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エピローグ
宝井は線の細いすらりとした長身の青年を前に、必死に動揺を押し隠していた。
一般病棟で入院する灰島藍の監視として、今日は私服である。面会謝絶である藍を訪ねた青年は、恐ろしく整った顔を切羽詰まった様子で歪ませ、宝井に詰め寄った。
「会えないって、どういうことですか!?」
くっきりとした二重瞼と、その延長線上にあるまぶたの際のホクロ。あまりにも肌が白いため、小さなホクロの黒は特徴的だった。穏やかで優し気な目元は完璧な左右対称で、寒気がするくらいだ。手を伸ばせばすり抜けてしまうのではないかと思うほどに瑞々しく透明感のある肌に、男でも唾を飲み込んでしまうほどの艶やかさを持った細い首筋。ほのかに石鹸のような匂いが香っていた。
証言と異なるのは青年が黒髪であることくらいだった。
「申し訳ありません。何度も申し上げておりますが、彼は今非常に心身ともに安定していない状態なのです。誰であれ、面会は受け付けておりません」
「でも、俺は」
きっと見た目の通り、穏やかで優しい青年なのだろう。宝井はそう思った。吠えるように声を荒げる青年には、ただひたすら必死さと追い詰められたような表情が浮かんでいる。あるいは深い後悔か。
春日晳、と男は名乗った。今回の事件で、もう幾度となく聴取を受けているであろう青年であることに宝井はようやく気がつく。
しかし気がついたところで、痛々しい気持ちが増すだけだった。余計に晳に対する同情の念が大きくなり、心が痛む。
少し強く言い過ぎたことを反省するも、規則を破って藍に合わせるわけにもいかない。そもそも今の藍を見ても、晳を一層苦しめるだけのように感じた。春日の家族はまだ、藍の体に刻まれた痕を見ていない。一体藍がどのようにして生活していたのか、その実態を見ていない。直視しなければならない日はいつか来る。だけど、それはあまりに酷な現実なのだった。
青年と、そして一人の母が背負うには、分けても重すぎる罪のように感じた。ましてや後悔でいっぱいの彼らには。
「……君にはまだ、会わせられないんだよ」
ひどくやるせない事件だ。
つい宥めるような声が出てしまって、にじみ出る同情を感じ取ったらしい晳はキッと宝井を睨みつけた。あまり見たことがないほどに整った容貌の晳に睨まれれば、背筋に悪寒が走る。
それでも、宝井にも譲るつもりはなかった。
「今日は帰りなさい」
「…………また来ます。何度でも。絶対に俺は連れ出しますから」
握り込まれた拳が震えている。感情を抑えた唸るような声だった。
もう一度宝井を睨みつけると、晳はくるりと後ろを向いて去って行った。悲嘆に暮れる後ろ姿じゃない。覚悟と決意に満ちた強い背中だった。
「……」
規則を守ることは重要な仕事だ。裏切ることのできない任務だ。宝井は与えられた仕事をまっとうしてもなお、やるせない気持ちに包まれていた。自分が彼らにしてやれることが何もないことが、さらにその気持ちに追い打ちをかける。
こうも切実に他人の幸を願ったことはない。
晳の背中が見えなくなったとき、宝井が背中を合わせていた後ろの扉の中から、微かな物音が聞こえた。灰島藍がきっと目を覚ましたのだろう。廊下で一つ息を吐きだすと、宝井は静かに病室の扉を開けた。
病室では起き上がった灰島藍……いや、春日藍がぼんやりと窓の外を眺めていた。虚ろな瞳が何を映しているのかは分からない。それでも、暴れたり泣いたり叫んだりしないだけでもだいぶ落ち着きを取り戻しつつあることがわかった。
宝井に気がつくと、にっこりと愛嬌のある笑顔を見せる。
宝井は晳の切羽詰まった顔を思い出し、ぐっと唇を噛みしめた。
「……君にはまだ、会わせられないよ。魔法使いのお兄さん」
了
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