第四章

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第四章

「お。カリムが来たな」 意識を家の外に向けると、こちらに駆けてくる足音がした。 アスアドが立ち上がって、朽ちている扉を開ける。 それと同時に、尖ったカリムの声が二人の鼓膜を震わせた。 「すぐにこの村から出ますよっ!」 「カリム!? いきなり何だ?」 シディに追われて町を逃げていた時よりも焦っている様子で、カリムが早口で言う。 「詳しい話は後で。早く」 少しの時間も惜しいとばかりに、村の外に向かって駆け出すカリム。 慌ててカリムの背中を追って走り始めたが、外に出ても三人以外の姿はない。 シディに追い詰められているという訳でもなさそうだった。 「さっきの場所、火がついてるな」 カリムの背を追いかけていると、アスアドが後ろを振り返りながら言った。 「あ……本当ですね……」 ルトも振り返って広場に視線を向けると、炎が見えた。 先程、焦げた敷石があった辺りだ。 カリムが来るまで、人の気配は一切なかったのに。 誰がつけたのか。 まさか、カリムではないだろう。 不可思議な炎に、胸の辺りがざわついた。 「……間に合いませんでした」 カリムの声に失意がにじむ。 一体、何が起こっているのか。 (間に合わないって……シディの事……?) 「おい、あれは何だ?」 アスアドが指をさす。 その先を視線で辿ると、村の端と砂漠の境辺り。 青白い霧のようなものが出始めていた。 村を囲むそれは、どう見てもただの霧には見えない。 「とりあえず、後ろの小屋に隠れましょう」 カリムに背を押され、この村に来た時に見た家畜小屋に駆け込んだ。 「どういう事だ? 何が起こってる」 小屋の隅に片膝をついて身を隠しながら、アスアドが険しい顔をする。 「端的に言うと、ここは亡者の村で、夜になると亡者達が目覚めて宴を始めます」 「亡者って……何だよ。ふざけてんのか?」 「ふざけていませんよ。ちなみに、宴中の彼らに捕まると魂を抜かれて晴れて亡者の一員になります」 「はぁ?」 「そ、んな……」 衝撃的な話に言葉を失くすルトの横で、アスアドが口元を歪ませて鼻で笑った。 「……そりゃまた、ご機嫌な宴だな」 「ええ。毎晩、律儀なもので感心しますよ」 軽やかに皮肉を交わす二人を見ながら、ルトは震えそうになる唇をきゅっと噛んだ。 (まさか……ここが亡者の村だなんて……) 鳩尾の奥辺りが冷たくなっていくのを感じた。 魔人のシディから逃げて、やっとカリムと合流できたと思ったのに。 今度は怖ろしい亡者の村に来てしまっていたなんて。 しかも、捕まってしまえば命はない。 毎晩、宴を繰り返す亡者になってしまうのだ。 (怖い……。魂を抜く亡者なんて、魔人や魔法と同じように昔話の中だけだと思ってた……)  ルトは静かに小屋の外に視線を移した。  村の境にあった霧から、うっすらとした人型が幾つも現れて、辺りを浮遊している。 あの一つ一つが、亡者なのか。 「精霊の奴……人畜無害だと思ってたが、俺達を殺そうとするとはな」 「悪意はありませんよ。ここに飛ばされたのは偶然です。精霊は紅宝玉の邪気を怖がって、二人を放出したようです。彼らは臆病で繊細ですから」 「臆病で繊細っ!?」 アスアドが大仰に顔をしかめた。 「そんな奴が、こんな所に人を放置するのかよ。やる事が大胆で、それこそ感心するね」 「純粋な者ほど行いが残酷だったりしますからね。精霊なんかは、その筆頭ですよ」 カリムが話しながら、鋭く周囲の様子をうかがう。 村を囲む霧から分裂した亡者は瞬く間に数を増やして、通りを賑わせていた。 「そういや、シディはどうした?」 「まいてきましたよ。ジンですから、油断は禁物ですけどね」 「そうか……。まさか、あいつがジンだったとはな……」 アスアドの声から、やるせない気持ちが感じ取れる。 二人の様子を見たのは飯屋での短い時間だけだったが、アスアドがシディを可愛がっているのは傍目にも明らかだった。 ルトでさえ、大きな衝撃を受けたのだ。 アスアドの驚きは相当なものだっただろう。 「……本当なら、もっと早くに気付くべきでしたが。シディは全くジンとしての隙を見せませんでした。とても頭が回る子でしたからね」 「そうだな。小賢しくて生意気なガキだった。変に大人びてると感じたのは、ジンだったからだな。あんな無邪気な(なり)をして、一体、どれだけ生きてんだか」 「私達よりかなり年上でしょうね。