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 ふいに名前を呼ばれた。振り返れば、食卓を囲む父がこちらを見つめている。優し気に細められた目。灰島の家に来て初めて見たものだ。その笑顔にドキリとする。嬉しくて泣きそうになった。笑いすぎて頬が痺れた。 「お父さんが呼んでる」  もう一度魔法使いを振り返ると、魔法使いは弾けるような笑みを浮かべて柵の上でジャンプした。ぱっと両手を広げて、空中に浮いていた。 「ああ、そうだね。お父さんが呼んでいる。今なら何も、怖くない。さあ、行って! お父さんが呼んでいるよ!」  ふわり、と降りてきた魔法使いにぎゅっと手を絡められた。握っていた杖が離せなくなる。ぱちん、と魔法使いはあざとくウインクをした。背中を押されるがままに食卓へ駆けていく。鼻先にはいつまでも魔法使いの匂いが漂っていた。 「藍」  父が呼ぶ。兄が呼ぶ。  愛おしそうに、暖かく、柔らかく。招かれるがままに食卓へとついた。迅の隣、父の向かいだ。  零がほほ笑み、迅が手を伸ばす。一瞬ぶたれるのかとひやりとしたが、迅は大きな手で藍の頭を撫でただけだった。反射的に瞑った目を開けば迅の優しい笑みが目に入る。そんな顔で笑いかけられて、藍はふにゃりと顔を崩した。  父がそんな藍と迅を見て、向かいの席で笑っていた。穏やかな声を上げて笑う父に藍は胸が熱くなるのを感じた。  笑いあう家族が囲む食卓の席で鮮やかな花びらが舞う。まるでこの幸せを祝福してくれているみたい。 「楽しいね! 美味しいね!」  心臓がはちきれそうだ。嬉しい。楽しい。家族でまた食卓を囲めているなんて。一緒にご飯が食べられるなんて。  愛おしそうな目で皆から見つめられ、藍は恥ずかしくなって俯いた。  食卓に並ぶのは藍の好物だったビーフシチューだ。母の料理のはずだった。 「もしかして、お父さんが作ってくれたの?」  何も言わずに笑顔で頷く父。自分のために料理を作ってくれたことにたまらなく嬉しくなった。  ぺろりと舐めれば母の作ったような味ではなくて、しょっぱいのか苦いのかよくわからない味がした。 「うわ! お父さん、下手だなあ」  あはは、と笑えば兄も笑う。藍はそんな光景を見て声を上げて笑った。 「お兄ちゃん、何笑ってるの! ほら、食べてよ食べて! お父さんが作ってくれたんだよ!」  ひらりひらりと舞っていく。月明かりに照らされた食卓に、鮮やかな花びらが舞い、少年の無邪気な笑い声が響いている。  ベランダでは柵の上に腰掛けた魔法使いが、足を揺らしながらその様子を眺めていた。 「これが僕からの君への祝福だ。いずれ呪いに変わっても、また夢を見よう。さよなら、藍。愛しの弟」  藍の背後で、ゆらりと空気が揺れた。銀髪の魔法使いが、夜の闇に溶けて、消える。ころころと鈴のなるような笑い声がベランダにこだましていた。  無人になったベランダでは、真っ白のカーテンが微かな風で控えめにはためいている。  真っ赤に染まったリビングの床の上で、少年は意識を失うまで笑い続けた。
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