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「……付き合うって、お前なぁ」
脈打つ心臓の音が、鼓膜の裏にまで響いてくる。平静を装いながら、木嶋は長谷川に言った。
「幼馴染だからって付き合うとか、漫画の中の話だろ」
「実際にあってもおかしくないだろ?」
純粋な目で見つめてくる長谷川に、「まあ、そうだけどさ」と語尾を濁すことでしか反応ができない。その間、柳瀬は下を向いたまま、何も喋らなかった。ショートボブの髪が、彼女の表情を隠していた。
「だってよ、さっきから翔太と柳瀬、似てるところばっかだぜ? 笑い方も、そのタイミングも、あり得ないほどシンクロしてた」
「そ、そうか?」
「うん。似てるところが多いのは運命だと思うけどな」
飾り気なく言う長谷川を見ているだけで、恥ずかしさで高鳴る鼓動が、恋愛感情から生じるものだと勘違いしてしまいそうになる。
木嶋は柳瀬に発言を求めようとした。夕焼けが彼女の顔を染めているのか、羞恥心が頬を染めているのか。いつになく、彼女の顔が美しく見えた。子供から大人へ変貌していくさなかにある顔つきが、翔太の心臓を高鳴らせる。
じっと柳瀬を見ていると、彼女と目が合った気がした。潤んだ目に引き込まれるかのように、木嶋は言葉を紡いだ。
「……柳瀬、俺と付き合ってみる?」
「……え?」
その言葉に弾かれて、柳瀬は顔を上げる。数度まばたきをすると、口角を上げて微笑んだ。
「……うん」
その穏やかな笑みは、今まで見た彼女の笑顔の中で一番きれいだと、木嶋は思った。
ヒュー、と長谷川が口笛を吹く。その音が、木嶋の顔を真っ赤に染めた。
「やめろよ、樹。ちょっと恥ずかしいじゃんか……」
「いいだろ、別に。おめでとう、二人とも」
「お祝いされるほどの事じゃないと思うけど……」
初夏の暑さのせいか、恥ずかしさで火照る体のせいか。柳瀬はぱたぱたと顔を仰ぎ始めた。
木嶋も上まできちんとつけていたシャツのボタンを一つ外した。人生初めての『彼女』を前に、緊張が走る。
すべての元凶である長谷川は、「邪魔しちゃ悪いな」と言ってそそくさと帰ってしまった。ブランコには生まれたばかりのカップルだけが取り残されている。
夕日が完全に沈み、空は橙と藍が混ざった色をしていた。
「……帰ろうか」
「……うん」
緊張が互いに伝わり合う。普段なら、他愛のない話をして盛り上がるというのに、今日はできなかった。
触れそうで触れない肩にもどかしさを感じる。
いつも別れる十字路を過ぎても、木嶋は柳瀬と並んで歩いていた。互いに無言で、それでいて心地よい空気の中、柳瀬が利用する駅にたどり着く。
「じゃあ、気を付けて帰って」
「うん。ありがとう、木嶋くん」
帰宅ラッシュの人混みに柳瀬の小さな影が混ざり合っていくのが見えた。その瞬間、木嶋の心から溢れ出んばかりのラベリングされていない感情が、彼の声帯を突き動かす。
「未来。また明日」
驚きの色を浮かべた笑みで、柳瀬はそれに応える。
「……またね。翔太」
再び彼女が雑踏に紛れ、その影が見えなくなるまで、木嶋はその場から動くことはなかった。高鳴る胸を抑えるだけで精一杯だった。
初めてできた恋人に抱いたこの感情を、好きと名付けていいのだろうか。早くなる鼓動が、彼の表情を柔らかくする。にんまりと上がっていく口角を自制することなく、木嶋は軽い足取りで帰路に就いた。
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