第1話 せつない三角関係

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第1話 せつない三角関係

 一斉に咲き誇り、誰もが愛する清楚なソメイヨシノというよりは、少し時期を違えて孤独に咲く、(あで)やかな八重桜みたいだ。  桜咲く四月、青陵高校の音楽室で、桜井(さくらい)という名のその人に会った時、松原(まつばら)は思った。  金髪の前髪の下にきらめく琥珀色の瞳は、年齢不相応な妖艶な色気を放つかと思えば、儚げで切なげにすうっと細められるのが印象的だった。  八重桜の花びらが、より深いグラデーションを描くように。  より薄くて繊細なフリルに彩られているように。  その感情の振れ幅の大きさと繊細さが、桜井の瞳を際立たせていた。  中学でもトロンボーンを吹いていた松原は、迷うことなく青陵高校入学と同時にブラスバンド部への入部を志望した。  トロンボーンパートの先輩たちは、華やかだった。最上級生の柏木と柳沢。二年生の草薙。  ルックスに恵まれ、個性は異なるものの、それぞれカリスマを発揮する上級生の姿に接した松原は、『先輩としっかり者の三枝についていき、脇で支えていこう』と自分の立ち位置を早々に心の中で決めていた。  そんなに回転が早い方じゃないし、気の利いたことをいうのも苦手だ。松原は元々『縁の下の力持ち』を自認していた。  自分の持ち場を定めると、まずはそれぞれの性格や関係性を知ろうと、人間観察に徹した。間もなく彼はトロンボーンパートを取り巻く複雑な人間模様に気付いた。  柏木はトランペットの二年生・桜井と付き合っているようだ。  草薙はその二人の関係を知っているのに、柏木に熱く片想いをしている。  しかも、柏木も、桜井という恋人がありながら、草薙に対して満更でもなさそうだ。 (……圭先輩を挟んで、桜井先輩と草薙先輩とで、三角関係?)  男子校に入って早々、こんな洗礼を受けるとは思いも寄らなかったが、三人とも人柄が良いし、何よりその恋心はとても純粋に見えたので、松原は、同性同士の恋愛に対して最初こそ驚いたものの、嫌悪感は全く持たなかった。 (しかし、同じ部内、同じ楽器で、この状況……。後輩としては、やりづらいよなぁ……)  松原は、傍観者を決め込むつもりだったが、三人が顔を揃える状況では、気が重く感じた。  確かに、柏木と草薙は同じ楽器だし、一学年しか違わないので、部活で一緒に過ごす時間は長い。しかし草薙は奥手で、他人の恋人を略奪するなどという発想は持ち合わせていなそうに見える。  実際、草薙は柏木に対して、決して自分から積極的にアピールしなかった。ただ子犬のようにつぶらで大きな瞳を潤ませて、柏木の後ろ姿に淑やかで熱い視線を送るだけだ。柏木と桜井が仲良さげに肩を寄せ合ったり笑顔で見つめ合っている姿を見ると、切なそうに眉を顰め、そうっと目線を逸らし、悲しそうな顔を伏せて自分の楽器を磨いたりして、その胸の内を隠していた。  しかし、トロンボーンの練習メニューについて相談する時など、少し頬を赤らめて憧れの人を上目遣いで見つめる草薙の眼差しには恋心が溢れていたし、一方の柏木と言えば、まるで弟を溺愛する兄のような優しい表情をしている。確かに、この二人の間には、何かの拍子でどうにかなってしまいそうな微妙な関係性が透けて見えた。  松原にとって意外だったのは、草薙の態度ではなく、むしろ、桜井のそれだった。  柏木が草薙と二人で話している場面では、いつも、少し悔しそうで、苦しそうな表情を浮かべていた。  桜井は、現役バリバリの柏木の恋人なのに。  草薙は、同じ楽器の後輩というだけなのに。  ブラスバンド部の部員たちに呆れられても、桜井は人前でも柏木への愛情表現を躊躇しなかった。堂々と柏木の肩や腕に凭れ、腕を絡め、濡れた瞳で甘えて見せた。もちろん柏木への愛情表現でもあるのだろうが、淑やかな片想いを続けて一歩も引こうとしない草薙への牽制の意味もあるように思えた。  なぜなら、桜井は柏木と絡んだ後、必ずと言っていいほど草薙の反応をチラッと伺っていたからだ。それも、勝ち誇ったりマウンティングするような表情ではなかった。少し怯えているかのように切迫して見えた。  まるで『草薙。僕から、圭を取らないで』と訴えているかのように。  片想いの草薙と、両想いのはずの桜井。 それなのに、なぜ二人は同じくらい切なそうなんだろう。  トロンボーンに賭ける草薙は身体も鍛えているらしく、みるみる筋肉を付けて身長も伸びた。普段の二人を全く知らない第三者ならば、同じような身長・体型の柏木と草薙は双子の兄弟みたいだと思うだろう。  決して、恋人同士ではなく。  実際二人は、時折の甘い雰囲気を除けば、ブラスバンドを同じ方向に同じような熱量をもって牽引しようとする対等の『バディ』として向き合っていた。  一方、桜井は小柄で華奢で、柏木の隣に並ぶと庇護し可愛がる対象にしか見えない。第三者なら、誰がどう見ても『柏木の恋人は桜井』と疑いもしないだろう。  しかし、この三人を沈黙のうちに見つめていた松原は、彼らのバランスが微妙に変化していることに気付いていた。草薙が逞しくなるのと反比例するかのように、桜井は次第にやつれていった。元々、色白で華奢だったが、儚さを増していった。瞳の輝きは失われ、今ではいつも薄っすらと涙が表面に膜を張っている。何かを諦めたかのような寂しい表情を浮かべていた。恋人に寄せていた、ふっくらした桜色の唇は、噛み締められ色を失っていた。恋人の心が次第に自分から離れていくことを知りつつ、それを止められない無力さに己を儚んでいるかのように見えた。  自分の姉が、以前、当時の彼氏に振られた時は、相手を殴ったり、ギャーギャー喚いたり、女友達を捕まえてワンワン泣き喚いたりと、大変な騒ぎだった。  それを考えると、桜井は、自分の失いつつある恋を一人きりで静かに葬ろうとしているようだった。一番桜井の近くにいるブラスバンド部の友達にすら、そういった話はしていないことは雰囲気で分かった。  目の前で何が起こりつつあるか。松原は自分の予測に、ある程度自信はあった。しかし、手をこまねいてみていることしかできない自分がもどかしかった。
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