少女解凍

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少女解凍

氷に閉じ込められた少女が発見されたニュースは、春一番に乗って世界を駆けた。 発見した名も無き農夫のもとに世界中から記者が押し寄せ、インタビューの度に大袈裟になっていく話は「小さな王国を舞台にした二十一世紀最大のミステリー」として大きく報じられた。 世界が氷の少女に注目する理由はざっと数えて三つある。一つ目の理由は、少女が身につけているドレスだ。腰回りをぎゅっと締めるコルセットに、傘のように広がったスカート。裾には贅沢なレースがあしらわれている。この形のドレスが流行したのは百年以上も昔のことだ。 二つ目の理由は、少女が死んでいないことである。氷を溶かすと彼女は仮死状態だと分かり、王立病院の医師が蘇生処置を施したら脈を打ち呼吸を始めた。つまり氷はタイムマシンとなり、少女を生きたまま百年先の未来へ送ったことになる。 しかし自然に目を覚ますことはなく、意識不明の昏睡状態が続いている。どうしたら彼女は意識を取り戻し、ことの真相を本人の口から聞くことができるのか。これが、世界が少女に注目する三つ目の理由である。 早く少女を目覚めさせろ。世界中の透明な圧力が、取るに足らない小国を締めつけた。 そこで王様は、少女を目覚めさせる策がある者を募ることにした。財政は苦しかったが、十分な報酬に寝床と三食をつけて。 王様の作戦は功を奏し、世界に名を轟かす有力な者たちが名乗りを上げた。さっそく少女が眠る部屋に集められた彼らは、それぞれが考えるとっておきの方法を一つずつ試していく。 一人目は医師、リンデマン。治せない病気は無いと囁かれる名医で、各国の王族や政治家からの使命が絶えない男である。 「脈と呼吸は正常で、心肺機能に問題は無さそうです。電気ショックは必要ありませんね。ひとまずは刺激を与え、大声で呼びかけてみましょう」 リンデマン医師は少女の青白い頬をペタペタと叩き、耳の近くで「おーい」と大きな声を出した。しかし、残念ながら少女に変わった様子は見られない。 二人目は隣国の第二王子、クリスティオ。厳しい教育を受けた第一王子と違ってのらくらした性格で、庶民の珍事に首を突っ込むのが大好きな好事家である。 「長い眠りからの目覚めといえば、昔から相場は決まっているではありませんか。お姫さまは王子さまのキスで目を覚ますものです」 クリスティオ王子は少女に優しく口づけをした。しかし少女はピクリとも動かず、王子の唇に冷たい感触が残るだけだった。 三人目は薬草魔女、オリヴィア。先祖代々にわたり受け継がれてきた秘伝の薬は、あらゆる奇跡を起こしてきた。東の国では壊死した四肢を復活させ、西の国では悪霊を祓った女である。 「ずいぶん深く眠っているのね。マンドレイクの声でも聞いたのかしら。レモングラスを浸したブランデーを一口飲めばスッキリ目覚めるわ」 魔女のオリヴィアは少女の口を開け、ブランデーを流し込んだ。少女の冷たい手を握ってしばらく待ってみたが、何も起こらない。 三人の作戦はいずれも不発に終わり、お互いに顔を見合わせた。どの顔にも「こんなはずではなかった」と書かれている。 「一体どうなっているんだ」 「報酬をもらって失敗とは、我々の名誉に傷がついてしまう」 「世界が注目しているのに、失敗と知れたらどうなるか……」 医師は脂汗をかいて頭を掻きむしり、王子は部屋の中を行ったり来たりし、魔女は顔を青くして自分を抱きしめた。焦りが三人をじわじわと追い詰める。 そのとき、コンコンと扉がノックされた。入ってきたのは王室専属のコックだった。 「失礼いたします。夕食をお持ちしました」 何の成果も出ていないのに、一つめの報酬が来てしまった。 コックが運んで来たのは、大きな鍋に入ったビーフシチュー。デミグラスソースの濃厚な香りが鼻をくすぐり食欲を誘う。湯気がもくもくと立ち上がる鍋の中では、とろんと角の取れた牛肉とにんじん、じゃがいも、たまねぎが泳いでいる。 シェフが皿にシチューを盛り付けていると、三人の背後で「ぐうぅぅぅ」と大きな音がした。音源の方を振り返ると、なんと少女が目を覚ましているではないか。 空気に溶けて無くなりそうな声で、少女は喋った。 「おなかすいた……」 医療でも愛でも魔法でもない。少女の意識が求めていたのは、百年の空腹を満たし、身体を温めるビーフシチューだった。 まさかシチューに負けるとは! と三人は大笑いする。コックもつられて笑った。事情を飲み込めていない少女だけが、大きな目をぱちくりさせる。コックは少女の分のシチューを皿に盛り、手招きで彼女を呼んだ。 食卓に集まって温かいシチューを囲めば、百年眠っていたことも笑い話になる。少女は体の芯から温まり、蕩けたじゃかいものような笑顔を見せた。めでたし、めでたし。
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