ! 僕はご主人様の使い魔だっ! ご主人様の命が尽きる最期の時まで、ずっと……!」 幼い使い魔は主を必死に抱きしめながら声を荒くした。 「……私はいつ死ぬか全く分からない。それでもいいのか?」 腕輪の中に入れば人間は不老不死となる。 「いいに決まってるでしょ!」 シディは即答した。 「僕の主は……アムジャット様だけだよ」 潤む黒い瞳を見下ろして、アムジャットはシディを強く抱き返した。 「……シディ。腕輪の中にいても、お前との絆はいつも胸の中にある」 「うん……」 アムジャットとシディが静かに微笑み合った。 「どうしても行かれるのですね……」 アスアドが苦しそうに眉を寄せた。 「ああ……。私が言えた義理ではないが、国を頼む」 アムジャットは弟の隣に立つカリムに顔を向ける。 「カリム……お前には本当に感謝している。己の力を捨ててまで弟と共に生きてくれた事を。私は……お前達が羨ましい……」 「アムジャット様……」 まぶしそうな顔をするアムジャットの横で、ヘイデルが口を開いた。 「七つの山のどこでもいい。頂上に立ち腕輪を掲げると魔法が解けるようにしておく……。マイムナー様が今回の事を聞けば、ひどくお嘆きになるだろうな」 「当然だ。すぐに腕輪から二人を出そうとするだろう」 「……出る気はないとマイムナー様に伝えて欲しい」 「分かった……」 ファリスがルトの手首にはまっている腕輪に手をかける。 すぐに紅宝玉が鮮やかに輝き、それに呼応してアムジャットとヘイデルの体が白く光り始めた。 「ルト、ファリス。お前達にも本当に苦労をかけた。腕輪の中で幸福を祈っていよう」 「兄上……兄上っ!!!」 アスアドが思わず手を伸ばす。 しかし、伸ばされた弟の手は空を切り、光に包まれた兄と側近はきれいに姿を消した。 (二人が腕輪の中に行ってしまった……) 芳しい香りを漂わせる美しい庭と不気味な黒い宮殿の中で。 二人は永遠の時を刻んでいくのか。 「魔軍を……完全封印しましょう」 カリムは重々しい声で言うと、腕輪に手をかざした。 「もう二度と兄上には会えないのか……」 「中の二人が望まない限りは無理だろうな」 「……そうか」 アスアドは視線を落とした。 「お前達の主はこの世界から消えた。どこでも好きな所に行くがいい」 カリムの声に王の間の外から中を覗いていた従僕達が散っていく。 すぐにアレムの都から逃げていくだろう。 「ご主人様……ヘイデルの事を心の底から愛していたんだね。僕が使い魔になったばかりの頃、欲しいものはないかって聞いた事があったんだ。そしたら、何もいらないって。一番欲しいものはどうやっても手に入らないからって言われたんだ」 「……兄上はヘイデルの心が欲しかったんだろうな。利用されていると分かっていても、想いはそう簡単に変えられないもんだ」 皆の視線が腕輪に集まる。 時の流れのない小さな世界で。 様々な感情を捨て置いて、ただ互いだけを見つめて生きていく。 その中でヘイデルの気持ちがどう変わっていくのか。 今は誰にも分からない。 「前よりも強固な封印する為に、ルトも協力してくれ」 「え、僕が?」 意外な所で名指しされて、ルトは驚いた。 「腕輪の主として言葉で魔軍を縛ってくれ」 「僕が縛れるの?」 「大丈夫だ。完全に封印して、永久に解放されないと宣言してくれればいい」 ファリスが呪文を唱える。 それにカリムとシディの力が呼応して腕輪が熱くなった。 「ルト、頼む」 「う、うん……この腕輪に魔軍を完全に封印し、永久に眠るものとする」 紅宝玉は瞬間的に強く光り、恐ろしい魔軍と二人の男を封じて永遠に沈黙した。 