追われていた時に、使い魔だと言っていました。主が誰かは知りませんが、何故、私達の側にいたのか……」 「そうだよな~。ジンが俺達とつるんで、何してんだよって話だ」 アスアドが、小さく笑い声を漏らした。 「やっかい事って奴は、何でこうも一斉に襲ってくるんだろうな」 本当にそうだ。 アスアドが可愛がっていたシディは、実は怖ろしい魔人で。 今も、紅宝玉を狙って自分達を捜しているだろう。 そして、目の前では亡者の宴が始まり、死者への仲間入りの危機が迫っている。 (ああ……どれも、全て僕がきっかけだ……) 「申し訳ありません、殿下……。僕が、紅宝玉の件をお願いしたばかりに」 深く頭を下げる。 どれだけ謝っても、謝り足りない思いだ。 「アスアド様……あなたという人は……」 家畜小屋の隅で下げた頭を上げようとしないルトを見て、カリムは目をつり上げた。 「まさか、身分を明かしてルトを萎縮させているとは、微塵も考えておりませんでした。その上、馬鹿みたいに浅慮な言葉を口にして……。共に旅をしていたラクダの方が、ずっと利口ですね。手放して損をしました」 カリムは痛烈な嫌味を放ちながら、ルトの肩に優しく触れた。 「い、いや、別にルトのせいだなんて思ってないって! それに萎縮させたつもりはっ」 慌てるアスアドを無視して、カリムはルトと視線を合わせた。 「己を責める必要は全くない。こちらこそ、精霊が紅宝玉を嫌がるのを予測できずに、こんな事になってしまった。謝るのは私の方だ」 「とんでもないですっ。カリムさんのおかげで、シディから紅宝玉を守れたんです。僕には感謝の気持ちしかありません」 心の底から礼を言うルトに、カリムは優しく目を細めた。 「亡者の宴は日が昇ると終わる。悔しいが、私の魔法では太刀打ちできない。夜明けまで隠れているしかないが、協力して何としても村から出よう」 「はい」 「おい、無視するなよっ」 アスアドがルトとカリムの間に、ずいっと顔を乱入させた。 「ん? ラクダ以下な役立たずの言葉は理解できませんね」 「お前なぁ……」 アスアドが大げさに悲しい表情を作る。 それに対して、まるでゴミでも見るような視線を送るカリムに、ルトはつい状況を忘れて笑いそうになった。 王子と側近の筈だが、まるで立場が逆転しているみたいだ。 「そうだ。さっきも言ったが敬語をなくせ。かた苦しいのはカリムだけで充分だ」 「え?」 「私に対しても同様に。気遣いは不要だ」 二人からの申し出に、ルトは大いに戸惑った。 「む、無理ですよっ」 一国の王子と側近に対して、余りにも無礼だ。 だが、何度拒んでもアスアドとカリムは折れず。 結局、ルトは頷く事になった。 「亡者は村全体にいるみたいだが、宴は広場でやってんのか?」 外が霧の亡者だらけになっていくのを見ながら、アスアドは眉根を寄せた。 「ええ。そうです」 「不気味な炎も、亡者のものだよな?」 「あれが亡者の力の中枢ですよ」 カリムは亡者の力も感じられるのか、当然のようにさらりと答えた。 「って事は、炎を消せば亡者たちは消えるのか?」 「……力を失うでしょうが、普通の火ではありませんからね。私達には無謀な行為です」 「そうか……。なら、また精霊に頼んで水脈の中に入れてもらう事は無理か?  紅宝玉は害がないと言えば、どうにかなりそうなもんだが」 「紅宝玉以前の問題です。こんな亡者まみれの邪気の溢れた村に、精霊は意識を繋いでくれませんよ」 アスアドは唸りながら、頭を掻きむしった。 「ほんっと融通の利かない奴らだな。こっちのジンはどうなんだよ」 アスアドは、ルトの懐を指差した。 「紅宝玉の中のジンを、少しでも呼び出せないか?」 アスアドの言葉に、カリムが表情を変えた。 「どうして……紅宝玉の中にジンがいるのを知っているんですか?」 「ルトが教えてくれたんだよ。中に封印されてるジンに会って、外に出してやる約束をしたんだと」 「え……!?」 カリムの表情が強張り、強い視線がルトを射抜いた。 「いつ!? どうやって中のジンに!?」 肩を掴まれて、ルトは当惑した。 「おい。いきなり、どうしたんだよ」 アスアドにたしなめられて、カリムはルトから手を離した。 「……すみません。強い封印を感じていたので、会えたと聞いて驚いてしまいました」 カリムは穏やかな表情に戻ったが、それは少し強張っていた。 「中のジンも、僕に会えたのは奇跡だって言ってた。