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第一項 ローマの名前について:参考
○参考
ハドリアヌス帝時代のブリタニア総督ネポスの立像の台は、こういう文章で始まっている。(原文は碑文なので略語が多いが、以下では補ってある。)
「Aulo Platorio Auli filio Sergia tribu Nepoti Aponio Italico Maniliano Caio Licinio Pollioni」
碑文はまだまだ続くが、冒頭のこの部分の意味は、「アウルスの息子、セルギア選挙区のアウルス・プラトリウス・ネポス・アポニウス・イタリクス・マニリアヌス・ガイウス・リキニウス・ポッリオのために」だそうな。この方、恐らくガイウス・リキニウス・ポッリオとして生まれ、アウルス・プラトリウス・ネポス云々氏の養子となったのだろう、とのこと。
せっかくなので、碑文からもう一つ。
「Quintus Naevius Quinti filius Fabia tribu Cordus Sutorius Macro praefectus Vigilum praefectus praetori Tiberi Caesaris Augusti testamento dedit」。某市の円形競技場の入口に掲げられているもの。意味は、「クィントゥスの息子、ファビア選挙区所属、消防隊長、皇帝ティベリウスの近衛隊長クィントゥス・ナエウィウス・コルドゥス・ストリウス・マクロが、自らの遺言によって奉献した」である。
※ローレンス・ケッピー「碑文から見た古代ローマ生活誌」参照
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