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危うい薄氷の上を歩くような日々の終焉は、唐突だった。
世界に魔物が溢れる前には栄えていただろう、さほど大きくない町の廃墟に辿り着いた時、彼はわたしを町外れの墓場へ連れていって、ひとつの墓石の前で告げた。
「ここに、俺の家族が眠っている」
一呼吸置いて、彼は続けた。
「俺が殺した」
驚きに目を見開くわたしに取り合わず、彼は墓石を見つめながら先を継ぐ。
「魔物の『素』になる異形、『滅』がやってきて、この町の人間は、皆魔物になった」
だから、斬った。家族を。両親も、祖父母も、弟妹も。
深い息と共にそれを吐き出して、彼はくるりと振り返り、拳で胸を叩き。
「ここにも、魔物のなりそこないがいる」
そう告げて、腰に帯びていた短剣を、わたしの手に握り込ませた。
それで悟る。魔物のなりそこないが、誰なのか。
「お前の両親も、魔物になりかけていた。だから、俺が殺した。お前を守る為に……いや」
一瞬ためらって、紅の瞳に哀愁が漂う。
「魔物にならなかったお前が、いつか、両親の仇として、魔物になる前に俺を殺してくれるように」
今までの思い出が、走馬灯のように脳裏を巡る。
助けてくれたのも。
守ってくれたのも。
剣を教えてくれたのも。
ごはんを食べさせてくれたのも。
ありがとうを繰り返す度に見せた顔も。
すべて、いつかわたしが彼を討つ為に、育てるためだったのか。
ほろほろと。両目から涙があふれ出して頬を伝う。短剣を握る手ががくがくに震える。
「俺はもう、限界なんだ」
彼が見つめる両手も、わたしと同じくらい震えている。
「お前を見ると、食い物にしか見えなくなってきてる。その喉を引き裂いて、血をすすりたくなる。衝動のままに、すべてを破壊したくなる」
そう言って嗤う彼の口から、牙がのぞく。
だから、と。
彼はだらりと手を下ろし、無防備極まりない姿をわたしの前にさらす。
「殺してくれ。俺が正気のうちに」
涙でにじんだ視界の中、彼の表情はうつろだった。すべてを諦めて、それでいて、わたしにすべてを託そうとする決意に満ちて。
ずるい。
その言葉をかろうじて呑み込んだ。
責めることもできたはずなのに、この胸に湧き上がってくるのは、共に過ごした日々への感謝。
あれがすべて、わたしが彼を殺す役割を果たすためだけのものだったとは思えない。
目を閉じて、涙を拭う。しっかりと彼を見すえて、短剣を握り直し、彼の心の臓の位置に突きつける。
彼が、初めて見る笑顔を見せる。あいまいな、苦しみを我慢するような笑顔ではなくて。心からの、安堵の笑みを。
「ありがとう」
感謝の声が鼓膜を叩くと同時。
わたしは、短剣を握る手に力を込めて。
勢いよく。
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