会ったのは五日前で、理由は分からないけど、僕が紅宝玉の中の世界に迷い込んでしまったんだ。その時に、紅宝玉がはめてあった金の腕輪を探して欲しいって頼まれた。それがあれば封印が解けるって。腕輪はアレムの都にあるかもしれないと言われたから、行こうとしていたんだ」 「ん? アレムって伝説の? 実在するのか?」 「少し黙って下さい」 「何だよっ。失礼だぞ!」 アスアドを完全に無視して、カリムは何やら考えを巡らせているようだった。 「ジンは四百年前にグールの大群と一緒に封印されて、仲間に出してもらうのを待ってたみたい」 「……腕輪は勝手に分解されたか何かで、元に戻せば封印が解けるとかっていう事か?」 「うん。二つが揃わないと封印は解けないって。仲間を待ってるうちに、ジンの力に魅せられた人間に外されて、別々の場所に持って行かれたんだって。そのせいで出られなくなったとジンが話してくれたよ」 「……それで、紅宝玉が外された腕輪はアレムの都に運ばれたと?」 固い表情のまま、カリムが問う。 「そう。腕輪がアレムの都に運ばれたのは確実だと言ってたよ。でも四百年前の話だから、今は分からないけど……」 「伝説通りに、アレムは謎の都としてずっと無人の筈。腕輪が運び込まれたのなら、持ち出された可能性は低い」 「実在するって知ってたのかっ。そんな面白そうな話、何で俺にしてないんだよ」 「聞かれていませんから」 さらりと答えたカリムに、アスアドが怒った顔を作った。 「世界一冷たい側近とはお前の事だな!」 「はいはい。そうですね」 すごいな。 言い合う二人を見て、ルトは純粋に思った。 隠れている小屋のすぐ外には、数多の亡者。 見つかったら、すぐに魂を抜かれて、広場を中心に行われている宴に強制参加になるだろう。 そんな緊迫した状況なのに。 目の前の二人は、冗談混じりに皮肉を言い合いながら言葉遊びをしている。 その余裕は年齢的なものか、二人が踏んできた場数の多さからであろうか。 恐怖から体の震えが止まらないルトにとっては、どちらにしろ羨ましかった。 「そうだ。カリム、俺達も紅宝玉の封印を解くのに協力しないか? ルトも言ってくれたが、上手くいけば、そのジンから国を戻す手がかりが得られるかもしれない。今までの事を思えば大きな好機だ」 「……そうですね。国にかかっている魔法を詳しく調べさせる事も可能でしょうし」 「本当にいいのっ?」 快く頷いてくれた二人を見て、ルトは嬉しくなった。 全くもって不透明だった南方への旅。 二人が一緒なら、ハドラントの砂漠にも確実に辿り着けるだろう。 「この村を無事に出られたとして、はい、さようならってのも寂しいだろ? 一緒にアレムの都へ行こう」 三人でアレムの都へ。 ルトの胸が感動に打ち震えた。 「ありがとうっ。二人がいてくれると、とても心強いよ……!」 亡者に囲まれているのにも関わらず、心の中で希望が膨らんでいくのを感じた。 ファリスに再会したい一心で自らを鼓舞させていたが、どこにあるのかも知らない砂漠まで一人で旅をするのは、非常に心細かった。 二人と共になら、必ずアレムの都に行ける。 そして、ファリスの封印を絶対に解いてみせるのだ。 ルトは服の上から懐にある紅宝玉に触れた。 「ルト……紅宝玉の様子がおかしくないか?」 「え?」 アスアドが、紅宝玉に触れているルトの手の辺りを見ながら言う。 (おかしい?) アスアドの視線を追って、ルトは瞠目した。 「ひ、光ってる……!?」 紅宝玉がほのかに発光して、紅い光が服から漏れていた。 「出してみろ」 「う、うん」 恐る恐る懐から紅宝玉を取り出すと、見計らったように紅い光が強まった。 「わっ! ど、どうしようっ」 「亡者に気付かれてしまう」 カリムが布や手で紅宝玉を覆うが、激しい光は小屋を満たしていく。 「もしかして、封印が解けるのかっ?」 「ありえませんよ。腕輪がないと無理です」 「あ、また光が……強くっ」 こちらの焦りなどお構いなしに光が強くなる。 とうとう、紅い光が小屋の外を照らし始めた。 突然、何だというのか。 (もしかして、ファリスに何かあったのかな……) 「これ以上は無理ですね。小屋を出ますよ!」 カリムの声に皆が一斉に腰を上げた。 すでに亡者達は漏れた紅い光に誘われて、集まってきている。 それらを避けながら家畜小屋を飛び出して、村の端へと駆けた。 