- 1 - ホログラムの笑顔

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- 1 - ホログラムの笑顔

 優雅な軌跡を描いてパースが開いた。  線だけのシンプルな構造図を横目に、アヤはパール・ホワイトの入った爪の先でディスプレイをつついた。「もっと広い方がいい?」 「いいよ、そのくらい狭い方がリアリティがあるから」横にいた男がそう答える。 「……リアリティね」アヤは本当におかしそうに笑う。「なんでリアルじゃなきゃいけないの?」  男──誠は、促すようにアヤをちらりと見る。アヤは勿体ぶった仕種でマウスをクリックする。 「入ってみる?」  木目の重い扉。その当日のDJの名前が浮き上がるホログラム。くるくる回りながら色を変えるロゴマーク。何もかもがあの時とは違う、違い過ぎる。だから、  だからリアルが欲しいだけだ。 「言われなくても」  誠は「離れる」。漂う意識波は、何年もかかって積み上げられた感情チップに接続する。存在からビット列への遷移は、自分でコントロール出来なかった時は苦痛でしかなかったけれど、今となってはちょっと壁に頭をぶつけた程度の痛みでしかない。 「おおもいおもいいおもい」  アヤの声が耳の中に届く。ブレて聞こえる。 「おもいいよねええななんで?そんなににおおおきなしょしょしょしょ(途切れた)……このしーぴーゆーゆゆゆにすればこのくらいのほろぐぐらむたいししたふたんんじゃないははは」 『喋んなくていいよ>アヤ チャット起動して』  優雅な軌跡と細いウインドウ。アヤの──今度は文字が視界に入る。 『誠、ゆうべここに泊り込んだ時、何かいじったでしょ? 初期化ファイルにあたしの知らないパラメータが増えてる……何で勝手に、それに第一』 『やっぱ喋った方がいい?>アヤ お前って口よりキーボード打つ方が早いね』 『うるさいなあ』  本気で怒ってる。逃げて来て良かった、と内心誠は呟いた。 『そうは行くか、ファイアウォール封鎖っ』 『……アヤ……オレこんな時間に外逃げたりしないってば』  ブレた音声で彼女の溜め息。 『……色数下げるよ。まずは動き回って細かいトコ確かめないと。これじゃ、中にいる人も相当重たいはずだけど』  1歩踏み出してみる。確かに、空気が水飴のように感じる。  ……ちょっとやり過ぎたか? でも、これでもたったひとりの存在を完璧に再現するにはまだ足りないんだ。  ──アイツは、ビット化されるために最適化されたオレのような人格とは違うんだから……  体が軽くなる。いや、この空間が軽くなったのだ。  元々闇だったせいか減色によって起こった変化はさほどでもない。柔らかなオレンジのスポットライトが近似色に変換されて多少キツく赤になったくらいか。 「ままだだおおおおおおも」 『喋るなってば』  そのたびに空気が重くなるのが判る。  アヤが音声のチャンネルを閉じるのが判った。  狭いフロアに一筋のライト。その下に照らされているのがキーだ。ここに入るための。誠はそれを拾い上げる。冷たい感触が手の中に。一瞬遅れて重さが。  僅かに煙る空気の向こうに、小さな弧を描くバーカウンターとスツールが。  もう存在しなくなった文化の残骸。クラブという名で呼ばれていた場所。  誠の中に「記録」された風景との微妙なズレは、自分が狂わないための最後の砦。同じにしてしまったら、ここにいた頃の自分から逃げられなくなることは目に見えていたからだ。  アヤは知らないと言い、そして首をかしげてこんなことを。  ──クラブって踊る場所なんでしょ?何故、意識のビット化を自ら望んだあなたが、カラダを必要とする場所を欲しがるの?  笑いに紛らせて言わなかったその答えが、初期化ファイルに増えたパラメータと関係があると言ったら、アヤはどんな顔をするだろう。 「《S.T.》」  誠の声に、アヤが再び音声チャンネルを開いた。 「ななにかいいった……ああ!?」  オーバーフローする突拍子もない歪んだ悲鳴。開かれたチャンネルから流れ出た音楽に、アヤが何か喚いている。誠が聴いていないと悟ると、文字を叩きつけて来る。 『何でこんなに重いのかと思ったら、この音もそのホログラムももしかしてロウデータをまんまサンプリングしただけのヤツ!? じょーだんじゃないってば、妥協してよ誠! 最適化プログラム通さない限りこれオンラインになっか絶対載せらんないってばっ』 『出来ないよ』 『まことっ』 『出来ない。このままじゃないとオレはやだ。  過去にマンションの地下にあったクラブをホログラムで再構築するだけなら、徹夜するほどの大仕事じゃない。それは判ってたはずだろ、アヤ』 『……まさか』 『そうだよ』  誠の声が不気味な笑いを含み始めている。 「オレはは、こいいつつをを、つつくってたんだよよ」  《S.T.》が死んだのは彼が29歳の時だった。ホログラムの中で笑う《S.T.》は彼が24歳の時の姿だ。その頃の《S.T.》──田口翔太が、とりあえずデータとして一番使い易かった。いつ会っても不思議なくらい笑っていた時だから。  《S.T.》は死んだ。30歳の誕生日を目の前にして。BOXの中で、音が止まったことを意識した途端、人々は騒ぎ始めた。彼は穏やかに笑ったままで息をしていなかった。原因は誰も知らなかった。  最後まで穏やかに笑ったままの《S.T.》の死の理由は謎のままだった。よくクラブで会っていた仲間達の誰もが暫く、《S.T.》が二度とターンテーブルに触れなくなるなんてことを考えられずにいた。  《S.T.》がいなくなると共にクラブに来なくなった仲間達もいる。誠が、《S.T.》の作り出していた空間の特異性に気づいたのはその後だった。  その時から色んな場所を、色んなDJを誠は渡り歩いていた。それでも潜在的に誠は《S.T.》を探してるに過ぎなかった。誠は自分の中で出来うる限り「最適化」した《S.T.》をデータ化し始める。何年かかかって出来上がったそれは、まるで……そう、まるで生(ロウ)データからサンプリングで映しただけのようなリアリティを持ち始めていた。  だが誠がやりたかったのはそれだけではなかった。  ヒトをひとりまるごと放り込むだけならこんなに「重く」はならない。  誠はDJボックスに近寄る。処理が重たい、体中にのしかかる重力──実際に重力がある訳じゃなくて、意志の通り視点が動かなくなるだけなのだが──を潜り抜けて、些か低めに設定したボックスの壁の中を覗き込む。 「やあ」  《S.T.》の笑顔は荒いポリゴンの塊のようにまだぎこちない線で出来ている。 「今日はどんな感じ?」 「相棒が派手にやりたいみたいなんで」《S.T.》の手がレコードに伸びる。「僕の方は鎮静剤みたいなのばっかにするつもり」  流れて来た音は優しくピアノが響くハウス。  誠は記憶の底から曲名を探し出そうとする。その眉をひそめた顔に何を考えてるか悟ったように《S.T.》はジャケットを誠に向けた。  I'll be here.  小さく書かれたタイトルを指さすと、《S.T.》の笑顔はホログラムとは思えない意図を湛えてイタズラっ子のように笑う。  ボクハココニイル。  笑うこいつはホログラムだ。  それはホログラムのはずだ。  だが、  世界で始めての、意志を持ち、学習し、成長するホログラムになるんだ。  《S.T.》は24歳からここで人生をやり直すんだ。
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