- 5 - park

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 小さなマシンと携帯電話をつなぎ、ワークステーションにあるclubのホログラムがそのマシンのディスプレイに現れるのを確認すると、すぐにアヤはログアウトした。  そのマシンと電話をリュックに放り込む。財布代わりのカード、ハンカチにティッシュ、鍵束、細々した小物達、詰め込んで背中にしょって。  いざ出発。  家に戻って来たそれと同じ地下鉄で、今度は会社を通り越す。いつも通っている時には階段を昇ればビルの谷間。今目の前に広がるのは一面の山。 「久し振り!!」  少し上半身を揺らしながら、ベンチに座っていた女性が立ち上がる。バランスの悪い全身──その原因は彼女の左足にある。  例え真夏の太陽の下でも長いパンツに包まれて、それでも覗く足首の不自然な──均一な白さに、目をやるまいと思っても目が行ってしまう。アヤは自分の視線に自己嫌悪する。  膝下が義足の彼女は小百合。アヤが高校時代から、色々な秘密を共有して来た友達。 「座ってる姿勢から立ち上がる時とか、その逆の時とか、まだ不自然でしょう、かなり。でも、歩いてる時や走ってる時は多分全然違和感ないハズ。どう?」  スキップしてアヤの前を行く。後ろ向きにアヤに微笑みながら。 「そうね、確かに」 「ローンの支払いをどうしようかって今はそればっかり。だから珍しくちゃんと仕事してるよ、1日10時間もジャックインしてるから疲れちゃう。遊んでない」 「サーチャーの仕事?」 「そう。大きくて変な依頼、意識的に取りまくったりしてね」 「高かった?」 「すんごく」眉をひそめる。「これサイバースペースの恩恵かもね」皮肉を込めて。「みんな、『入って』しまえば健常者の体持てるでしょ----というかそれしか用意されてないでしょ。だから、現実社会で自由に歩けるようになりたいなんて切望しなくてもいいのよ。幾らでも歩けるんだし。だから大量生産しないからコスト上がる。医者にも散々反対されたけど」 「でも歩きたかった」 「そう。私って古いのかな」  アヤも微笑む。古くたっていいじゃない。  森の中は青い香りでむせ返っている。何ケ月振りにこんな空気に触れるんだろう、とアヤは思う。深呼吸すると、ひんやりした空気。サイバースペースよりこっちの方が異次元になってしまっている感覚。  耳元を虫が通り過ぎて行く。腐葉土の感触が薄い靴底からぐにゃりと伝わって来る。日陰を抜けた途端に地面は乾き始め、微妙な濃淡を付けた草達が彼女の足の裏に自己主張を始める。足首をつつく茎や葉先、幾つかは彼女の靴下に種を託して知らぬ顔をしている。  広い草原。子供達が数人、サーモンピンクのゴムボールを追いかけている。転んで泣き出す女の子と、その子の兄らしい男の子。乱暴な仕種で、でも優しく、彼女の手を引いて、我関せずと転がるボールを再び尾行し始める。 「……あーいう子達はいつまであんな風でいられるのかな」  口をついて出た言葉に、小百合が振り向いてちょっと首を傾けた。 「いつだってあんな風にいられるよ。試しに追いかけてみたら?」  窪地にはまってゆらゆら揺れているサーモンピンクを指差す。 「……今はいいわ」 「ここにしようか」  小百合は1人偉そうにふんぞり返っている大木の下に荷物を降ろす。反対側から笑い声がわずかに聞こえる。あの子供達の家族だろうか。  小百合は左足をシートの上に投げ出す。右足でバランスを取っている。「バランスを取る」ということを自覚してやらないとならない辛さはアヤには理解出来ない。だから時折姿勢を変えようとする彼女の動きを見ないフリをすることくらいしか出来ない。  お弁当にふと吸い寄せられるように飛んで来る虫対策に薄い布をふわりとかけて、その下から取り出して口に運ぶ。