「完全に霧に閉じ込められてるな」 先程のように分裂して亡者を増やす事はしていなかったが、一段と濃くなった霧は外界との繋がりを完全に消していた。 「気色悪い奴らだ」 「うん……すごい数だしね……」 ルトは再び紅宝玉を懐へ入れた。 全く光が弱まる様子はない。 どんどん引き寄せられる亡者達によって、ルト達は逃げ場をなくしていく。 「こいつら、斬れるのか?」 「気休め程度には」 「上等だ」 アスアドとカリムは、腰に下げていた半月刀(シャムシール)を抜いて振りかざした。 美しい刀が紅宝玉の光を反射して、鋭い輝きを見せる。 「お前は、俺達の後ろにいろ」 二つの背に隠れて、ルトは身を低くした。 魂を抜き取ろうと襲ってくる霧の亡者を二つの刀が切り裂く。 (……二人共、素晴らしい剣使いだ……!) 無駄なく、的確に。 半月刀が、目の前の亡者達をほふっていく。 ルトの素人目から見ても、二人の剣さばきは際立って素晴らしかった。 しかし、相手は実体のない亡者だ。 消える側から新しい者が現れ、一向に数は減らない。 亡者達の目標になっているだろう紅宝玉は、強い光を放ち続けていた。 どうやったら、この光は消えるのか。 光の原因は、ファリスに異常な事が起こったからなのか。 ルトの心は恐怖と不安に乱されるが、深く考えている余裕は全くなかった。 「ルト、こっちだ!」 アスアドに腕を引かれる。 横から亡者の腕が伸びてきて、ルトは寸前でそれをかわした。 「夜明けまで、しばらくあるな……」 「ええ。かなり厳しいですね」 亡者は数を増し、半月刀で散らしても、すぐに無数の手が伸びてくる。 「広場の火が見えるよ……っ」 「もう、こんな所まで押しやられたのか」  溢れる亡者に追い詰められて、気付けば広場が見える所まで戻っていた。 (あの広場、炎は宴の中心だ……亡者は僕達を中心部に連れて行こうとしている……!) 「カリムっ。あの火を消せば、亡者達は消えるんだよね?」 「変な気を起こすな。さっきも言ったが、あれは私達で消せるような普通の火じゃない」 焦ったルトの言葉に、カリムが亡者を蹴散らしながら言った。 「でもっ、このままだと……っ」 夜明けまで、持ちこたえられない。 この村に来た時には、夜闇に包まれて寒々としていた広場。 今は無数の亡者達が大きな炎を囲み、ルト達を仲間に引きずり込もうとしている。 「あと一刻。耐えられるかどうかでしょうね」 カリムが苦渋の表情を浮かべる。 「亡者は、炎の中に私達を放り込もうとしているようです。私の懐に、シディに使った薔薇水が少量残っているので、それでどうにか隙をつけば、この広場からは抜け出せると思います」 「勝算は?」 「多く見積もって三割程度です」 「三割か……。やる気が出るな」 アスアドが、半月刀を振るいながら乾いた笑い声を零した。 皆で固まって、どうにか亡者の大きな攻撃は防いでいたが。 それでも、無数の亡者達の勢いには抗えず、とうとう炎の熱気が肌で感じられる所まで押しやられてしまった。 (あっという間に、こんな近くまで……。このままだと、一刻も耐えられないよ) カリムの策を成功させて、せめて広場からは抜け出さないと。 村の外には脱出できないが、宴の中心部から距離をとれば、夜明けまで時間をしのげる可能性が少しでも上がるだろう。 「どれだけ亡者がいるんだよっ! 村じゃなくて、でかい町ぐらいの人数だろっ」 アスアドが悪態をつきながら、周囲の亡者を切り捨てた。 炎に近づくにつれて亡者は増える。 もはや逃げられるような数ではなくなっていた。 ルトは半月刀で亡者達を必死に倒している二人に守られながら、どうにか周りを見渡した。 燃え盛る炎の明かりと紅宝玉の光が混ざり合い、広場は不気味に色付いている。 その中で亡者が隙間なくうごめいていた。 「僕、炎に近づいたら、出来るだけ亡者達の気を引くよ」 この状況で、自由に動けるのは自分だけだ。 何としても、カリムの魔法が上手くいくようにしなければ。 「下手したら即死だろうがっ! そんな事、させられるか!」 「いえ、頼みます」 カリムが静かに言った。 「カリムっ。お前……っ」 「このままだと、三人とも亡者です。ならば、ルトに頑張ってもらいましょう」 「くそっ……絶対に三人で生き抜いてやるからなっ」 アスアドは砂を噛んだような顔をしながら、目前の亡者を半月刀で霧散させた。 「ルト、私が合図したら後方に飛び出してくれ。亡者は散らしておく」 「分かったよ」 熱気がルトの肌を撫でる。 