第六章

1/1
124人が本棚に入れています
本棚に追加
/11ページ

第六章

「ルト。お前には感謝するよ」 「ええ。本当に。金の腕輪がこの都にあったとは驚きですね」 王と使い魔が微笑みながら視線を交わす。 「……ここに腕輪が必ずあるとは限りません……!」 全てが順当だと言うような二人の様子に悔しさが湧き、ルトは思わず反論してしまう。 「四百年の間に、どこかに失われたと言いたいのかな?」 ヘイデルは小さく笑う。 「大丈夫だよ。アムジャット様以外に、この都に足を踏み入れた者はいない。全てが四百年前のままだからね」 「封印を解いたら……本当にグール達を世界中に放つつもりですか?」 「使い道は色々あるけど……アムジャット様が伝説の都の偉大なる王である事を知らしめる為には、魔軍を世界の隅々にまで行き渡らせないとね」 やはり、食人鬼達を使って世界中を恐怖のどん底に突き落とすつもりなのだ。 「何故ですかっ!?」 ルトは声を荒くした。 故郷の惨事を語るアスアドの瞳の奥にあった深い悲しみ。 王子から流浪の身になった彼の八年間は、どれだけ辛く苦しいものだっただろう。 愛する家族と国民が石になってしまった衝撃と喪失感。 それはアムジャットだって同じ筈。 何故、故郷を無視してアレムの王を名乗るのか。 どうして、魔軍を世界に放つなんて悪事を考えているのか。 「……故郷の国は魔法で不毛の地になっていると聞いています。そんな恐ろしい事をする前に、ここにいる沢山のジンの力で魔法を解く方法を――」 「魔法を解く?」 アムジャットはわざとらしく口角を上げて嘲笑した。 「そんな事は望んでいない。元より、国を不毛の地にしたのは私だからな」 「え……?」 「私がヘイデルに命じて、全てを岩と砂にさせたんだよ」 (どういう事……!?) アムジャットの言葉が上手く理解できない。 頭がぐらりと回って、その場にうずくまってしまいそうになるのを、ルトは懸命にこらえた。 「な、何で……」 (本気で意味が分からない。アスアドは国の魔法を解く為に八年間もカリムと旅を続けているっていうのに……!) 驚愕と困惑の表情で玉座を見上げるルトの背後で、従僕達が都中から集めた金の腕輪を積み上げていく。 瞬く間に集まったそれらは黄金の山になり、華美な王の間の中でさえ異質な存在感を放っていた。 「アムジャット様、集まったようです」 都中を探索していた従僕の流れが途絶えるのを見て、ヘイデルが片手を上げる。 途端に異形らは蜘蛛の子を散らしたように去っていき、黄金の山を囲むように十数体が残るのみとなった。 「この中にある装飾の宝石が欠けている腕輪を全て探し出せ」 玉座から腰を上げてヘイデルの隣に並んだアムジャットの命令に、残っていた従僕達が腕輪に群れる。 美しい細工の金の腕輪が無造作に選別され、装飾が欠けているものが並べられていく。 ルトはその作業を無言で見つめた。 七つの島の国を岩と砂にしたのは、兄王子のアムジャットだった。 弟王子のアスアドはそれを知らずに国を元に戻す為、世界中を旅している。 兄も石になったと信じて疑わずに。 (そんなの……ひどいよ……) 項垂れるルトとは対照的に、アムジャットは晴れやかな笑みを見せた。 「この中にあるのだな……」 「はい。まさか……四百年もの間、このアレムに眠っていたとは」 ヘイデルが装飾が欠けた腕輪達の側に片膝をついた。 「ここからは、私が目を通しましょう」 ヘイデルが一つずつ丁寧に腕輪を確認していく。 (そうだ。びっくりする事ばかりで、呆然としちゃってた。これからが大事な時だっていうのに) ルトは次々と明るみになる衝撃的な事実に圧倒されていた心を奮い立たせた。 一番の機会を逸する訳にはいかない。 (慎重に……。ゆっくりと……!) 