小百合は「どう?どうかな?」とその出来を気にしている。 「最初は信じてくれなかったけどね。何でわざわざそんなことするのって」  小百合はサイバースペースでも義足である。用意されたアバターには原則的に五体満足なものしかなく、最初はそれを使っていた。  しかし、生まれてすぐに事故で左足を失った彼女は、神経回路が左足の足先まで通っているという状況はもう覚えていない。自力でコントロール出来るパーツじゃないからプログラミングに頼る。最初は右足のコントロールをスクリプト化して、その方向に関する部分を右から左に書き換えようとするのだけれど、彼女はそれを解釈して左足を「動かす」ことにパワーが費やされるのが嫌になって来る。コントロールしなければコントロール出来ない。何をしても常に左足を動かすことが意識の中に常駐する。  ついにある日、彼女は、カスタム・アバタで左足を消してしまった。代わりに付けたのは、かなり前時代的なデザインの----まるでロボットのような----義足。義足が義足であることを自己主張するような。  それを見た友人達は最初は仰天したが、そのうち、みんな慣れてしまったのだという。 「逆にね、凄く目立って楽しかったよ。義足にしてからの方が友達増えたもん。何処行っても私だってみんなすぐ判ってくれるから」  今、現実世界の彼女の動きはかなり自然だが、今でもサイバースペースの彼女は歩くたびに左肩が大きく上下に揺れる。長い距離を歩くとちょっと疲れる。でもそんな彼女と行動を共にしている仲間達はそれを大したこととしては受け止めていない。中には、現実の彼女は健常者で、趣味で障害者のアバタを使っているだけだと思っている人もいるようだ、と小百合は笑った。 「小さい時にねえ」  小百合は自作のから揚げの味付けに満足したのか頷いた後で、 「親にひどく怒られて家を飛び出した時、外が大吹雪だったんだよ。横殴りの雪。でその中で傘も持たないで吹かれてたら、何かその雪がね……冷たくて、痛いんだけど、とても優しく感じて。……ここにいてもいいんだって言ってくれてる感じがして。何でそう思ったんだかわかんないけど、思えて、涙が出て来て……」 「ふうん」 「近所に竹林があってねえ、苛々することがあると、真っ青で冷たい竹に額を押し付けてとりあえず冷やすの。間違ってタケノコの頭踏みつけてそれが凄く痛かったり……でもどっちにしても、人付き合い苦手な方だったから、そういう、言葉のないもの達の方が、大きく手を広げて受け入れてくれてるような感覚、今でも捨てられないの。公園の鳩に寄って来られると何時間でもぼおっと見てて、飽きなくて、気づくと『あの人何?』みたいな目で周りに人がたかってる。ちょっと恥ずかしいけど」 「あはは、そうだよね。基本的に小百合って公園好きだよね」 「大好き。烏もゲジゲジもみんなひっくるめて大好き」 「げじげじ~??」 「そ、ゲジゲジ。毛虫のことそう呼ばなかった?だってゲジゲジしてるでしょ?」  彼女は自然が好きというより、自然に内在する宇宙が好きなんだと言う。草花の名前とか種別なんかどうでもいいの、聞こえない声と話したいだけだから。 「鳩はいいよ、あんなにシンプルで複雑なダンスを踊れる鳥は他に知らない」  こんなにたくさんの人の声を直接聴いたのは何日振りだろう。  アヤは躊躇せず目を閉じる。強制的にではなく、自ら意識を投じて、それが受け止められる。決して力のない、意味を解釈させない、豊かで、穏やかな。  光の安寧。  空っぽのお弁当箱を片づけて、水筒とポテトチップだけになったシートの上に、サーモンピンクが転がり込んで来る。幼い兄妹は恐縮していた。 「ポテトチップ食べる?」  泥だらけの手にまずおしぼりを与える。真っ黒にされてもあまり悪い気はしない。シンプルな塩味の不揃いなチップを数枚、がさがさと手にして歓声を上げる。