不気味な炎は三人を取り込もうと大きくうねりながら、広場を煌々と照らしていた。 亡者の数はすでに限界を超えていて、アスアドとカリムは腕や足を引かれ始めていた。 「もう少しです。もう少し、炎に近付いたら……」 亡者の大群に揉まれるようにして、炎の元に引きずられる。 アスアドとカリムの体力が激しく消耗しているのを感じながら、ルトは待った。 苦しい体勢の中、カリムが背後の亡者を叩き散らす。 来た――。 そう感じ、合図を待って飛び出す準備をした瞬間、足を強い力で引っ張られた。 (あ――っ) 声すら出ない間に、亡者に体を担ぎ上げられる。 「ルトっ!」 アスアドとカリムがルトに手を伸ばすが、亡者に囲まれてろくに身動きが取れない。 「アスアドっ! カリム!!」 ルトが伸ばした手も二人には届かず。 亡者達は嬉々として、ルトの体を炎の中に投げ込んだ。 普通の炎とは全く違う。 意思を持った熱い膜のようなものに体をぴったりと覆われて、ルトは指一本動かせず、呼吸もできなくなった。 (ああっ……苦しい……) もがこうとしても体は石のようで、苦しさがルトの全てを支配する。 (……アスアド、カリム……ごめんなさい……僕は、もう――) 意識が遠のく中で、庭に佇む凛々しい魔人が心に映し出された。 (ファリス……約束を守れなくて……僕は……ファリス、ファリス――) 心で魔人の名を繰り返す。 すると、紅宝玉がこれまでとは桁違いの強烈な光を放ち始めた。 (これは……?)  深紅の光は、不気味な炎と亡者達を全て包み、尚も激しく輝く。 「何だこれ……紅宝玉の光がこんなに強くなったのか!?」 「……石の中から、強い魔力が……」 村全体が紅く染まる中、アスアドとカリムは戸惑いながらも、ルトが放り込まれた炎に手を伸ばす。 「カリム、亡者達が……っ!」 「村全体に魔力が満ちています……」 紅い光が村内を潤すと、亡者達が一斉に悲鳴を上げる。 それからは、一瞬の出来事だった。 驚くアスアド達の前で、深紅の光にのまれた炎と共に亡者達全てが綺麗に消え去った。 「ルト! 大丈夫かっ?」 紅宝玉の輝きも消えて、宙に放られた形になってしまったルトの体を、アスアドが横抱きに受け止める。 「だ、だいじょうぶ……っ」 流れが止まっていた気管に空気がこれでもかと入ってきて、ルトは大きくむせた。 身体中に新鮮な空気と安堵が行き渡る。 「……亡者は……?」 ルトはぐったりとしながらも、周囲に視線を巡らせた。 一体、何が起こったのか。 何故、亡者達がいなくなっているのか。 炎も消えて、あれだけ禍々しかった村が、月明かりに照らされた静かな場所に戻っている。 「あの紅い光は強い魔力でした。紅宝玉の中のジンが力を放出したようです……」 カリムが固い声で言う。 「中のジンが……」 ルトは懐から紅宝玉を取り出した。 掌の上で月明かりを内包した紅い石が上品に輝いている。 強い光を放ち始めた時には、ファリスの身に何か起こったのではないかと心配したけれど。 (きっと、僕達の命の危機を察して力を貸してくれたんだ……!) そうに違いないとルトは思った。 ファリスと東屋で話した時には、外の様子は分からないと話していたが。 ルト達の気持ちが通じたのかもしれない。 本当は入れない紅宝玉の中に、ルトが迷い込んでしまったぐらいだ。 再び奇跡が起きてくれてもおかしくない。 ルトは嬉しかった。 ファリスが命を助けてくれた。 封印を解くまでは通じ合えないと思っていた大切な魔人と、心が繋がっている。 そう考えると、今の今まで恐ろしい目に遭っていたのに、ルトの心は喜びに跳ね上がった。 「怖い思いをさせて、すまなかった。私達の力不足だ」 呼吸が落ち着いて立ち上がったルトに、カリムは謝罪した。 「違うよっ。僕が油断したんだ。カリムの計画をふいにして……。こちらこそ、ごめんなさい」 ファリスが力を貸してくれたから無事だったのだ。 己の不甲斐なさが身に刺さる。 自分だけではない。 アスアドとカリムの命も終わっていたかもしれないというのに。 囮になると申し出たのは自分なのに、全く責任を果たせなかった。 「謝るなよ。そもそも、亡者に見つかったのは紅宝玉が光り始めたせいだ。助けるなら、もっと早くしろって話だろ」 「助けてもらったのに文句ですか?」 カリムが小さく笑みながら言う。 「当然だろ! どれだけ肝を冷やしたと思ってんだよ」 今回ばかりは絶望しかけたと、アスアドは荒く息を吐いた。 「そうですね。こんな危機的状況は久しぶりでした。