不自然に思われない動作を心がけながら、ルトはアムジャットの手中にある紅宝玉が見える位置まで移動した。 よくは見えないが、握った指の隙間から紅い石が確認できる。 そして、腕輪に気を取られてアムジャット達は気付いてないが、紅い石は仄かに光を帯びていた。 (よかった……。ちゃんと反応してる……!) 心臓が急速に鼓動を増していく。 ――紅宝玉と腕輪は引かれ合う。近くに腕輪があれば、互いに反応を示すだろう――。 紅宝玉の中で聞いた、ファリスの言葉。 アムジャット達の様子からして、互いが反応する事までは知らないのだろう。 そこに、隙が生まれる。 (上手くすれば二人を出し抜ける。機会は一瞬だ) ルトがファリスと直接会って約束を交わしているのは、二人にとっては想定外。 そして、誰にも知られずに紅宝玉は反応してくれている。 (成功すれば、ファリスを解放して二人で逃げられる。頑張らないと……!) 腕輪はすぐ側だ。 「装飾が細やかなものが多くて分かりにくいですね。ルト、腕輪の特徴は聞いてないかな?」 「……知りません。金の腕輪としか聞いてないです」 ルトはゆっくりと答えた。 声が震えてないだろうか。 態度に出てないだろうか。 勘付かれたら、お終いだ。 握った拳に汗がにじむ。 (反応が出ている腕輪をヘイデル達より早く見つけないと。強く光り始めたりしない内に……!) 何度も目を走らせるが、選ばれた腕輪達には何も変わった様子は見えない。 (と、いう事は……。候補から外された中にあるんだ) ルトは己の横にある腕輪の山に目をやった。 従僕が振り分けた、装飾が完璧だと判断された腕輪だ。 これまたゆっくりとアムジャット達の視界から外れる場所に移動して、輝く金の山を目で捜索する。 (どこっ、どこに……っ。早くしないと気付かれる。もしかして、見えない位置にあるのかな……) 気持ちが焦って視線がぶれる。 上手く探せなくて冷汗が服の下を伝った。 (早くっ、お願い……見つかって!!) しばらく必死で目をこらしていると、ルトの足下近く。 重なった腕輪の奥に、不自然に光るものが見えた。 (あった!! これだ!!!) 全身が心臓になったような心地になりながら、ルトは周囲を観察した。 従僕達は、まだ腕輪の選別に追われている。 ヘイデルは膝をついて装飾が欠けた腕輪を丁寧に確認していて、その背後にアムジャットが立っていた。 こちらに意識が向いていない、絶対の好機が訪れている。 しかし――。 ルトは自分の後ろに意識を向けた。 先程から一言も話さず、金の腕輪を前に動く事もないけれど。 シディがいる。 王の間に来てから、まるで空気のようだが。 ルトがおかしな動きをすれば、すぐに捕らえられてしまうだろう。 どうすればいいか。 せっかくアムジャットとヘイデルの意識が腕輪に向いているのに。 シディが背後から動くのを待つか。 しかし、それでは今の好機を逃がしてしまう。 ルトの心が迷いと焦りで激しく乱れた。 失敗すれば、腕輪をアムジャットに差し出すようなものだ。 いや、でも、腕輪に紅宝玉さえはめ込めば。 そこで捕らえられたとしても、名を呼べばファリスを解放できる。 (よし……! シディに捕まる前に、何としてもはめ込めばいいんだ!) ルトは全神経を集中させた。 「紅宝玉があった方が、分かりやすいか?」 アムジャットが腕輪の細工を確認しているヘイデルの手元を見ようと一歩足を進めた。 ルトと、そして王の手中にある紅宝玉を注視している者は誰もいない。 (今だっ!) ルトは足下でほのかに光る腕輪を拾うと、自分至上最高の速さでアムジャットの手から紅宝玉を奪った。 蔦草が絡み合う、優美な細工の金の腕輪。 一見して宝飾が欠けているようには見えない。 