大木の反対側から、女性が歩いて来る。 「まあ、何してるの、マコト、チサト……すいません」  同世代。 「いいんですよ、この子が悪いんだよねえ?」ボールをコンッと殴る小百合。 「アリガトウは?」 「あいがちょ」  とチサトと呼ばれた女の子。 「ありがとう」  とマコト。  汚れたボールの表面に書いてあった絵が何だったのかは既に判別不能。小百合が、ボールをアヤに転がしてよこす。ただ手を伸ばしただけでは子供達に返せない距離だから。ちょっと動くのも大変な小百合の意図を汲んで、彼女がそのボールを、早くもポテトチップを食べてしまったチサトに返す。 「あいがちょ」  としかアヤには聞こえない。  満面の笑みと再びの歓声。兄はもう一度済まなそうに頭を下げて妹を追う。それより更に済まなそうにその母が。2人は笑って家族を見送る。 「……マコト、だって」  意味あり気に小百合。アヤは肩を竦める。 「思い出したくないこと思い出しちゃったわ」  時計を横目で睨みながら太陽の下でウインドウを開く。進化と深化を遂げているclubはもうアヤの手には負えないところまで来ている。今はかなり人が多い。この軽さはどうやったのだろう?これは腕のいいハッカーの仕事だ、誠がそこまでのプログラマだとは思えないのに。誰か強烈なプレインでも連れて来たんだろうか。  音は消しておく。この場には呑気なヒバリの鳴き声の方がお似合い。 「凄いねえ、昔、踊らないで座ってただけだったけど」 「行ってたの?」 「うん。あ、そか、アヤは知らないのか。でも……」  小百合は興味深気に覗き込む。 「リアルだねえ、誠さんって天才的だねえ。何で今まで表に出て来なかったんだろう」 「愛の深さなんじゃないかね、clubへの。ここでこれだけのリアリティ出せたからって、動物園作れって言われてこれと同じレベルのもの作れるかって言ったら多分無理でしょ」 「なーるほどぉ。あれぇ、もしかしてこの人」  《S.T.》。 「……小百合、知ってるの??」 「うん、よく話し相手して貰った。相方さんとか回してる時、BOXから降りて来て、座りっ放しで騒いでたから気にしてくれて。田口さんだよねぇ?」  頷くのが精いっぱい。 「まだDJしてたんだ。全然そういうところ行かなくなってたから、何してるんだろうって気にはなってたの。優しい人でしょ、変な内輪意識なくって……だから引きこもりがちな私には凄く有難い存在だったんだあ」  "死んだ"ことは知らないんだ。この《S.T.》もアバタだと思ってる……。  言わない方がいいだろう、と咄嗟に判断してただ笑うだけにする。 「懐かしい……」  小さなウインドウに引き込まれる親友の横顔が、喜ぶべきものなのか悲しむべきものなのか、ちょっと判断に迷いながら、 「ねえ小百合、これ、cyber onlineで来週テストラン入るんだけど、来てみる?」 「あ、来てみる来てみる。後でメールで『鍵』送ってくれたら入るよ」  無邪気な笑顔は何の裏もなく《S.T.》を----と言うより、田口翔太を信じていた人間のそれ。もしかして、何かが判るかも知れない、誠ではない《S.T.》への視点がそこに入ることで。彼女は、見えないレイヤを、見つけ出すかも知れない。  日が落ちて家に戻ったらcyber online側のスタッフからのメールが届いていた。時間は13時、意志体5人と人間2人でテストランの開始を見に来るそうだ。  意志体の5人は既にプライヴェート・テストランの段階から呼ばれている。その完成度と、なおも続く進化には大いに満足している様子。実際に何が起こる訳ではないサイバースペースだから、どんな過激なことでも恐らく歓迎されるのだろう。例えそれが、幾人かの人間を滅ぼすことになろうとも。
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