亡者達が消えてくれて助かりましたが、何故、紅宝玉が光ったのか……」 カリムが目を細めて思案する。 静かな空気が三人を包み、亡者が溢れていたのが夢のように感じられた。 「中のジンが窮地を察して亡者を消してくれたんじゃないのか?」 「結果的にはそうでしょうが……紅宝玉の中から外界の様子は分からないですし、魔力の放出も不可能な筈……」 その通りだと思うけど――。 「お前、やけにこの紅宝玉に詳しいよな。そういう事も感じ取れるのか?」 ルトの心を代弁するようなアスアドの率直な疑問に、カリムは頷いた。  「ええ。何となくですが。それより、早く村を出ましょう。再び亡者が出ないとも限りません」 「感動の再会なんてごめんだな。家ん中を探して、皮袋を見つけてくれ。水を確保するぞ」 広場を後にして、急いで家々を探索する。 空家の中は、ほとんどが砂に埋もれて何もなかったが、隅から隅まで探し尽くして、どうにか使えそうな皮袋がいくつか集まった。 ちょっと複雑な気持ちになるが、精霊に放り出された泉の水をたっぷりと入れる。 「日が昇っても、周りに何も見えなかったら厳しいな」 「大体の場所は分かりますよ。オアシスを上手く経由すれば、数日で大きな町に着けます」 「本当か? なら、そこで色々準備してアレムの都に向かって出発するか」 アスアドが、ルトに向かって笑いかけた。 見ているだけで嬉しくなる、優しい笑みだ。 「アスアド、カリム」 ルトは、改めて二人の瞳を真摯に見つめた。 「本当にありがとう」 心の底から礼を言う。 この一言だけでは、自分の中にある感謝の気持ちは全然伝えきれないけれど。 今、無事に紅宝玉を握りしめてアレムの都に向かえるのも、二人がいてくれたからこそだ。 「僕だけだったら、すぐに命を失くしてた。その前に、紅宝玉を取り戻せず絶望してたよ。全部、二人のおかげだ。どれだけ感謝しても足りないよ」 盗まれた紅宝玉を取り戻せたのも、魔人のシディから身を守れたのも、そして亡者に命を奪われずに済んだのも。 全てアスアドとカリムが、共にいてくれたからだ。 「大げさだ。俺達だって色々とお前に助けられたし。お互い様だ。なぁ? カリム」 カリムが微笑みながら頷いた。 丁度、砂漠に日が昇る。 優しく細められたカリムの紺碧の瞳が、美しい朝日を浴びて澄んだ湖水のように輝いた。 (わ……綺麗な顔……)  布を纏っていないカリムの素顔が、日の光の下に晒される。 様々な事が巻き起こって、よく見ている暇がなかったが、カリムもアスアドと劣らぬ端整な顔立ちをしていた。 絹糸のような金色の髪。 理知的な光を宿す瞳に、細く繊細な鼻梁。 形良い桃色の唇。 凛とした美貌は思わず目を惹かれる。 アスアドよりも幾つか年上だと思うが、年齢を推し量れない不思議な雰囲気をまとっていた。 「やっと、夜が明けたな」 「長い夜だったね……」 ルトは東の空を見上げた。 二度と見られなかったかもしれない、新しい朝。  亡者に囲まれた夜から抜け出せたのが奇跡に思える。 (ファリスが僕達を救ってくれたおかげで、この朝日が見れたんだ……) ルトの脳裏に穏やかな表情をしたファリスが浮かぶ。 (ああ。早くファリスに会いたい……っ) 助けてくれた感謝の気持ちや自分の身に起こった事。 全部、全部、話したい。 優しさに溢れた黒緑の瞳を見つめて、あの東屋でのような心を通わせる時間を過ごしたい。 ルトは懐に入れてある紅宝玉を服越しに強く握り込んだ。 「思ったより近いな」 砂山の向こうに、うっすらとオアシスが見えた。 思ったよりというだけで長い距離なのには違いない。 ルトの少ない経験からすると、今から出発すれば昼過ぎから夕方までには着く距離だろうか。 「この時期の砂漠の移動は夜にした方がいいんだがな。文句は言ってられないな」 皮袋を持ち直して、アスアドがルトを見た。 「砂漠の移動は、ほとんどした事がないよな?」 人生のほぼ全てを大都で過ごしたルトにとって砂漠の旅は未知の世界だ。 初心者の砂漠の歩みは少しの距離でも油断できない。 しかも、日差しの強い昼間に歩くのだ。 予想以上に辛いものになるだろう。 「うん。でも、大丈夫だよ。頑張る」 ルトは少しでも信頼してもらおうと、二人に笑顔を向けた。 「急ぎはしないから。もし体に不調を感じたら、すぐに言う事。いいね?」 カリムが念を押してくる。 「分かったよ。無理は絶対にしない」 「よしっ。なら早く出よう。