1/1
前へ
/3ページ
次へ

 赤レンガを敷き詰めた地下街の通りを行くと、あちらこちらから濃厚な甘い匂いが漂ってくる。それもそのはず、本日は二月十四日、バレンタインデー当日である。  夜になれば商戦の熱も下火になるかと踏んでいたが、そうでもなかった。なるほど、日付が変わるまでがバレンタイン、帰るまでが遠足ですというわけだ。  目に入るもの全てが赤とピンクと茶色で浮足立っている中を、仕事終わりのくたびれたパンプスで歩くのは体力も精神力も削れてしまう。このまま家まで帰り着く自信がなかったので、手近なコーヒーチェーン店で一度休憩することにした。 「ご注文はお決まりでしょうか」  ぱっちりとした目鼻立ちの印象的な店員さんが、ウグイスのような声で注文をうながす。差し出されたメニュー表の中で、真っ先にアールグレイの文字が目に入った。  大手コーヒーチェーン店で頼むのがコーヒーではなく紅茶なのは店への冒涜だろうか。しかしメニューにあるのだから文句を言われる筋合いはないはずだ。 「ホットのアールグレイを一つ。Sサイズで……」  以上です、と注文を終えようとしたその時。  レジ横の陳列棚にふと視線が移る。まるで何かに導かれるように、私の目は行儀よく並んだカップケーキに引き寄せられた。  ──その瞬間、紺色のセーラー服を身にまとった少女の華やかな笑顔が、レジ担当の店員の姿に重なった。    ああそうだ、この店員さんは「あの子」に似ていたから印象的だったのかとひとり納得する。長いというにはまだ若すぎる生涯の中で、唯一の親友と言ってもよい存在だったあの子に。  数秒固まってしまった私を訝しむように、「他にご注文はございますでしょうか」と尋ねる声がする。  私は急いでプレートに書かれた商品名を読み上げた。 「……それから、ベリー&チョコレートのカップケーキを一つください」
/3ページ

最初のコメントを投稿しよう!

3人が本棚に入れています
本棚に追加