- 20 - hacking on

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「なんていうか……」  夕焼けを連れて部屋に入って来た誠は開口一番そう言ってまた口を閉ざしてしまった。  小百合は床に座り込んだまま鼻をすすっている。自分がもう泣き出す一歩手前なのは理解出来た。しかし、それを耐えようとしても喉が言うことを聞かない。 「誠さん……」 「──だって俺にどうしろって……」 「知らない? 誠さんなら知らないの? 私、こういうのやろうとしたことってないからわかんないんだもの……」 「俺だって知らないよ。大体なんで──なんでこんな無茶なこと……アヤのやつ……」  アヤはその名前を軽く捉えていたのだろうか、脳をクラックする、という名前は、決して、ある意味脅しでも何でもなかった。沢山生み出されたブレイン・クラッカーの亜流たちはどれも、当初のあまりに危険過ぎるその性質を緩めようとして重ねられた改良の歴史でもあった。しかし、それは結果として効果をも薄れさせることになり、当たり障りのないタイプと命知らずに強過ぎるものとの両極端に分かれる結果となった。  強過ぎるものの流通経路はどんどん裏に入り込み、軽いものはもうドラッグとは呼べないほど軽くなった。その軽さがやがてブームの終焉を招くことになるのだが、裏の経路は脈々と受け継がれることになり、サイバースペース内でも時々その道を見せることがある。  アヤは恐らく、探してしまったのだ。その純血の経路を1つを。  表情を失った顔。自律神経以外の動きを止めてしまった体。時折点滅するコンピュータのアクセスランプが今のアヤの意志活動の全て。  "本物"はもちろんモニタすることさえ許されず、アヤが今どんなことを味わっているのか理解することは出来ない。ただ、小百合が大昔、噂半分で聞いたところによれば、 「内的時間が止まってしまう、らしいよね。ブレインクラッカーって」 「俺もよく知らないけど、凄い昔に聞いた時には」アヤの横に彼も座り込む。「プログラムを止めない限り減衰しないのがブレインクラッカーの一番ヤバいところだって……」 「強いやつは、でしょ」 「そう。だから、気分を変える程度の目的じゃなくなっちゃってる。しかも」 「ちゃんと止めないと、いずれ脳がクラックする……」 「そういうこと……」 「止め方、知ってる?」 「止められるのは、中にいる人だけだよ、確か。それがまたこいつの変わっているところで、完全に精神依存なんだよね。強い意志があれば、止められるわけ。いつでも」 「だったら」見下ろす4つの瞳がアヤに注がれる。 「うん……アヤが止められないはず、ないと思うんだけど……」  誠は食料を仕入れて来ると近所のコンビニへ。小百合は座り込んだままアヤを見つめていることしか出来ない。アヤのコンピュータはスクリーンロックされていたので、誠にも小百合にも、何の行動も起こせない。下手に強制シャットダウンなどしようものならアヤがどうなるのか判らない。だから、手は出せない。  ただ悲嘆にくれているだけの小一時間の後、誠が大きな袋を抱えて戻って来る。長期戦になると踏んだのか、缶詰やら真空パックやらの食料が多くある。その他に、何故か大量の乾電池。 「何に使うの??」 「こいつ」  誠が示したのは白黒モニタの旧型のパームトップコンピュータ。それと、鞄から携帯電話とコードを取り出す。 「これで入ってみるよ、とりあえず」 「これでって、携帯じゃ64kしか出ないよ……」 「手をこまねいているよりはマシだろ」  異存があるわけではなかった。  旧型のマシンパワーでは画像などの複雑な処理は負えないので、誠は専らアヤの入っているプロセスがどういう行動を取っているのかのログを追いかける方に集中していた。彼女が今使っているのはtomoのアドレス──岡田が偽造したものだったので、hackすることは難しい技ではなかった。だからこそ、そのアドレスが残した軌跡を追うことそれ自体はものの数分で何とかなった。しかし、追えるのは軌跡だけで、今現在何処にどんな風に「実体」があるのかまではそこからは追えなかった。  ログの追跡と平行して、今動いてるスレッドの全ての行動を徹底的にスキャンする。