今から気温がどんどん上がるからな。少しでも早くオアシスに着かないと」 アスアドはルトの頭を一撫ですると、廃村に背を向けて歩き始めた。 「アレムの都なんてただの昔話だって思ってたが、まさか実在したとはなぁ。世界一豪華な都ってのも本当なのか?」 「私も詳しくは知りませんが、贅を尽くした都というのは本当らしいですね」 「へぇ~。それで無人っていうんだから、もったいない話だよなぁ……絶対さ、腕輪以外にもお宝が色々ある――」 「いつの間に盗人になったんですか?」 カリムがアスアドの言葉を遮った。 「はぁっ!? 誰も盗もうなんて言ってないだろ! 色々あれば、その、壮観だなって」 「壮観ね……」 呟きながら、呆れた顔をするカリム。 二人のやり取りが面白くて、ルトは声を出して笑った。 この二人とアレムの都まで旅が出来る幸福を改めて噛み締める。 不安しかなかった旅が、楽しみとさえ思えるものになっていた。 (ファリス……アレムの都に一緒に行ってくれる仲間ができたよ。絶対に腕輪を手に入れて封印を解くから……待っててね) 神の怒りをかってしまうぐらい豪奢な都だという伝説のアレム。 カリムが言うには、贅を尽くしているというのは本当らしい。 ルトの中で一番豪華なものは大都にあった王の宮殿だ。 宝石を散りばめた円蓋をはじめ、どこを見ても驚く程の絢爛(けんらん)さだった。 アレムの都はその美しさが謳われるほどなのだ。 きっと、あの王の宮殿よりも素晴らしく贅沢な都なのだろう。 (そんな都、僕には想像もできないな。ファリスは見た事あるのかな……) 砂を踏みしめながらアレムの都の様子をあれこれ想像していると、だんだんと気温が上がってきた。 廃村の中で見つけていたボロ布を頭に巻いて、日除けにする。 早く体力をつけて、アスアド達に心配されないようにしないと。 地味に疲れる重さの皮袋を持ち直していると、アスアドが西の空を見上げて顔をしかめた。 「何だ? 鳥にしてはデカいな……」 一緒に西の空を見上げると、幾つもの大きな影がこちらに向かって飛んできていた。 アスアドの言う通り、鳥にしては異常な大きさだ。 嫌な予感が背筋を這い上がってくる。 その予感に応えるように、カリムが固い表情で口を開いた。 「あれは……シディです。紅宝玉の光で私達に気付いたようですね」  やはりそうか。 ルトは、ものすごい速さで近づいてくる影を見上げる事しかできなかった。 ファリスの魔力で亡者達を退けられたのに、その時の光でシディに見つかってしまった。 皮肉な巡りだ。 「少しは休む暇をくれってもんだな」 「ええ……」 向かってくる影がどんどん大きくなるが、一歩も動きはしなかった。 こんな砂漠の真ん中で、逃げられる場所はどこにもない。 逃げるだけ無駄というやつだ。 静かに空を見上げて立ち尽くしていると、シディと翼を持った数体の食人鬼(グール)が目の前に降り立った。 「捜したよ~」 シディが愛らしく笑った。 可憐な容姿に相対して、尖った犬歯と耳が禍々しい。 「どうやって、こんな場所まで来たの? その紅宝玉が光ってくれなかったら、みんなを逃がす所だったよ」 空を飛んで乱れた髪を指で整えながら、幼い容姿の魔人はのんびりとした口調で言う。 「シディ……。お前がジンだったとはな」 アスアドが、カリムとルトを守るように前に出た。 「アーキル……じゃなくって、アスアドって呼んでいいのかな? そりゃあ、頑張って人間のふりをしてたからね。僕はカリムの方が驚きだよ。とんだ曲者(くせもの)だよね、魔法が使えるなんて。全く予想してなかった。とんだ反則技だよ」 「お前……何で俺の名前を知ってんだよ」 シディの前ではアーキルとだけしか名乗っていなかったのだろう。 声を尖らせてアスアドが険しい顔をする。 「……ご主人様から教えてもらったんだ」 「どういう事だ? お前の主人は誰で、何で俺達の使いなんかしてたんだよ」 「質問が多いなぁ」 シディが楽しそうに笑った。 「二人の側にいたのは、ご主人様の命令だよ。僕は優秀な使い魔だからね」 跳ねるようにシディはアスアドの側に近寄った。 いたずらっぽい大きな目で、精悍な王子を見上げる。 「ご主人様の名前は僕の口からは言えないんだ。そういう決まり。ごめんね」 可愛らしくシディが顔をかたむける。 その横で食人鬼が羽で砂を舞い上がらせながら、ルト達をとり囲んだ。 「そろそろ本題に入ろうか。ルトと紅宝玉。