裏側から石をはめ込み、金の細工の隙間から紅宝玉を見せるという、分かりづらい仕組みだったが、ルトは吸い込まれるように紅い輝きを腕輪に戻した。 変わった仕組みの宝飾品など、父の側で飽きる程に見ていた。 「ルトっ……お前――」 怒気をにじませるアムジャットの言葉をさえぎって、ルトは叫んだ。 「ファリス!! 僕と一緒に逃げて!!」 ルトの声に、王の間が強烈な紅い光に満たされる。 (上手くいった!) シディに捕らわれる事もなく、無事にファリスの封印が解けたのだ。 喜びを噛み締めた瞬間に、あらゆるざわめきが遠くなった。 「んっ……っ!?」 体が浮いて、いや、抱えられているのか。 周囲の状況を把握する前に、ルトは横抱きにされて王の間を飛び出していた。 「ごきげんよう、ご主人様」 「あ……」 視界を奪っていた強烈な紅い光が消えて、自分を抱えてくれている男の姿がはっきりと見えた。 優しく光る黒緑の瞳。艶やかな漆黒の髪。 薄めの唇は穏やかな弧を描き、心地良い低い声を紡ぎ出している。 美しく凛々しい、その姿。 紅宝玉の中で再会を誓った魔人が。 会いたいと心の底から願っていたファリスが目の前に。 ルトを力強く腕に抱いてくれている。 (温かい……。ファリスだ……本物だ……!!) 四百年ぶりに腕輪から解放された魔人が、ルトを見つめながら笑みを浮かべていた。 「ファリス、ファリス……っ!!」 ルトはファリスの首に腕を回し、思いきり抱きついた。 鼻腔をくすぐる龍涎香の芳しい香り。 ファリスの温もり、感触に、胸が詰まる思いがする。 (会えた……会えたんだ。僕は、ファリスと再会できたんだ……!!) 「ルト……」 宮殿の中を飛びながら、ファリスは胸の中にいる少年を強く抱き返した。 「こんなに早く再会できるなんて……さすがは俺のご主人様だ」 喜びに打ち震えるルトの黒髪に軽く口付けて、ファリスは伝説通りの豪奢な宮殿に視線を走らせた。 「……存分に礼をしたい所だが、厄介な事になっているようだな」 ファリスの視線の先。 数多の魔人や食人鬼が、二人の後を追って来ていた。 (そうだ。ファリスと会えて、つい喜びで一杯になっていたけど。僕達は逃げてるんだ) ルトは腕を緩めて、改めてファリスの瞳をまっすぐに見つめた。  包容力溢れる黒緑の瞳と視線を交わしていると、うっとりとして何も考えられなくなってしまう。 こんな非常時なのに緩みそうになる気持ちをぎゅっと引き締めて、ルトは口を開いた。   「……アレムの王と名乗ってる人が紅宝玉の中のグールを狙っているんだ。世界中に放つ気だって……」 だめだ。 何だこの簡素過ぎる説明は。 言いたい事は口が足りないぐらい沢山あるけど、どこからどう話せばいいのか。 自分の話術では説明が不可能だった。 「あいつらを使えば、圧倒的な力を手に入れられるからな」 「世界を征服してしまう事も出来る……?」 「そうだな」 「…………」 ルトは己の手首にはめた金の腕輪を見つめた。 この中にいる、おぞましい異形達。 囲まれた時の絶望感を思い出すだけで背筋が冷たくなる。 あの時と同じ恐怖を世界中の人々が味わう事になるとしたら――。 (そんなの、絶対に止めないと――!!) 追手の気配がどんどん濃くなっている。 それらを避けながらファリスは廊下を突き抜け、小さな中庭に出た。 「あんなものに追われて……アレムに来るまで随分と苦労しただろ。まさか、今更グールを狙う人間がいるとは……。辛い目に遭わせたな」 ファリスの表情が曇る。 ルトは慌てて首を横に振った。 「ファリスのせいじゃないよっ! 僕こそ……封印を解くだけのはずなのに、こんな騒動になってしまってごめん。でも、早く会えてよかった」 「俺もだ」 微笑み合っていると、廊下の奥から追手が庭に飛び出してきた。 「王の間にいたのは、かなり強いジンだったな。