- 18 - 状況証拠 II

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- 18 - 状況証拠 II

 誠は、それを問われることを予想はしていた。  と言っても、そういう聞かれ方をするとは予想していなかったけれども。  アヤは言ったっきり、少し首を傾げて黙ったままでいる。表情はニュートラル。怒りでも悲しみでも笑顔でもない。  しかし。  「それ」は──誠自身すら思いつかなかった可能性だった。でも、言われて見れば確かに、そう捉えられても仕方のない部分がある。いや。それどころか──  「それ」こそが、自分が知ろうとして知り得なかった答えの一部なのかも知れない。  もうぼんやりと流されているだけでは済まないのだから。  ここで、このチャンスで、全てを白日の下に晒してしまった方が、多分、いい。  そう思っていても、喉の奥で何かが引っかかった。  頭の奥の方で何かがチリチリ音を立てている。  だめだ、と口の中だけで呟いた。もう、このままにしておく訳には行かない。引っかかりを無理に飲み込んで、缶コーヒーを手にしたまま立ち上がった。 「……ちょっと、向こうで話せる?」 「? ええ、いいけど」  『向こう』は廊下の端にあるちょっとした休憩スペースのようなものだ。自動販売機もそこにある。マシンから離れて頭を休めるにはいい場所。煙草を吸う人であれば喫煙所がそんな場所なのだろうけれど、2人とも煙草はやらないのだ。  窓際の細いカウンターに誠は缶コーヒーを置いた。その金属的な音が廊下に小さく響く。 「……なんか、やばい話?」  アヤの顔は室内にいた時より少し緊張しているように見えた。  誠は頬を少しだけ引きつらせた。笑おうとしても、うまく行かなかった。 「……実を言うと」  「それ」がどう転ぶのかは判らない。混迷に彼女を引きすり込むだけかも知れない。 「……俺自身にとっても、あのクラブの一部は、……ブラックボックスなんだ」 「人の作ったライブラリを使った、ってこと?」 「違う」  アヤの怪訝そうな影が深くなる。 「《S.T.》はそもそも──俺が作ったんじゃない、んだ──多分」  彼女は眉をひそめた。唇が少しだけ開きかけて、でも何も言わずにすっとまた閉じる。  誠が言葉を続けるのを待っているのだと判っても、何処から話していいのか彼は迷っていた。端緒を思い出そうとするだけで、頭の中の一部に柔らかな霧がかかるような感じがする。自分が、それを望んでいない。あの時と同じだ。《S.T.》自身を構築した時と同じ。その仕様を調べようとした時と、同じ。 「……どう言えば正確なのか正直判らないんだけど、俺は、……小百合さんほど熱心な『ファン』ではなかった、と思うんだ。けど、ある時から、何故かこれを──バウンスを『再現』することに取り憑かれたようになって。正直、自分の何処にそんな情熱があったんだろうってくらいに、集中して、書き上げた。そんな感じなんだ」 「……うん」  軽い相槌。彼女は時折自分の缶コーヒーに口をつけながら聞いていた。 「けど。……自分で書いたコードのはずなのに、やっていることがよく──判らない部分があって」  システムを作っていく上で、コードが複雑化し過ぎて訳が判らなくなるというのはよくある話だ。多分、アヤもまだ、その手の話だとしか思ってはいないだろう。 「……自分の書いた覚えのないコードが、紛れ込んでいることがあって……」 「──え」  そこでやっと、異常なのだと気付いてくれる。 「誠、それは──やばい、どころじゃない話じゃないの? 誰かに改ざん(ハック)されたされたものをそのまま商品化してしまっているということ?」  誠は首を小さく横に振った。 「うまく説明出来ないんだけど……。確かに、この指でキーボードを打ったり、入り込んでコードを『出力』したりしたのは俺なんだけど、でも、その一部のコードは──俺の脳から出て来たものじゃない、感じだったんだ」  混乱が彼女の目に浮かぶ。 「多分……」  そう言い切ってしまうのは簡単だ。それが正しいかどうかは判らない。でも恐らく、そう説明されるべき事態だったのだと、後から考えれば納得が行くのだ。 「多分、俺自身が、乗っ取られて(ハックされて)いたんだと思う。このクラブを作るために」  自動販売機の僅かな動作音だけが静寂に漂う。  アヤはぼんやりと窓の外に視線を投げて何かを考え込んでいた。 