こごえ

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 あの頭がへこんでるのって、俺だよな?  俺のまぶたをめくってる太ったおっさんは誰だ? マスクで顔かくしてやがって。医者か?  これってまさか、死んでぬけ出た魂が、自分のいた世界を見おろしてるってやつか?  俺は台の上に寝転がされていた。看護師がテキパキと見慣れない機械を俺に取りつける。  ピッピッピッピ。規則正しく鳴る電子音がうっとうしかった。  おっさんが俺の耳に口もとをよせた。 「キミはこれから、生きるか死ぬかの手術を受ける」  頭の中に直接、声がもぐりこむ。 「僕が全力を尽くせば、なんとかなりそうだ」  よし、助けろ。手をぬくんじゃねえぞ。 「聞こえていないかもしれないが、どうしても手術の前に言っておきたいことがある」  ううん、と軽くのどを鳴らしたあとにささやきが続いた。 「キミは山田君と知り合いだよね」  ああ、あのクソ野郎。俺をこんな目にあわせたのが山田だ。 「山田君は先週、左腕を治療した中学生なんだけどね」  知ってるよ、そんなこと。おなじクラスなんだから。 「彼は、階段から落ちたって言い張るんだよ。でもね、医者がみればわかる。あれは木刀かなにかで殴って、骨にひびが入ったんだ」  だからどうしたってんだ。ちゃんとよけない山田が悪いんだろ。あんなのは遊び。ちょっとしたレジャーだ。  学校にきいてみろ。いじめじゃなくて、ふざけてただけって言うから。 「僕はどうしても医者になりたかった。僕をバカにした奴らを見返したくてね。六浪して、ようやく医学部に入ることができた」  なに言ってんだよ、おまえ。そんなのいま、関係ないだろ。早く手術しろよ。 「三回目の入試に落ちたときには絶望した。これはきっと、中学時代に受けたいじめを克服できていないからだと決めつけた。いま思えば、少しおかしくなっていたんだろうね」  おい、大丈夫かよ、この医者。いまでも、狂ってんじゃねえのか。 「だから、僕をいじめていた奴のところに行ったんだ。殺すつもりでね」  ピッピッピッピ。しばらくは、電子音しか聞こえなかった。 「包丁で刺すか、バッドで殴るか、車道につき飛ばすか。いろいろ考えた結果、金づちを使うことにした」  金づち。偶然の一致なのか……。 「決死の覚悟で行ってみたら、奴は引っ越して行方知れず。なんだか力が一気にぬけてね」  水色のシーツが俺の体をすっぽりとおおう。頭の部分だけに穴があいていた。 「僕はそのあとも試験を受け続けた。人生とは皮肉なものだね。いじめた奴を殺せないなら、合格するしかないって力が湧くんだから」  ピッピッピッピ。あいかわらず、音は続いている。重くねっとりとした声とともに、耳の奥にへばりつく。 「くじけそうになるたびに、奴の顔を思い出したものさ。そしてやっと合格した。うれしかったな。でも、いじめられた悔しさは消えなかった」  木刀で殴ったとき、山田は俺をにらみやがった。あんな生意気な顔をしたのは、悔しかったからなのか。 「山田君にはこの話をした。彼はどことなく、むかしの僕に似ていてね。小柄で、色白で、やせていて。まあ、いまの僕は、こんなに太ってしまったけどね。実はキミも似ているんだよ、僕をいじめていた奴に」  医者の目もとに細かなしわがよった。笑ったんだろうか。でも、目の玉は白く冷えたままだ。 「山田君はもう覚悟を決めている。そう、人殺しになる覚悟をね。僕は彼の気持ちを尊重したい」  ピッピッピッピ。耳障りだった無機質な音に俺はすがりつく。この音が消えれば、俺は死ぬ。 「すっきりするだろうな。僕もやっと過去を清算できそうだ。しかも、法には触れずに」  医者はゆっくりと立ちあがった。一切の表情を消し、俺を見おろす。  小さな声が、俺にふりかかった。 「ありがとう」  医者の口もとが鎌の形にあがった。体の奥が激しくふるえる。 「キミみたいなクズが、感謝の言葉をかけられて命を締めくくるんだから、人生とは本当に皮肉なものだね」
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