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黒い獅子型の異形――魔物が、血しぶきをあげながら横様にどうと倒れる。
魔物はしばらくぴくぴくと痙攣していたが、やがてがくりと首を地に預け、動かなくなった。
「大丈夫か」
魔物の血よりも赤い髪がひるがえり、紅玉のような双眸がこちらを向く。わたしはひとつうなずき、
「ありがとう」
と微笑みかける。
彼はなんだか泣きそうな顔をしてくしゃりと笑むと、長剣についた魔物の血を振り払い、鞘に収め、わたしに手を差し伸べた。
「先を行こう」
わたしは気づいた時には、彼と二人きりだった。
なんだか、闇の中で、実の両親が血だまりに沈んでいたような気がする。のだけれど、そのあたりの記憶はひどくあいまいで、自分がどこに住んでいて、どうやって育ったかも、何故両親が死んだのかも、わからない。
とにかく、天涯孤独になったわたしに救いの手を差し伸べたのは、彼だった。
この世界で、満足に短剣も振るえない人間は、はびこる魔物に食べられて、終わり。その運命からわたしを救ってくれたのは、彼だった。
共に荒野を旅し、魔物が出ればわたしを物陰に隠し、舞うように剣を振るって、魔物を葬る。
わたしがおなかをすかせれば、どこからともなく動物の肉や木の実を調達してきて調理し、空腹を満たしてくれる。
寒い夜には赤いコートをわたしにかぶせて、一晩中火の番をしてくれる。
魔物と戦えるように、剣の振り方を教えてくれる。
そんな彼に、わたしが返せることはなんにも無くて。
だから、精一杯の感謝を込めて、告げるのだ。
「ありがとう」
助けてくれて。
「ありがとう」
守ってくれて。
「ありがとう」
食べさせてくれて。
「ありがとう」
教えてくれて。
だのに彼は、その度に、とても苦しいのを耐えているような顔をして、目を細め、唇の端を少しだけ持ち上げる。それだけ。
わたしは本当に彼に感謝しているのに、どうして素直に受け取ってくれないのだろう。
疑念と、寂しさの風が、常にわたしの心に吹いていた。
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