- 14 - backstage

1/1
前へ
/30ページ
次へ

- 14 - backstage

 ──誠はまどろんでいた。  それが自分の意識であることは認識していたのだけれど、少なくとも自在にコントロール出来ているとは言えない状態だった。  自分の前に、目の前に、ぼんやりとした半透明の壁があるような感覚。現実が遠い感じがするのは、たとえばet-aiがなかった頃なら離人感、というような言葉で表現されていたんだろう。  et-aiが存在する今は、それが病ではなく単なる結果に過ぎないという解釈も出来る。というより、多分、その方が正しい。  必死にオンラインでトモを探す、それを行動で示しているのはオフラインでだけだ。誠は中に「入って」しまうと、もう動かなくなる。  動く必要はないからだ。  誠は、自分で自分に抗議しようとして諦める。結局、トモを──彼の意識を監禁したのは、自分であることも、理解している。  けれど。  ──誠はまどろんでいた。少なくとも誠自身が、そんなことをしようとしたことはない。自分以外の何かが、自分という存在を利用して、彼を、誘拐した。  ほんの少しのまどろみの間に。  ……それが判っているなら。アヤや、その友人でありかつての誠のクラブ仲間であって小百合にとっとと謝罪して、自分が彼の檻を壊せばいいだけの話、なのだけれど、誠の意志の中には、そうする回路は造られない。チップになる時に倫理観を置き忘れたのか、とか、そういう倫理的な部分ではなく。誰かが──それは冷静に考えれば誠本人でしかないのだけれど──その回路を外した。  それは誰なんだろう、と誠は思う。  バウンスの構想を始めた頃から、それは誠の中にいたのだと思う。突然急にという感じではなかった。既に「思い出」と化してしまったバウンス──岡田隆が運営していた方──のことを、後からふと思い出すたび。あの空間を、クラブという死にかけた文化を、せめてオンラインで蘇生させようと考え始めた時。同時に彼は脳の構造を変えてビットになることを選択した。そうした方がオンラインでその手の、感覚リンクを伴うバーチャルコンテンツを作るのに都合が良かったのは確かだけれど、でも、それは、都合がいいだけで──やらなくても出来ることであることは、確かだったのに。  ただのウェブプログラマだった誠は、その時点から人生を転換した。明らかに、バウンスを作るために、変えたのだ。  ──何故なのだろう?  小百合とバウンス──誠が作った方──の中で話す機会があった。  バウンスの完成度にわくわくする1人の客。かつて、岡田隆のバウンスと、そこで回していた《S.T.》を知っていた女性。その彼女が絶賛する。ここは、かつて《S.T.》が作り出そうとしていた空間そのものを再現することに成功している。デジタルの聴覚しか持たないはずの自分たちですら、感情の波というアナログな快楽を、思い出すのではなく、リアルタイムに感じることが出来ると。  誠は、自分が《S.T.》を再現することに夢中になってしまってから、後から、自分がそんなにも《S.T.》のファンだったことをじわじわと自覚した。後から言葉にするならそんな感触がしっくり来る。最初から熱烈に彼を目指していたというよりは、作りながらどんどんと、これでなければならないのだというこだわりが胸のうちに高まって来たような、そんな感じだったのだ。  結果、出来上がった《S.T.》については、自分の思った以上に満足感を得ている。それは、本当に、異常だと自分でも思えるほどの興奮と快感。それまでやったことはなかったのだけれど、フィギュアを自作する人たちというのはこんな気持ちなんだろうか、と想像してみたりしたこともある。  ただし。  ──誠は、誠自身にすら見えないブラックボックスをいくつか《S.T.》に抱えさせている。後からのメンテナンスやアップデートのために仕様書はきっちり仕上げてあったつもりだけれど、それがいけないと理解していながら書けなかったモジュールが、いくつか存在する。  文字通り、書けなかったのだ。  自分で組んだコードのはずなのに、思い出せない。実際にバウンスが動いていても、それが何処の処理に使われていたのかすら、思い出せない。  それは主に──《S.T.》本人の構築に関わる部分の周りに、集中している。クラブ自体の空間構築や運用システム周り部分に、そんなブラックボックスは存在しない。  誠自身もうすうす感じていた違和感。