明らかにアヤのものではないと判るもの──sendmailやhttpdや──は外して行って、消去法でいくつかのスレッドに狙いを定めて、殺さない程度のシグナルを送るアタックを繰り返す。  小さい液晶に流れる文字を目で追いながら誠は時折小百合に声をかける。そのたび、小百合は穴が開きそうな勢いでアヤをじっと観察するのだが、一向に変化は起きなかった。  慎重に、アタックして様子を見ることの繰り返し。気の遠くなるようなルーティンワークが続いて行く。  途中、何度か反応が見えたスレッドがあったが、いずれも5分と待たずに"乗り換えて"しまい、安定してこれと確定出来るものがない。1時間を過ぎた辺りで、そこまではようやく見えて来た。誠は今度は、そのスレッド乗り換えの法則性を検討するために、各スレッドの情報を集積するプロセスをバックグラウンドで走らせ始める。  小百合はキッチンへ。冷蔵庫からタップボトルの紅茶とグラス・皿を拝借。誠が冷却シートで片目ずつ冷やしている部屋へ戻る。 「私じゃ出来ないこと?」 「いいから……小百合さんはアヤ見ててあげて」  明らかに辛そうなのに何も出来ないでいることがもどかしい。  誠が「入って」から3時間──もう外の風景はすっかり闇の中。誠は缶詰のフルーツに時折手を伸ばしながらデータ解析に入っている。5分毎に引越し続けているこのスレッドの動きにはある法則があるのは判る。判るけれど、一体それは何なのか、まだ見つけられずにいた。小百合は勝手に何処からか毛布を持ち出して来て誠の足元に置いている。動くたびに彼に気づかれまいと隠れたため息をつきながら。  やがて誠は、何やら渦を巻いたチャートのようなものを前にして指を止めてしまっていた。小百合も隣で覗き込む。 「綺麗な模様、ではあるわね……」 「どんな法則性があると思う、この渦に」  小百合はここで役に立てるかも知れないとばかりに目を凝らすが、自分の頭の中に広がる真っ白な荒野に絶望してしまう。 「こういうの、私、苦手過ぎ……」 「──何か思いつくことない?……何でもいいんだけど」 「えー……」小百合はきょろきょろと部屋を見回し始める。「カオス理論とかは試したんでしょ」 「うん……」 「うーん……あれは? 扇風機」 「扇風機??」  アヤの部屋の片隅に、古びた青の扇風機が置いてあった。誠はその青と小百合を代わりばんこに見つめる。「何だよそりゃ」 「えーっと……ちよっと待ってね、今思い出すから……そうそうっ」  ぽん、と手を叩く小百合。 「1/fゆらぎ、は?」 「……あ」  誠の目は再び液晶へ。2,3のキーを叩いた後、はっきりと目が輝き出した。 「小百合さん、いい線行ってる!」 「ほんと?」 「ちょっとは希望が見えて来た」  そして再びスレッドの海へ飛び込む。  膨大な数字の羅列が誠のディスプレイの中を滝のごとく流れて行く。その1つの数値に彼がシグナルを叩きつける。小百合はそのたびにアヤの反応を見ている。 「──反応速度上がってやがるっ……」  呟きながら打つ誠の手だって小百合にしてみればかなり速く見える。誠は時折歯の間からうめくような声を発していた。小百合には、畜生、とか、そういった罵倒の言葉に聞こえる。  その鬼気迫る様子に小百合も呼吸を止めて見守っている。  そして突然。 「アヤ!!」  誠が叫ぶと同時にキーボードから手を離す。アヤの体は動かない。しかし小百合には見えた。アヤの── 「目玉が動いてる、瞼の下で!!」 「何してる、アヤ、出て来いよお!!」  言葉と同時にキーボードも。 「アヤっ」  小百合の言葉も翻訳するように叩きつける。だがその一瞬の努力も無に帰ったかのようにまた唐突に彼は肩を落とす。 「……何だったの……」不安そうな小百合。 「意志だよ」抑揚のない誠の声。「オレにはわかんない……アヤ、判ってるんだ、そして止めてる。自分の意志で。プロセス引っ越してるのも、逃げ足早まってるのも、全部アヤ自身の意志……」 「なんでなの……」  血走った目が憐れむように端末を見下ろし、「オレに聞かないでくれ、逃げてるのは向こうなんだよ」
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