「……誠、それは……リバース、ってこと?」 「……かも、知れない」 「……et-aiが出してるライブラリの、すごく昔の初期のバージョンには、リバースされた記憶と元々の本人の記憶が混じる『バグ』が指摘されてたよね。致命的なことにはならないうちに修正されたけど」  et-ai絡みで「仕事」をしていれば、その歴史にも自然と詳しくなる。彼女なら当然知っているだろうとは誠も思っていた。 「あの『バグ』は、一部のet-aiハッカー達に悪用されかけた、って噂もあったよね」  その言葉は疑問系ですらなく。  誠本人は、自分に何が起きているのか正確な所をまだ理解している訳ではない。調べようともしなかったから。でも、現象をつなぎ合わせれば出て来るのはそれしかない。  et-aiライブラリの開発者達が、開発途中で生み出した様々な遺産。人の脳という「コンピュータ」を「操作」し、人格が破壊しないギリギリのラインで弄ぶ方法。  それは、金属とプラスティックとシリコンで出来たコンピュータに対して、無邪気なハッカー達が歴史上で仕掛けて来た様々な遊びや罠や、そういうものの延長上にあるものだ。少なくとも、『開発者』たちはそんな無邪気な探究心でライブラリを育て上げて来たのだろう。  元々et-ai自体がそんな子供っぽい探究心の積み上げで出来上がって行ったものなのだ。中心となる特別な組織を持っていなくても、緩やかな網の目でつながって行く「組織」。それはインターネットという技術の仕組みそのものと同じような組成。 「──自覚したのは、いつからなの?」  アヤの問いには、ただ首を横に振るしかなかった。デジタルな境目なんて判らないのだ。今だって、既に「判らない」のだ。自分が《S.T.》というDJに感じている好意が、本当の自分の意志なのかそうでないのかすら。 「ただ──その……」  一瞬、自分の中で何かがまた身じろぎする。  マシンから……正確にはネットワークから「離れて」いれば、影響はないはずなのに。ただ、もしアヤの言う『バグ』にまだ解明されていない謎があるのだとすれば、もう自分には安全な場所なんかないのも知れない。自分が、本当に自分だけでいられる場所なんか。 「その……『乗っ取り犯』がいるとしたら、そいつは」 「田口翔太」  その名前に頭の奥で何かががつんと反応する。  その奇妙な頭痛に押されるように誠は少しふらついた。──が。 「……誰……だっけ?」  咄嗟に記憶から出て来ない。 「覚えてない?」 「──」 「でも……今、一瞬すごく苦しそうな顔、してたけど」 「──」  それで判ってしまった。  やっぱりこいつは。 「本名、なんだな」  頭の芯からじわじわと鈍痛が広がる。これは──これは、何なんだろう? 「あいつの──《S.T.》の」  多分、そんなことを呟いた気がした。  気がしただけで、誠の意識はするりと白に塗り潰されて行く。  ※  さっきから缶コーヒーを握る手が震え出しそうになる。それをアヤは必死で抑えていた。  どう解釈していいのか判らない。ただ、et-aiのライブラリを使う前、その仕様を調べた際に、既に葬られたはずの「闇ライブラリ」の存在を知り、勉強がてら読んだ時のことを思い出していた。  そして、このプロジェクトが完成間近になった時の誠の没入ぶりも。  ──異常だった、とは思っていた。自分もプロジェクトの一員である以上、そこで誠を止めなければならなかったのだと、今考えてももう遅過ぎるのだけれど。  それまでは、状況証拠でしかなかったのだ。  死んだDJであるはずの《S.T.》。そのレプリカに過ぎなかった筈のバウンスの《S.T.》。作り物としか存在しないはずの「彼」から、実在の痕跡が洩れては来ていた。それが──誠からも、だなんて。  さっきまでひどく苦しそうに眉を歪めていた誠は、何かを追い払うように少し首を振った。それから、細く長い溜め息をつく。ようやく思い出したかのように手にしていた缶からコーヒーを口にする。 「……大丈夫?」 「うん。……ごめん」 「いや、謝ることじゃないかも。誠も、被害者だし」 「……なのかどうかも、……判らないんだけどね」  逡巡しながら言葉を出していた先ほどとは打って代わって、多少言葉を選ぶような間がありつつもスムースに言葉が出て来るようになっていた。──落ち着いたのだろうか。 「ゼロだったとは言えないかも知れない。