少し難航しそうだ」 ヘイデルとシディ。 きっと、どちらも強い魔人だ。 ファリスはルトを強く抱き直すと、襲ってくる魔人を吹き飛ばし、庭を横断して渡り廊下を飛び抜けた。 「……すごい数の柱だね」 宮殿の正面へと通じる大広間に飛び込むと、広い空間に数えきれない程の円柱が並んでいた。 どれも金銀宝玉がこぼれる程にあしらわれて、これでもかと輝いている。 「円柱の都と呼ばれるぐらい、ここは柱が多いんだ。建設時には柱の数が住む者より多くなると言われていた」 所狭しと並んだ円柱達を凄まじい速さで避けながら、ファリスは風を起こして追手を吹き飛ばす。 多くの魔人が倒されるが、追手は数を減らすどころか、どんどん増えてきていた。 ルトの脳裏に宴をしていた大量の亡者達がよぎる。 再び、こんな風に追われる事になるなんて。 「ファリスっ! あっちからも追手がっ……!」 大広間の四方から魔人がこちらに向かってくる。 「一度、下におりる」 追手に四方を囲まれ、ファリスは金と真珠の細工が美しい柱の側へルトを降ろした。 「うじゃうじゃ湧いてくるな……」 「ジンだけじゃなくて、グールも沢山いたよ」 「そりゃキリがないな。とりあえず、ここにいる奴らだけでも倒しておくか」 そう言って、ファリスはルトに背中を向けた。 「俺の背につかまれ」 「う、うん」 ファリスの広い背にしがみついたと同時に、大広間に閃光が走った。 視界が真っ白になって、まぶしさに目を閉じる。 何が起こったのか。 分からないまま恐る恐る目を開けると、大広間に大量の砂が積もっていた。 円柱と砂だらけの大広間だ。 そして、魔人は一人も見当たらない。 (もしかして、追手が全員、砂に……?) 大広間には魔人が大挙していたのに。 すさまじい魔力だ。 「今のうちに宮殿から出るぞ」 驚いているルトをすくい上げて横抱きにすると、ファリスは再び柱の間を飛んでいく。 行く手を阻む魔人の姿はなく、二人は大きく開け放たれた正面の大扉から外へと躍り出た。 このまま、上手く都から脱出できればよいのだが――。 そんなルトの願いは叶えられないようだった。 「ファリス……?」 宮殿を出て、追手が来ない内にアレムから去るのかと思いきや、ファリスが宮殿の上空で動きを止めた。 「ルト……」 ファリスが表情を険しくした。 「どうかした?」 「この都には結界が張ってある。かなり強いものだ。どうりで追手が生ぬるいと思った」 黒緑の瞳が、忌々しそうに空を見上げた。 ルトには見えないが、亡者の村でのように、外に出られないようになっているのか。 「ファリスの力で、出るのは難しい?」 「結界を壊せなくはないが、その間に捕まるな。とにかく、一度どこかに隠れよう」 急降下して、宮殿の隅へ身を隠す。 外庭にも宮殿内にも、大量の従僕が闊歩していた。 だが、どの魔人もファリスが強い魔力を使うまでもない低級なものばかりなのが、ルトにも分かった。 「弱い奴ばかりだ。完全に俺達で遊んでるな」 逃げられたと思ったのに。 隙をついてファリスを呼び出せたと喜んだが、アムジャット達からすれば、とんだ笑い種だったという事か。 ルトの心に悔しさが広がった。 「ルトは王の間にいた強いジンの名前を知ってるか?」 「うん。ヘイデルと、子供の方がシディだよ」 「ヘイデルとシディ……。知らない名だな。直接相手をして勝てるかどうか」 (いくらファリスが強いからって、二人同時に相手をするのは大変だ) 「ファリス……あまり危険な事は――」 「だが、逃げ続ける訳にはいかないだろ? うまく結界を破ったとしても、ヘイデル達との戦いは避けられない」 「そう……だけど」 すぐ側まで食人鬼が歩いて来ている。 ルトは口を閉ざして、身を固くした。 