バウンスを作った自分と、《S.T.》を作った自分の、奇妙な乖離。認識はしていても、理解はしていない。解釈しようという気もおきなかったし、それで不都合はなかったからだ──とりあえず。  ……でも、これは。  今起きているこれは。  明らかに「不都合」のはずだ。  それなのに……。  そこを追求しようとすると、自分が自分をブロックする。  誠はまどろんでいた。まどろむことしか出来なかった。  進めない。1歩もそこから動けない。  手を伸ばそうとすると曇り出す。視覚と聴覚に仮託された、サイバースペースの中の「現実」からの距離感。埋めようと焦る意志は、誠自身から湧き出す何かに片っ端から相殺されて行く。  それは、誠から見れば自分自身でしかありえないのに、自分の意志のコントロールから外れている。  でもそれは。俗に多重人格と言われる精神障害とは明らかに別物で。恐らくはet-aiのライブラリ絡みであることも明確で。判っていてももう、誠自身とet-aiを分離することは不可能な以上、それを自分から「追い出す」ことも出来なくて。  多分。出て行くまで待つしかないのだ。  ぼんやりとまどろんだままで。  ※  彼は動いていた。  自分が何のために動いているのか、その目的は常にはっきりしているはずなのだけれど、彼は時々その目的を忘れそうになる。  ──うまく行き過ぎた。  彼が、まだ普通の肉体を持っていた頃、唯一自分が全能でいられたその場所に、戻って来たという安心感。このまま、何も知らないふりをして仮想世界で「生き」続ければ、誰にとってもそれが一番いいのではないかとは思わなくもなかったのだけれど。  それは、真にやりたかったことに向けた過程の1つに過ぎない。  人の感情を煽ることは、いつだって難しいことのはずだった。彼はかつて、その難しかったことを、ある程度の制約の中で成し遂げられたとは思ったけれど。  人の個性による違い、感性による違いという名の下に同じレベルで与えられるものではないのは当然のことだったはずなのに。それがet-aiの技術で均質化出来るかも知れないと、そう思いついてしまったことが、彼の不幸の始まりなのかも知れなかった。  実験する機会はいくらでもあり、それが小さな成功をいくつも積み重ねて。  ブレインクラッカーの「技術」が、ついに決定的な突破口を作り。  彼は成功した。成功したことで彼には欲が生まれた。永遠を。すり切れることなく続いて行く永遠を。  ──生まれてしまったそれを試したがために、彼は。  彼がこの世に戻った所で、この世界で彼のあの全能を再現出来る場所はもう存在しない。ただ消費されて疲れ果てた残滓があるだけで。多分、et-aiやその周辺が出来上がって来てから、ヒトが快楽を感じる基準が変わってしまったせいなのかも知れない。  ブレインクラッカーが築いた基礎技術がフォーマットになってしまった。それを作ったのが自分であると判ってはいても。結局それは。肉体を離れることを選択した魂たちが、新たに選択した、擬似肉体の、擬似A10の、擬似快楽の、……消費物でしかない。  皮肉にもそれは、オンラインの魂となった彼らにとってのセックスと同じなのだ。スイッチを押されれば、電流が流れるように、気持ち良くなれる。それだけだ。  このまま永遠に自分の時を止めることしか出来ないのは見えている。  それ以上、先が見えない道のり。  望んでいたことだったはずなのに、たかが数ケ月で疲弊している自分に気付く。  達成感を感じられたのはほんのわずかな時間しかなく。  生に固執するほどの何かももう彼にはない。  永遠でいられるためには、自分が自分である必要はない。  かつての歴史上の人物たちと同じように。データとしてだけ、残り続ければそれで良かったのだ。  そこに自分の意識はないけれど。たとえあったところで自分がそれを楽しめるとは思えない。変化して行かなければ、変わっていかなければならない、そうでなければ生とは言わない。  全能の神は、永遠に全能で在ることに何故飽きないでいられるのだろう?  ──彼は静かにその魂を撫でる。悲しげな目を彼に向ける哀れなスケープゴート。幼い少年のままの魂は、リバースにより生成された同情心で自ら檻の中に留まっている。  彼は願う。  早く助けが来ることを。  そして。  ──この退屈な全能世界に、早く幕が下りることを。
/30ページ

最初のコメントを投稿しよう!

1人が本棚に入れています
本棚に追加