俺だって、多分、野望はあったんだよ」 「野望?」 「そう。ただこのまま、刹那的に消えて行くサイト構築を続けて行くだけのウェブプログラマで終わっていいのかな、とか。この『企画』が頭に浮かんだ時、これが成功したら、新ジャンルのコンテンツになるって予感はあったし」 「……ああ、うん」  話ながら頭の中を整理しているような口調。自らの言葉を確かめるように頷きながら、誠は次第に饒舌になって行く。アヤにはそう見えた。  小さな違和感が、アヤの中に芽生える。あの時──プロジェクト最後に見せた、誠の、不思議と恍惚とした表情。 「だから──何かを求めてはいたんだと思う。決定的な何かを。そんな時に、使える『材料』が飛び込んで来たら、」 「進んで、受け容れてしまったかも知れない、ってことね」  わざと話を遮るように言葉を挟む。誠は何処かふわふわしたものが漂い始めた瞳をすっと細めた。 「でもそれはブレインクラッカーではないよ」 「……え?」 「確かに、俺は、俺以外の『存在』から《S.T.》構築のヒントを貰ったし、あのクラブの音場空間はそいつが作り上げてる。それは確かだけど、でもそれはブレインクラッカーとは違う。そいつの……オリジナル」  缶を持つ手が何かのリズムを刻んでいる。  誠の中に鳴る音楽に合わせるように。  アヤはその幻のリズムの向こうに音を聞いたような気がした。あのクラブで流れている音。本当は音ですらない──意志体たちに働きかけるデータに過ぎないビット列。  ──誠は、さっき表情を変える前の一瞬で、それが誰なのかを半ば確信しているように見えた。自分以外の『存在』。なのに、何故突然、その名前をぼかし始めるのだろう。  人に聞かれる心配はとりあえずない場所で。盗聴なんてことを気にする必要もないはずで。  それに。  ──そんなことを断定出来るのは、どうしてなんだろう。それが、ブレインクラッカーでは、ない、と言い切れる根拠。  誠が、自分の意志ではない、と言っているのに。  それを誠の声で言い切る不自然。  アヤは、誠に気付かれないように小さく息を吐いた。  ハンガーアウトした直前の「バウンス」を掌握出来ていたのはほぼ誠だけだと言って良かった。アヤは、とてもキーボードで打てる速さではないそのコードの増殖に未だついて行けてはいない。それまでは、確かに少し危機感は感じていたけれども、それでも致命的なことが起きない限り放置するしかない状態だったのも確かなのだ。  ──もちろん、岡田の件は立派な「危機」であり、出来ることはしている。誠も、彼に出来ることはしてくれていると思っていた。  けれど──  どんな意図かは知らないけれど、et-aiの闇ライブラリの「穴」を利用したハッカーが誠を「利用」していたのだとすれば、話は根底から覆ってしまう。  作者が「敵」なのだ──こんなのアンフェア過ぎる。  そして、今……たった今目の前にいるこの『誠』が、誰なのか、アヤには自信がない。とはいえ、その動揺を気付かれてはいけないとの意識はある。わざと少し俯いたまま、アヤはまた缶コーヒーを歯に当てたまま考え込む。 「──それにしても」  誠は少し首を傾げて息をついた。 「話は、そのこと? ライブラリの引用の」 「……うん。ちょっと、気になって」 「アヤが自分でそう思ったの?」  ぎくりとする。でも決して表にそれを見せないように気をつける。 「そう。……というか、正直、クラブカルチャー近辺のことは私はよく知らないから。ああいう『空間』を作れるコードっていったら、ブレインクラッカーが唯一無二だったでしょう、今までは」 「だね。……誰でも作れたはずだけど、結局誰も作らなかった」  ひどく無機質なその言い方は、逆に何かを隠しているようにも聞こえた。 「バウンスがそのコピーだなんて思われるのは、心外だなあって。ちょっとね」 「……ふうん」  何処となく納得の行かない声。 「ごめん、忙しいトコ邪魔して」  これ以上はアヤにとっても危険かも知れないと判断する。  いずれにしても──誠の「告白」を相談してみたいと思った。ネットの海を泳ぐ親友に。 「いや、いいよ。気にしないで。──もう慣れたから」  少し疲れた管理者の顔をまとった誠は苦笑する。それでも、何処かふわふわしたような高揚感が、彼の目にはまだ残っていた。
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