- 4 - final beta

1/1

1人が本棚に入れています
本棚に追加
/30ページ

- 4 - final beta

 どんどんシェイプして行くシステム、《S.T.》だけがロウデータのままで、他の一切が、どんな手段かは知らないが、軽く軽くなって行く。  誠が自分を描写する。何人かの友人を連れて来る。その中には、《S.T.》が"復活"しただけでかなり感激している人もいる。まだプライヴェート・テストラン。それでも人々は喜んでいる。《S.T.》は笑っている。  アヤはウインドウの中で光と音の中に沈む"意志体"達をトレイスする。  入った時とは明らかに違う意志波、少しずつその変化を、誠には判らないように蓄積し始める。スクリプトから追えないなら現象を追うしかない。バレないように、少しずつ、感情の高ぶりと快い疲労感、笑顔と陶酔、流れるビートは音というサムネイル。  人間と風景のレイヤ。きっとアクセス出来ないもう1つのレイヤがあるに違いない、それが意志波に対して僅かに透けるように影響を与えてはいても、そのレイヤそのものが掴めない、姿が見えない。  見知らぬスクリプトに様々な変数が渡される。  様々なパラメータが巨大なCPUで計算され尽くす。  冷静に冷静に"意志体"へと興奮剤と鎮静剤を注射するプログラム。計算通りに処方された見えないdrug。  アヤは瞬きを忘れていた。  誠以外の客が全てジャックアウトした時、突然眼球が引きつって目を閉じる。痛みが襲って来る。モニタの横に常備したビタミン入りの目薬。気休めにしかならないけれど。 『アヤ、熱中し過ぎ』  チャットにダークグレイの文字。気づくと蓄積したデータが消えている。 『……!!!』  あまりのことに声が出せなくなっているアヤの耳に乾いた笑い。もうブレていない、リアルな音。 「リネームしただけだよ。ちょっとしたいたずら。何しようとしてる? アヤ」 「把握したいだけよ……このシステムを……」 「信頼されてねーな」  誠は煙草に火を点す。真っ白い煙はclubの空調までを計算してフロアにゆらゆらとたゆたう。 「じゃ教えて、私の知らないこのパラメータ達の意味を」 「本気で言ってる?」  ハードディスクが僅かにカリカリと音を立てる。アヤが不審そうにウインドウを見やる。誠の瞬き、奇妙なリアリティ、動きは柔らかに、自然に。 「見てみな」  新しい初期化ファイル。サイズは4倍以上に増えている。 「だから『入った』ままだったの誠」 「って?」 「丸2日かかったってキーボードで打てる量じゃない、初期化ファイルにパラメータが増えているということはそれだけ内部コードも増えてるってことでしょ……」 「だから?」 「キーボードじゃ打てない、こんな短期間じゃ」 「まだ増えるだろうと思う。それにもっと軽くなれる。最終的には1,000人くらいのキャパシティになれると思う」 「……誠」 「このクオリティのままで、だ」  もう充分過ぎる、こうして話していたって高性能のTV会議のようだ。作られたホログラムであることなんて説明されなければ気づかないくらい……。 「何を目指してるの」 「テストランまであと5日──」  瞳孔が開いたその表情は極限状態の、 「120時間もある」  恍惚。  プロセスの再起動。ホログラムのリアリティ、色数を落とすような細工はもう要らない。何人かの客に同報e-mail。数秒もしないうちに続々と集まる人々。  アヤもジャックインする。  ほんのちょっとした環境の悪さ(煙草の煙?)、アルコール類のかすかな香り、スピーカーから流れ出す低音が微妙にコアを振動させて僅かに空気が風を起こしている。  人々の呟きとざわめきがきちんと揺らいだ比率を保ちながら音響にランダムノイズを付加して行く。  気まぐれな濃さを抱えたスモーク。気のない点滅を繰り返すオレンジのライト。  そしてDJのかけるレコードに混ざるノイズ、ビートとビートの隙間に僅かにくゆる静寂とその後の音の衝撃。  目をヲ閉ジテハイケナイ  溺レテシマウ  アヤは細かく瞬きを繰り返す、煙草の煙に慣れない目が痛み出す、でも目を閉じたらそこから帰れなくなるのは判っていた、  ここに集っている人々が、  《S.T.》に向ける  その瞳孔に  砕かれた理性の破片が  赤い光を  レーザー光線が、挑発するように、ブラックライトで浮かび上がった白いTシャツの男の顔を切り取って行く。グラマラスな曲線。《S.T.》の操る音が激しさと深みを増しながら、  溺レル  アヤは必死に出口を目指す。あまりに近くあまりに遠い道のり。  気が狂いそうなほどの安堵感、不思議な温かさと深さと空間、それを作り出した論理は全て誠の中にある──誠の中だけに。  絶叫しそうになる。死にもの狂いでドアを目指す自分と、そこに溺れていたいロジックが頭の中でコンクリフト、吐き出したエラーコード、解釈している余裕はない、ジャックアウト、ドアに、ドアに、  木の感触と冷たい風が、儀式のように彼女の頬を撫で、やがて強制的にコネクションを断ったユーザーとして自分のアドレスがコマンドウインドウに現れるのが見えた。  コマンドウインドウが見えている。  出て来たのだ。 「何故」  開きっ放しの瞳孔。 「そんなに嫌うの」  うつろで焦点を失って行く誠の目。その向こうから、1枚のレイヤを透かすようにして、  《S.T.》はまだ笑っている。  指先が震え出す。アヤの頭の中で膨大な言葉が出口を探せずに戸惑ったままで喧騒を繰り広げる。  どうしよう、まだ 「あと120時間」  誠はスピーカーに背中を預けたままで何かを呟いている。  まだ120時間もある、多分もう彼を止めることは出来ないだろう──
/30ページ

最初のコメントを投稿しよう!

1人が本棚に入れています
本棚に追加