「眠らせたんだ。やるじゃない! ルト」 「眠らせた方が中の二人が騒がしくないかなと思って」 「確かにな。四百年間、うるさくてたまらなかった」 ルトは一段と重くなったように感じる腕輪を手首から外した。 紅宝玉に閉じ込められているファリスと出逢ってから、短い間に沢山の事が巻き起こった。 最初はファリスの封印を解くだけのつもりが、予想外に目的はどんどん大きくなり。 呪われた国や王子の苦悩、側近の野望が複雑に絡んで、世界が滅亡してしまう危機にまで陥ったが。 どうにか全てが終息した。 (いや、全部じゃない。もう一つ大事な事が残ってるじゃないか) 「アスアド……」 ルトは腕輪をアスアドに差し出した。 この腕輪でアスアドの国の魔法を解く。 何よりも重要な腕輪の仕事だ。 「ありがとな、ルト。お前のおかげで国の呪いを解ける日が来た」 「僕は、たまたま紅宝玉を持っていただけだよ」 「偶然なんかじゃない。ルトの勇気に、紅宝玉や俺達が呼び寄せられたんだ」 アスアドはルトの手からしっかりと腕輪を受け取った。 「……親父さんからもらった大切な紅宝玉なのに……ごめんな」 「そんなっ。気にしないで。父さんとの思い出は心の中にちゃんとある。だから大丈夫だよ」 紅宝玉を片時も離さずに心のよすがにしていたのは、寂しかったから。 紅い輝き以外は何も見えないような不安な人生を送っていたからだ。 でも、今は違う。 紅宝玉という証がなくとも、愛情や絆はいつだってルトの傍にある。 それに気づかせてくれたのは、紛れもなくアスアド達だ。 だから、謝罪なんていらない。 逆に、こちらがお礼を言わなければならないぐらいだ。 「ルトは強い男だな。これから先が楽しみだ」 今回の騒動で大きく成長したように見えるルトを、アスアドは頼もしそうに見つめた。 「俺達にとって大切な腕輪だ。大事にしないとな」 蔦草の細工が何とも言えず美しい、二つとない作りの繊細な腕輪――。 「……これを国に持って帰れば魔法が解けるんだな」 「ええ。八年ぶりに皆様にお会いできます」 「ずっと、この瞬間を夢見て旅を続けてきた。事の結末は決して喜べるものじゃないが……あの美しい海と島々に帰れる……やっとだ」 「そうですね……」 カリムは腕輪を一心に見つめるアスアドの背に静かに触れた。 「全てはこれからだ。一刻も早く父上達を元に戻さないとな」 アスアドはカリムに笑みを向けた。 力強くも、どこかに悲しみを隠したような。 そんな笑みに見えたのはルトの気のせいだろうか。 「僕も行くよ! ねぇ、いいでしょ?」 シディの声にアスアドの笑みが深まる。 「もちろんだ」 「じゃあ、早速行こうよ! ご主人様の国を早く見たい!」 シディに急かされるようにして、アスアドとカリムの体が宙に浮いた。 今度はカリムも魔力を持っているので乱暴に運ばれる事はなさそうだ。 「俺達は国が落ち着いた頃に顔を出そう」 ファリスは宙に浮く三人に向かって言った。 自分達も一緒に行くと思っていたルトは少し驚いた。 「え? 行かないの?」 ルトの心の声をシディが代弁する。 「俺達が行っても邪魔だろ? しばらくは忙しくなるだろうしな。俺の魔法は解けたままだから、ヘイデルの魔力が消えたら今度はカリムの力で国を元に戻してくれ」 カリムが小さく頷いた。 「じゃあ、次に会う時は美しい国を案内させてくれ。二人には礼をしてもしきれないしな」 「ルトの勇気と強い気持ちには何度も助けられた。本当にファリスの主にはもったいない子だ。使い魔に嫌な思いをさせられたら、すぐに私の所に来るといい」 「世界最高の素敵な使い魔にひどい言い草だな」 ファリスの軽口に皆が笑った。 