- 13 - pure hacker

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- 13 - pure hacker

 最初の連絡はIMで入って来た。  アヤは、ディスレイにポンと飛び出して来たメッセージウィンドウの文字を読んで……一瞬、頭の中が混乱する。その混乱を整理する間もなく、携帯が鳴る。  そのメロディがますます混乱に拍車をかける。誠からのコール。彼が携帯にかけて来ることは滅多にない。ないからこそ、音を分けたのだ。 「誠?」 『……そこからCyber Onlineに入れるか?』  用件も何もない、すっ飛ばした早口。ただ、そんなことをわざわざ尋ねられるとすれば用件の想像はついたも同然だった。  一ユーザーとしてなら、何処からだって入れるのだから。そう訊かれるということは、管理者モードで入れるかどうかを訊いている。 「ううん、無理。……プロジェクトルーム開けて貰う?」 『……しないよりマシだな』  恐らく誠は動いているのだろう。がさごそと雑音が混じっている。 『今から向かう、けど、正直鷲尾さんの領域だと思う』 「鷲尾さん……てことは……」  Cyber Online側のシステム開発グループの1人の名前だった。ちょこちょことオンラインでは会っている程度で、懇意ではない。  バウンスとして作られているシステムは殆どこちらの担当だが、それでもこっちではどうしようもない領域、というのが、存在する。一番基本的なことは、バウンスがそもそもCyber Onlineが運営する有料コンテンツの1つであるということ。課金とアカウントを受け持つのはCyber Online側の仕事だということ。──鷲尾という名前は、その関係でしか耳にしたことがない。 「……アカウントに、何かあった?」 『ハックされた、多分。後は部屋で』  ──切れた電話を耳から離せなかった。しばらく、声が出なかった。  それで誠とアヤの所に連絡が来るということは、そのハックがバウンス絡みである可能性が高いということだ。  運用以来、初めてのトラブル。このためにわずかながらも保守料金が払われている限り、行くしかない。パソコンに常駐している時計は23時を回っていたが、気にしている場合ではなかった。  着替えながら、パソコンの電源を落とす。IMのメッセージはとりあえず頭の中にだけメモしておく。  そのメッセージは、ただ一言──助けて、とだけ書いてあった。  辛うじて走っていた電車とタクシーを乗り継ぎ、通い慣れたビルの裏口へ辿り着く。緊急事態用にと教えられた6桁の番号を押すと、詰めていた守衛の男性が、何かを知っているかのように「こちらです」と手招きする。誰がどう連絡したのかは知らないが、通じているなら説明する必要がない分だけアヤにとってはありがたかった。  ただ、彼が案内をしてくれたのは、アヤたちが仕事のために借りているはずのプロジェクトルームではなかった。頭の片隅に走る疑問符は封じる。彼はアヤが誰なのか知っていて、その上で連れて行こうとしているのだ、多分「現場」はそこなのだろう。  目の前に現れたドアを開けると、パーティションに遮られて見えないが、そこはアヤたちが詰めていたプロジェクトルームと似たり寄ったりの広さの小さな部屋だった。明かりは守衛が入る前からついていた。こんな深夜まで仕事をしていたんだろうか。もちろん、Cyber Onlineのコンテンツは24時間動いてはいるけれど、24時間人が張り付いている仕事なんてそうはないはずなのだけれど。 「……アヤ」息を切らせた声が背中から聞こえる。振り返ったアヤの前で、荒い息を整えているのは誠だった。「トモは?」 「とも?」  一瞬意味を掴みかねる。人名だろうとは解釈出来た。トモ、で始まって2人共通の知り合い──そう多くはない。やがて1つの名前にぶつかった。 「って、岡田くん?」 「──あ」  トモという呼びかけが2人の共有ではなかったことに、誠はその時にやっと気付いたらしかった。 「そんな風に呼び合う仲なんだ」 「そんなこと今はいいだろ」  誠が、ドア近くでわだかまっていたアヤを押しのけて部屋に入る。  狭い部屋だが小さいカウンターめいた台があり、その後ろに背の低いパーティションも置いてあった。直接中が見えないようにとの配慮なのだろう。ただ、パーティションの上部はすりガラスのような状態になっていて、うっすらと向こう側に何があるかは見える。パソコン数台。電源は入っている。  誠は、パーティションを回った途端に、ひどく焦った声で「トモ」と呼びかけた。  アヤも慌てて続く。  部屋の中心には作業テーブルがあったが、誠はその下に潜り込むようにしてトモの名を何度も繰り返していた。 「どうしたの!?」  慌ててアヤもしゃがみ込み──その風景に言葉を失くす。  彼が倒れている。ラフなGパン姿の「バウンス」管理人。 「き、救急車……!!」  アヤは机の下に潜ったまま携帯を探り出そうと小さな鞄に手を突っ込んだ。が、誠がその手を止める。 