都中を見張っている魔人や食人鬼に見つかれば、すぐにヘイデル達が来るだろう。 結界を破っても同じ事。 腕輪を守って逃げるには、ファリスの言う通りヘイデル達との衝突は必須だ。 しかし――。 「ルト! ルト!」 悩みを身体中に巡らせていると、従僕の雑踏に紛れて覚えのある幼い声が聞こえた。 (この声は……シディ?) 声のする方を見上げると、幼い魔人が周囲に視線を振りまきながら宮殿の周りを飛んでいた。 「王の間にいた……シディだな。ルトを個人的に捜しているようだが」 「シディは紅宝玉の力に気付いて、僕をここに連れて来たんだ。最初は味方だと思ってたのに、王の使い魔だった」 シディが隠れているルト達に気付かず、すぐ上空を飛んでいく。 「……話してみるか」 「え? そんな事をしたら、捕まるかもしれないよ」 アスアドとカリムを騙して、己を無理やりアレムへとさらってきたシディ。 アムジャットから逃げている今。 とても話をする気になんかなれない。 「今の俺達はただの玩具だ。あちらが本気を出せば、すぐに追い詰められる。シディは何やら訳ありでルトを捜しているようだったし、話を聞くぐらい良いだろ?」 「で、でも……」 難色を示すルトをよそに、ファリスは飛び去っていくシディの背を魔力でつついた。 「あ!」 こちらを向いたシディは、周囲に目を配りながらルト達の元に降りてきた。 「ルト! 捜したよ!」 「腕輪を奪い返す為に?」 皮肉気に返したルトに、シディは慌てて首を横に振った。 「ち、違うよっ。信用はしてくれないと思うけどさ……色々、伝えに来たんだ」 「それはありがたいな。話してくれ」 「ファリスっ」 「ルト、少し落ち着け」 全身でシディを警戒するルトの腰にファリスは優しく腕を回した。 「王の間で俺の封印を解いた時……シディは阻止できる位置にいただろ。でも、しなかった。何か訳がある筈だ」 「…………」 ルトは無言でシディを見た。 確かにそうだ。 ファリスの封印を解く時。 シディに捕まるのは確実だと思っていたけれど、結局はすんなりと王の間から逃げられた。 あれはルトの動きが早かったからではない。 シディがわざと見逃してくれたからだ。 (でも、だからって信用はできないよ……) 「信じてくれなくてもいいよ……ただ、僕の話は聞いて欲しい」 シディは口元を引き締めて、ファリスとルトを見上げた。 (アスアド達を裏切って。僕達を見逃す事で自分の主も裏切って。シディは一体、何を考えているのか……) そこに、現状を打開する何かがあるとファリスは思っているのかもしれないが。 「分かってると思うけど、二人は結界の中で泳がされているだけだよ」 「だろうな。見回りしてる奴らは雑魚ばかりだ」 シディは頷きながら続けた。 「ヘイデルが強い従僕を使ったり、自分で動いて二人を追い詰めないのは、時間稼ぎをしているからなんだ。逆に、ご主人様はすぐにでも魔軍の封印を解きたがってる」 「逆に? 何で主と使い魔の思惑が逆なんだよ」 「それは……ヘイデルがご主人様の意向に逆らって、アスアド達を殺そうとしてるから」 「え!? アスアド達をっ!?」 驚いたルトの口が、大きな掌に包まれた。 「ルト、声を落とせ」 「ご、ごめん」 衝撃的な言葉に、思わず大きな声を出してしまった。 「前から、ヘイデルはアスアド達を殺そうとしていたんだ。でも、ご主人様はそれを望んでいなかったから、渋々従ってた」 「……じゃあ、今回の騒動に乗じて二人の命を……って事?」 「そう。ルト達をあえて泳がせているのは、腕輪と交換する為の人質としてアスアド達をここに連れてくる建前ができるから」 結界が張られて、簡単には出られない都の中。 意図的にルト達を泳がせて、捕獲が難航しているようにアムジャットに思わせる。 