守ってた二人には悪いけど、もらっていくよ」 「昨晩も言ったが、この紅宝玉は持っていても無意味だ。ルトも偶然に入手していただけ。わざわざ主人の元へ連れて行く必要はない」 「僕だって昨日言ったよ。それはご主人様が決める事だってね」 迫ってくる食人鬼に、アスアドとカリムが再び半月刀を構える。 「二人の方がよっぽど無意味じゃない? そんな無駄な抵抗なんかしちゃってさ」 一斉に食人鬼が二人に襲いかかる。 二つの刀が立ち向かうが、異形達の隙間からシディの魔力も加わり、瞬く間に王子と側近の体が砂の上に弾き飛ばされた。 「アスアドっ! カリム!」 倒れた二人の元に駆け寄ろうとするが、シディがアスアド達の前に立ちはだかった。 「ねぇ、ルト。抵抗せずに一緒に来てくれたら、これ以上アスアド達には何もしないよ」 「こいつの言う事なんか聞くなっ」 鋭く声を上げるアスアドに、食人鬼が距離を詰める。 「やめてっ! 一緒に行くから、二人に手を出さないでっ!」 泣きそうな顔で叫ぶルトに、シディが頬を緩めた。 「ルトは優しいね。ちゃんと紅宝玉は持ってる? また出し抜かれたくはないからね」 「持ってるよ。ここにある」 ルトは懐から紅宝玉を取り出して、シディに見せた。 「帰る途中に落したら嫌だから、僕が持つよ」 シディが紅宝玉を手にしたのを見届けると、一番大きな食人鬼がルトを無造作に抱え上げた。 「っ……!!」 恐怖で口から漏れそうになる声を必死に抑え込む。 素直に従わなくては。 アスアドとカリムに危害を加えられるのだけは阻止しないと。 「アスアド、カリム。二人と一緒にいた時間は、とても楽しかったよ」 シディと食人鬼達が、ふわりと宙に浮いた。 抱えられたルトも気持ちの悪い浮遊感に唇を噛みしめる。 「裏切る事になって、ごめんね」 「さっきから謝ってばかりだな。余計に腹が立つ」 宙に浮くシディをアスアドは強い視線で睨み上げた。 「怖いなぁ。別に殺そうとしてないんだから、いいでしょ?」 不愉快な羽音と共に、ルトの体が地上から大きく離れた。 「ルト! 絶対に助けに行くからな! 待ってろよ!」 シディが歌うように笑った。 「僕達の後を追えるとは思えないけど。さすが王子様。格好いい言葉だね」 無邪気なシディの声が心を逆撫でする。 「じゃあね!」 天高く飛び上がるシディに食人鬼達が続く。 「ア、アスアド、カリムっ!」 「ルトっ!!」 呼びあった名を最後に二人の姿が小さくなり、大きな砂漠の中に消えていく。 (捕まってしまった……) ルトの目尻に涙が溜まる。 亡者の手から、せっかくファリスに助けてもらったのに。 これから三人でアレムの都を目指して旅が始まる所だったのに。 スリ師から取り戻した紅宝玉も再び奪われて。 何故かルトも一緒に捕らわれてしまった。 紅宝玉と離れてしまうよりは良かったけれど。 アスアド達と最悪な形で別れてしまった。 (シディは何故、僕を捕らえたんだろう……) アレムの都の存在を知っていたルトに対して、警戒心を露わにしていたシディ。 紅宝玉の中に魔人と食人鬼がいる事には気付いていないようだったが、異質な力は感じていたようだった。 そして、紅宝玉を(あるじ)のものにしようとルトまで捕まえて。 アレムの都の存在を知っているルトを余計だと言っていた。 どういう意味なのか。 アスアドの名前と身分まで知っているシディのご主人様とは誰なのか。 全く、何が何だか分からない。 ルトが考えている間にも、どんどんシディ達は飛ぶ高度を上げていく。 想像すらできない高さまで体が持ち運ばれ、たちまち身体が震えあがった。 「怖いだろうけど我慢してね。高く飛ぶと早く着くから」 シディに言葉を返す余裕もない。 「命の心配はしなくていいよ。ご主人様は、無駄に命を奪うのを嫌うからね」 シディの声が全く頭に入らなかった。  何とか言葉を紡ごうとするが、口から出るのは小さい悲鳴だけ。 「そんなに怯えないでよ。絶対に落さないから。しばらくすれば嫌でも慣れるしね! 広い空を飛ぶなんて、人にはできないから貴重だよ!」 シディの言葉を受け止めて親切心を出したのか、ルトを抱えた食人鬼が大きく旋回した。 「ひぃっ……!」 空中で体が弄ばれて、限界を超えた恐怖が身を襲う。 (もう、だめだ……) 「ちょっと! やり過ぎだよ!」 シディの制止も空しく、ルトの意識は途絶えていた。
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