「ダメだ、コレは医者の範疇じゃない」 「え」  嫌な予感。サユリから送られて来た記事のアーカイヴが頭の隅にちらりと浮かぶ。 「『入ってる』だけだ」  それを言葉通り捉えるなら、今の技術的には慌てる必要のない事態のはずだ。が、誠は明らかに苛ついた目で『寝ている』トモを見下ろしている。 「なら、気にすることない……の?」  ノーと返って来るのを明らかに予感した呼びかけ。誠は大きなため息をついてのっそりと立ち上がる。 「誠?」 「プロジェクトルーム、開けて貰おう」  ドアの近くで控えていた守衛の方から、しゃりんと金属音がする。「開けますか?」 「お願いします」  誠は呼びかけながら部屋を出ようとする。 「ちょっ、岡田くん、どうする?」 「俺たちがここにいても仕方ない。多分、命には関わらないと思うよ」  アヤもテーブルから頭を出して立ち上がる。──誠は何かやるべきことを見つけたらしいけど、アヤには何がなんだか判らないままだった。  それでも、とりあえずは……岡田がこうして「倒れた」ことが、バウンス側に生じた何らかのトラブルが原因であるらしいのは理解した。そうでなければ、自分たちがプロジェクトルームに行く意味はないからだ。  誠は部屋に入るなりログオンしてしまった。──意識ごと。  岡田と同じように『寝ている』誠の体は、そのまま置かれていた安物のソファに横たわっている。  アヤは普通に端末の前に座ってバウンスの客になる。相変わらずの空気と、相変わらずの雰囲気。いつもと同じように稼動しているようにしか、見えないのに。  誠の意識が何処を「歩いて」いるのかはアヤには見えなかったので、多分「裏」にいるのだろう。  過剰な増殖を続けてロールアウトしたバウンスには、アヤにも判らないブラックボックス・モジュールがいくつか含まれている。待機の間に少しずつ解読はしようとしているけれど、まだ全てが追いついてはいない。実質「作った」のは誠なのだ。彼に、任せる以外に方法はない。  アヤはただ、ひたすら待つだけだった。  ……せいぜい、10分くらいのことだったのだろう。やがてアヤの手元に小さくウィンドウが開いて、データがちらちらと流れ出す。ぼんやりと目で追う。トモの──岡田のログオン記録。管理者として定期的にチェックに訪れる他に、苦情に対してフォローするためなのか、不定期にちらちらとログオン記録がある。  最後の記録は、ほんの数時間前。それから、ずっと入りっぱなし。  ……それまでの記録から見ると動きがおかしくはある。それまでは、用が済めばさっさと『落ちて』いたのに。  端末を睨んでいたアヤの耳に、ごそごそという物音が忍び込む。監視モニタの表示で、誠が「出て」来たのが判った。 「……なんか判った?」 「トモがいない」 「──え」  誠が『戻って』いきなり吐き出した言葉にアヤは面食らう。 「だって記録では」 「そう、入ってる。というより、出た記録がない。……だけど、いない。だから俺はこれをハックだと思ったんだよ。……遠隔では」 「……ああ」  最初にそう言われて呼び出されたのをその時になって思い出した。 「でも鷲尾さんの領域って言ってなかったっけ」 「鷲尾さんの領域なら──少なくとも、正常にハックされてるなら」誠は、言いながら少しだけ唇の端を歪めた。確かに、変な言い方ではある。正常なハック。「トモは追い出されている……はずだ。Cyber Onlineは別IPでの二重ログオンを許可していない」  岡田はまだ入っている。だけど岡田はいない。アヤはこめかみに指先を当てて考え込む。 「岡田くんがいないというのは、バウンスの中だけの話?」 「違う」 「全くいない、の?」 「そう。ハックされたんだとしても、その『したヤツ』の痕跡さえも、ない」 「……って」 「……」  誠の顔からどんどん表情が消えて行く。さっきまでひどく焦って疲れているように見えたのだけれど、それすらももう見えない。何の感情もなく……否、押し潰したような、無表情。  それが何を意味するのか。  アヤはまばたきの間に何かを思い出そうとして──結びつけたくない自分にそれを押し流される。まさか。まさか。──そんなことって。  軽く頭を振る。振り払おうとして、でもそれしか思い至らなくて。  もしそうなら、これは──。 「──俺たちには……多分、これは、解けない」 「誠、」  多分同じ結論に辿り着こうとしているのだ。それが判るからこそ怖くなる。これが何の問題であるか、もしかしたら誰にも判らないのかも知れない。そんな事は起きてはいなかったからだ。  この世界はSFではない。脳という肉体と、人の意識のリンクが、途切れるなんてことは──あってはならないことだ。 「この『症例』は。──意識が抜けたまま……戻って来られなくなった……?」  低く呟いたアヤの声。少しずつ誠の体が震え出し、抑えつけていた激情が暴発したのように、彼の拳がソファを叩く。 「何かはあるはずなんだ、何かは……! でも俺たちには──俺たちには、解けない!」  体から力が抜けた。気を失いそうになる。  よりによってバウンスでそれが発生するなんて──。  ※  アヤたちは翌日からプロジェクトルームに戻って来た。  Cyber Onlineの担当者にも「事件」のあらましは話してある。岡田の体はとりあえずそのままCyber Online側で世話がなされることになっていた──当分は。  とにかく、やれるだけ早く解明しなくてはならない。  表向きは、岡田とは別の管理者IDを作成して日々の管理者業務は代理の人が回していた。念のため裏で、管理者のプロセスに対してアタックされていることがあれば全てログを取るようには設定してあるが、今のところ、トモではない管理者IDに対して誰かがいたずらを仕掛けて来る様子はなかった。  誠はひたすらトモを探し回っている。アヤは運営の面倒を見つつ情報収集。真っ先にサユリにメールを1通叩くと、彼女からは数時間内にレスポンスが返って来た。岡田智明がハックしていた銀行のサーバアカウントはそのまま存在するけど、誰も利用した形跡がないらしいこと、岡田か、あるいはそれらしき人(バウンスの管理ID)が、ネット上で何かをした痕跡もないこと、など。  そして、誠も。  半日ほど色々と探った結果、ハッカーは、折角奪い取った岡田の管理者IDで何もしていないことがはっきりした。とりあえず彼(?)はそのIDの制御権を岡田から奪い取り、岡田自体の意識を抹消して、自分も姿を消している。  ……使うために奪ったわけではないんだろうか?  アヤは外側で、Cyber Onlineとバウンスとの間に流れていた膨大なデータを分析する。管理者IDの特権の1つは、自分のサブや代理人としての管理者IDを別に作り出せること。当の岡田のIDで何もいたずらをしていないのなら、特権で自分専用の、いたずら用のIDを作るために岡田のIDを奪ったのかもと考えたのだ。だが──それも、ない。バウンスへの全ログイン者を調査したが、岡田のIDが不正使用されたと思しき時間以降に一般権限より上の権限を持って作成されたIDは存在しない…。 「……お手上げだわ……目的が判らない……」  目薬をさしてそのまま目をぎゅっと閉じ、ぼんやりと椅子の背に体を預ける。  もちろん、こういう調査をしているのは、それが──管理者IDを他人に不正に利用されることが、バウンスの運用にとって危険だからだ。だが、とりあえず「犯人」は、それを利用してバウンスの営業妨害をする気はないらしい。もしかしたら、直後はこんな風に監視が厳しくなることを予想して、しばらくほとぼりを冷ましてから何かを仕出かすつもりなのかも知れないが、そうだとすると不自然なのは、リアルの岡田の意識をも消したことだ。ほとぼりが冷めるのを待つ気なら、岡田はそのまま返してしまって、全く普段通りの運用体制が出来るようにしておいた方が得策じゃないかとアヤは思ったのだ。  たとえオンラインの事故──生命に関わらない事故であっても、こんな風に事故になってしまえば、締め付けは強くなる。現に、誠とアヤは協力し合って、ユーザーがバウンスの中で行っている行動履歴の取り方を少し細かくしたり、セキュリティ強化策を講じている。  そう、明らかに、何もする気がない、としか思えない。  ……あるいは。 「狙いは、岡田本人、なのか?……」  さっきまで『寝ていた』誠が突然むくりと起き上がって話し出す。アヤは椅子ごとくるりと回って誠と向き合った。 「……その可能性しか考えられないよね……」  バウンスにいたずらを仕掛けるつもりがないんだとしたら「IDハック」はただの事前準備で、次に行われた「岡田の意識抹消」こそが本題だったと考えられる。 「あいつ、そんな人に恨み買うほど生きてねぇだろ……」 「……」  アヤの脳裏にちらりと浮かんだプロフィール。仕事の片手間に構築した、岡田智明の半生。 「……アヤ?」 「岡田くんは買ってなくても──もしかしたら──」 「──あ」  誠もすぐにひらめいた。 「『バウンスが狙われた』ことにも意味があったんだとしたら、それしか、考えられない……かも」  アヤは端末に向き直ってあのプロフィールを表示する。すいと開いたウィンドウの中で、不思議と強さを持って浮き上がる1行。  かつてオフラインにも、バウンスは存在した。岡田智明の父親、隆が経営していたクラブ。 「父親か……」  誠はソファの上で膝を立て、その上に自分の頭をがっくりと落とす。 「なあ、ひょっとしてコレ……。バウンスで、クラブで、管理人『岡田』で、……犯人はあいつの親父が、岡田隆がここの運営に関わっていると思ってる、のか?」 「……ありえるね」そう誤解される可能性は確かにある。実際にバウンスの名を使ったのは、誠がその名前に思い入れがあったからに過ぎない。 「だとしたら、コレは岡田隆に対する何らかの宣戦布告──なのか?」 「──岡田隆の周辺、調べてみるね」  アヤの指先は既に動き出していた。こういう時に頼れる親友への一報を作り、自らもネットの中に飛び込む──かつてのバウンスと、その経営者の情報を求めて。
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