「僕は色々迷惑かけちゃって、ごめんね」 ルトは肩を落とすシディに明るい声音で答えた。 「シディがいてくれたから危険を何度も乗り越えられたんだ。感謝してるよ。まぁ、最初は怖かったけどね」 いたずらっぽく言うと、シディが満面の笑みを浮かべた。 「アスアド、カリムっ。本当にありがとう……。言いたい事は沢山あるのに、上手く言葉に出来なくて」 困ったように微笑むルトに、アスアドはとびきり優しい表情を向ける。 その情に溢れる顔を見ていると、酒場での出会いからのとんでもない冒険達が胸をいっぱいにして、ルトは琥珀の瞳を潤ませた。 「次に会う時までにまとめておいてくれ。国で待ってる……」 アスアドが兄と同じ紅榴石(ガーネット)の目を穏やかに細めた。 「またね! 二人共! 綺麗な国を一足お先に味わっておくから」 王の間から三人が去っていく。 「うん! 楽しみにしておくよ!」 ルトは三人が見えなくなるまで大きく手を振った。 「悪いな。勝手に残って」 「ううん。ファリスの言う通りだよ。一緒に行っても、今から国を再興しようっていうのに邪魔にしかならないよね」 「……実は、ただの言い訳だけどな」 静かになった王の間で、ルトはファリスに強く抱き締められた。 「……早く、二人きりになりたかった」 「ファリス……」 甘い囁きに顔が熱くなる。 二人きり――。 (そうだ。従僕達も逃げただろうし……アレムには、もう僕達しかいない。僕とファリスだけ――) 意識すると急に気恥ずかしくなった。 「……僕もだよ……」 ルトは逞しい胸に頬を寄せた。 「……あの二人の事は万事解決なんて思えないけど……。でも、魔軍が無事に再封印できて本当によかった」 「ああ。ルトが俺との契約を上手く……って、そうだ。俺と腕輪の魔法を完全に解くのを忘れてたな。今度、カリムに頼むか」 ファリスはしまったと顔をしかめた。 魔軍を再封印する時。 ファリスがルトの命令でヘイデルから腕輪を奪い返せたのは、腕輪の呪縛がきれいに解けていなかったからだ。 紅宝玉の中でファリスが話した通り、ルトが名を呼んで解放しただけでは使い魔として外に出られたに過ぎない。 完全に腕輪と縁を切るには、カリムに最終的な魔法を解いてもらう必要があったのだ。 しかし、ファリスが外に出てからすぐに腕輪が奪われた為、それが出来ていなかった。 そのおかげで、ヘイデルが腕輪の主であるにも関わらず命令一つで中に戻れたのだ。 「俺のご主人様は本当に優秀だ。少ない言葉で、ちゃんと気付いてくれた」 「あの時は僕も必死で。ファリスと目が合った時には頭が大混乱しちゃったよ」 ――完全な解放は叶ってない――。 その言葉でファリスと腕輪の封印の事を思い出せたが、今でも上手くいったのが信じられないぐらいだ。 「どんな時でも俺達は強い絆で結ばれてるな」 ファリスの指がルトの顎に触れる。 「……あの庭で逢ってすぐに特別な絆を感じてた。そして、必ず俺を救い出してくれるって確信したんだ」 「ファリス……」 互いの吐息が混ざり合う距離で二人は甘く見つめ合った。 「ルト……俺の可愛い英雄……」 「……ぁ……っ」 そっと引き寄せられると唇が重なった。 啄むように何度も繰り返される優しい口づけに、ルトは広い胸にすがりついた。 温かい愛情がルトの全身を満たしていく。 「……昨日、全てが無事に終わったら気持ちを聞かせてって、言ったよね?」 少しだけ唇を離して問うと、ファリスはルトの髪をゆっくりと撫でる。 「聞かせてくれるのか?」 「うん……」 考えるまでもなく、己の気持ちは一つだ。 後はこの想いを口に乗せるだけ。 