すくわれたおおかみのはなし。

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すくわれたおおかみのはなし。

「北の森のあいつ、ついにこの南の森までやってきたらしい」  近所に住んでいる伯父さんは、今まで見たこともないような怖い顔をして言った。 「ヴィンス、お前も気をつけろ。出かける前、寝る前。必ず家の鍵をかけるんだ、いいな?」 「わかりました、伯父さん。伯父さんも気を付けてくださいね」 「ああ」  真っ白な僕と違って、伯父さんは全身が灰色の毛でおおわれた兎だ。ぴこんぴこんとはねる伯父さんのしっぽが遠ざかるのを見送った後、僕はふう、とひとつ大きく息を吐いた。  そして小屋の扉を閉めて鍵をかけると、室内に向かって声をかける。 「サイラスさん、もう大丈夫です。出てきていいですよ」 「…………」  ベッドの下から、ずるりと這い出してきたのは――全身真っ黒な毛で覆われた、大柄な影。  小さな僕の倍以上の背丈を持つ、オオカミだ。 「……匿ってくれて、ありがとよヴィンセント」  サイラス、という名前のオオカミである彼こそ。先ほど伯父さんが言っていた“北の森から逃げてきたやつ”である。  肉食動物と草食動物は相いれない。肉食動物にとって、基本的に草食動物はみんな餌でしかないからだ。  それでもウサギの僕は今、北の森から逃げてきたオオカミである彼を家に匿っている。  僕の家には、オオカミがいる。他ならぬ、僕の意思によって。 「もう俺が逃げてきたって噂、流れてきてんのか。困ったもんだな」 「草食動物は数が多いですからね。独自のネットワークも発達してます。噂が広まるのは肉食動物の間よりずっと早いんですよ。みんなで力を合わせて、肉食動物から身を守らないといけませんからね。だから、肉食動物より、武器や道具の扱いに長けた者が多いんです」 「そうだな。俺らも包丁くらいは使うが、猟銃持ってる奴なんざ群れでも見たことねーや」 「でしょう?だから、サイラスさんも気を付けてくださいね。いくら体が大きくても、猟銃でズドン!ってやられたらサイラスさんだって危ないでしょうから」 「おう」  まあ、猟銃まで扱える草食動物はまだそう多くはない。銃の扱いに慎重な意見が村でも多く、結果一部の資格を取得した村人しか所有を許可されていないからである。昔、何匹もの草食動物に猟銃を許可した結果、村人同士で殺し合いになり血みどろの惨劇を招いた事件があったのだそうだ。以来、草食動物達のギルドでは、長達が慎重な意見を持つことが多いのである。  伯父さんもまた、そんな猟銃を許可された警備兵の一人。  幼くして両親と兄弟を失った僕にとっては、数少ない家族である。ただ、少しだけ考え方が頑なというだけだ。僕がオオカミを匿っているだなんて知ったら、間違いなく激怒することだろう。  そう、僕だってまさかこんなことになるとは思ってもみなかったのだ。ほんの一週間前、血だらけで川を流れてきた彼を見かけて保護するまでは。 「……つか、本当にこのままでいいのか。俺がオオカミで、お前がウサギだって事実には変わりねえだろ。こういうコミュニティってルールが厳格なはずだぜ。あの伯父さんや他の草食動物にバレてみろ、村八分は確実だろうが」  俺をさっさと突き出した方がいいんじゃないのか、とサイラスは言う。その話はもう何回もしたんだけどな、と僕は呆れて告げた。 「別に、そうなっても気にしませんし。それに……約束は守ってくれるんでしょう?」  一番最初に出逢った時。彼が言った言葉を、自分は忘れていない。 「いざとなったら、あなたが僕を殺して食べてくれるでしょう?だから何も問題はないです。……さあ、スープの準備をするから、ちょっとそこで待っててくださいね」
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