このままでは捕まえるのが難しいと判断させて、ルトが腕輪を進んで手放すには人質、つまりはアスアドとカリムを利用すればいいと進言する。 そうして、腕輪を取り戻す為の人質と称して二人をアレムに連れてきて、後は魔軍を解放した騒ぎに紛れて命を奪う。 ヘイデルの思惑を、シディは己の推測も交えて語った。 (という事は、この状況も全てヘイデルの想定内なんだ……。アスアド達を人質にして僕達から腕輪を奪った後、皆を殺す。もちろん、僕とファリスもだ) 「……ねぇ、シディ。何でヘイデルはアスアド達を殺そうとしているの? そもそも、どうして国を不毛の地になんて……」 浮かぶ疑問をぶつけていくと、シディが困惑顔を見せた。 「ちょっと話が長くなりすぎるよ! 僕も知らない事が多いし」 「じゃあ、俺から一つ」 ファリスが小さく挙手をする。 「シディは王の使い魔をしていると聞いたが、この密告に等しい行為は裏切りに当たらないのか? 使い魔の裏切りは、死を意味するが」 「別に、ご主人様の命令に直接逆らってる訳じゃないから大丈夫だもん」 可愛らしく唇を尖らせて、シディは視線をわずかに下げた。 「……僕はヘイデルが嫌いなんだ。あいつの思惑通りに事を運ばせたくない。それに、ご主人様は騙されてるだけなんだから」 (騙されてる――?) どういう意味か。 質問したい多くの謎が、ルトの頭の中に押し寄せてくる。   「時間があれば、もっと話したいけど……あ、来たよ」 「流れ星……?」 遠くの空から一筋の流星のように何かが宮殿の中へと吸い込まれていった。 「アスアド達だよ。移動の速いジンに運ばせたんだ」 (二人がアレムの都に連れて来られてしまった……こんなに早いなんて) 「人質の到着か。もう少し俺達を泳がせておくのかと思ったが……」 ルトが思った事をファリスが口にした。 「ご主人様は割とせっかちだからね。早く人質を連れて来いってヘイデルを急かしたんだと思う」 ファリスが吐き捨てるように一笑した。 「アレムの王は、使い魔達と全く気が合ってないようだな」 「違うよ。僕は――」 反論しようとシディが口を開いた瞬間。 都中の魔人と食人鬼が一斉に動きをピタリと止めた。 「え!? な、何?」 「ヘイデルの指示だね……」 まるで時を止めたかのように、全く動かない異形達。 急に静かになった不気味な都に恐怖を覚えていると、頭の中でヘイデルの声が響いた。 「ルトと使い魔のファリス。聞こえているかな?」  直接、脳内に届く甘い声。 嫌な感覚にルトは眉根を寄せた。 「先程は隙をつかれて、とても驚いたよ。ルトが腕輪の中のジンと仲良くなっているなんてね。それに、私の従僕達も無能ばかりで呆れたよ。でも、逃げられなかったでしょう? この都から出るには、私を殺して結界を壊すしかないからね」 声しか聞こえないのに、ヘイデルが余裕の笑みを浮かべているのが分かる。 全てが計画通りに進んでいるのが悔しい。 「ファリス。私は、もう少し貴方の力量を知りたかったのだけど、あまり遊んでいられなくてね。合理的に事を運ぶ為に、君の主の友人を連れて来たんだ。互いに力を使わずに、穏便に腕輪と友人を交換しよう。逆らっても、どうせ都からは出られないしね。もちろん、おかしな試みをしようとすれば、ご友人達が悲惨な目に遭う事になる。いくら、我が主の弟君と側近だからと言っても……ね」 それでは王の間で待っているよ、と言い残して甘い声が消え、魔人達が再び動き始めた。 「シディの言う通り、早速人質と交換宣言だな。今までの話からすると、王の弟がルトの友人で、アスアド……という事か?」 ルトは大きく頷いた。 ファリスには説明していない話が盛り沢山だ。 「なるほどな。目標としては、ルトの友人を守りつつ、魔軍の世界放出を止めつつ、ヘイデルの計画もぶち破るって流れか。