それなのに、いざ告げようとすると色々な感情で胸が詰まって、言葉が出てこない。 「ルト?」 頬を染めて黙ってしまったルトに、ファリスが穏やかな眼差しを向ける。 「あのね……。ファリスと初めて会った時、こんなに凛々しくて美しい人がいるんだって驚いたんだ。すごい格好良くて話をするのにも緊張するぐらいだったけど、ファリスは話を聞いてくれて仲間だって言ってくれた。僕、本当に……本当に嬉しくて、絶対に腕輪を見つけるんだって決意したんだ。それから、僕の心はファリスでいっぱいになった……」 ルトはファリスの頬を両手で包んだ。 「僕も好き。ファリスが大好きだよ。僕だって、一目見た時からファリスに心を奪われていたんだ」 昨晩の告白に重ねるように想いを告げると、両手で包んだファリスの顔が喜びに満ち溢れた。 「世界中の幸福を独り占めしている気分だ」 ファリスはルトに軽く口づけると、横抱きにして宙に浮き上がった。 「わっ! どこに行くの?」 「愛するご主人様に、この都の真実の姿を」 「真実の姿?」 ファリスは王の間から飛び出し、宮殿の上空まで浮上した。 並んでいる黄金の柱が太陽の光に反射して輝き、まるで金の都のようだ。 「昨晩カリムが言ってたが、この都は贅を尽くしたせいで神の怒りをかったんだろ?」 この都が無人となった頃、ファリスは紅宝玉の中に封印されていた。 「うん。怒りをかうのも分かるよ。信じられないぐらい豪華な都だ」 輝く都を上から熱心に眺めるルトにファリスは微笑んだ。 「このままでも十分に美しいが、実は本当の姿を見せてない。この都は眠ったままなんだ。ヘイデルは質素な使い方をしていたようだな」 「そうなの? これで?」 全く、そうは見えない。 ルトの目下は至上の美しさできらめいているのだけれど。 「では、伝説にある真実の美しさを見せよう」 ファリスが軽く呪文を唱える。 その瞬間、都全体が光に包まれた。 思わず目を閉じてしまったが、次に瞼を開けると都の光景は一変していた。 「す、すごい……すごいよっ! こんな、きれいに……っ!」 ルトは口をぽかんと開けたまま未曾有の美しさに魅入ってしまった。 都中の緑は青々と生い茂り、可憐な花は先程と比較にならないぐらい咲き乱れている。 宮殿や庭の隅々まで設置されていた全ての水路が豊かに水を流し、都全体がキラキラと輝き始めた。 それに合わせて宝石が敷き詰められた噴水が虹色の光を帯びて、宮殿を彩っている。 数多のある黄金の柱や埋め込まれた大理石も、太陽の光に一層喜んで存在を主張していた。 「これが神の怒りをかってしまう美しさだ」 「うん……とても、言葉に出来ない美しさだね……」 ルトは瞬きを忘れて、眼下に広がる目覚めた都を見つめた。 「さぁ、ご主人様。都が本来の美しさを取り戻しました。思う存分楽しみましょう」 ファリスが歌うように言葉を紡ぐと、砂にまみれていた体が綺麗になり、汚く萎れていた服がどこかの王族のように豪奢なものになった。 「わぁっ! 王様みたいだっ!」 繊細な刺繍の施された腰紐に触れながら、嬉しそうにルトが笑った。 「もちろん。今はルトが真のアレムの王だ」 「僕が? 神様に怒られない?」 「可愛いから大丈夫」 「もうっ。変な冗談はやめてよ」 何気ない軽口一つに心が躍る。 ファリスの温もりを感じながら都の上空を一回りすると、大理石の廊下に優しく下ろされた。 「こちらへどうぞ」 手を引かれて導かれるままに廊下を進み、ルトは一つの扉をくぐった。
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