四百年ぶりに外に出られた事を喜んでる場合じゃないな」 「ヘイデルの計画って? アレムの王と一緒に魔軍を解放する事じゃなくて?」 ルトは首をかしげた。 「主の意向を無視して、弟を殺そうとしてるんだ。何か良からぬ事を考えてるに決まってる。魔軍を解放した裏で絶対に何かやらかすつもりだろ」 「僕もそう思う。ヘイデルは言葉巧みに騙して、ご主人様を孤独にしてるしね。絶対に何か考えてる」 「孤独に?」 国を砂と岩にしたのはアムジャットの意思ではないのか。 自ら孤独に突き進んだようにしかルトには思えないが。 「アスアドに会って、ご主人様が騙されてるって僕は確信したんだ」 「……色々話が込み入ってそうだが、聞いている暇はないな。王の間に戻ろう。最優先はルトの友人達の命だ」 ルトとシディは、その言葉に揃って頷いた。 ヘイデルはアスアドとカリムの命を狙っている。 早く迎えに行かないと。 一秒だって油断できない。 二人と無事に会えたとしても、向こうの要求通りに腕輪を渡した時点で、ヘイデルは皆の命を奪おうとするだろう。 「……どう動けばいいのかな」 ルトは己の腕にはめられている金の腕輪を見つめた。 都に閉じ込められた上に人質をとられ、もう腕輪を渡すしか道はない。 しかし、腕輪がアムジャットのものになってしまえば、おぞましい食人鬼達が世に放たれ、ファリスが推測しているヘイデルの野望をも推し進めてしまう事になるだろう。 「ルト」 腰を引き寄せられ、ルトは黒緑色の瞳を見上げた。 「腕輪は王にくれてやろう。魔軍が解放された時が、俺達にとっては逆に好機になる」 「好機……? そんな……」 解放されてしまえば、その瞬間に世界の破滅が決定してしまうのではないのか。 精悍な魔人の顔が、ルトを安心させるように穏やかな笑みを浮かべた。 「大丈夫だ。友人達にも手出しはさせない。だから、ルトは何があっても決して俺から離れないように。それと……」 ファリスは、幼い魔人を見下ろした。 「シディが不穏な動きをしないか見張ってくれ」 「ちょっと! しないよ! 正直にいうと、僕はご主人様に魔軍の解放をして欲しくないんだ。でも、僕の言う事なんて聞いてくれないし。ヘイデルには、ご主人様との会話が見張られているんだ。変な事を言えば、きっと殺されちゃう」 「え!? 一緒に仕えてるのに……」 ヘイデルとシディはそんな緊迫した関係なのか。 「余計な事を耳に入れるなって話か。王は、お飾りの人形か?」 「ある意味、そうかもしれない。魔軍を解放する事は、ご主人様以上にヘイデルが望んでいたみたいなんだ……」 シディが唇を噛みしめた。 真に腕輪を求めていたのはヘイデルだった。 主の実弟であるアスアドの命も狙っていて、シディが言うには主の事を騙しているという。 ヘイデルが何か野心を持っている事は間違いなさそうだ。 「ファリス……」 ルトは己の使い魔の名を小さく呼んだ。 腕輪に封印されている魔軍。 捕らわれて、命を狙われているアスアドとカリム。 ヘイデルの密やかな野心。 色々なものがルトの心を乱し、苦しませる。 「心配しなくても全て上手くいく。ヘイデルの思い通りにはさせないさ」 「うん……」 ファリスが力強くルトの手を握った。 大きく優しい手が、ささくれ立った心を温かく包み込んでくれている気がする。 (ファリスの言う通り、上手くいくって信じて頑張らないと……!) ぎゅっと大きな手を握り返して、ルトは何度も頷いた。 再び、王の間へ。 これから先、どうなるか全く予想もつかないけれど。 (僕にできる事は全力で。アムジャットやヘイデルの企みを阻止して、皆で無事にアレムの都を脱出する! 絶対にだ!!) 決意を新たに、ルトは琥珀の瞳に闘志をみなぎらせた。
/11ページ

最初のコメントを投稿しよう!