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本当はまだ酷な運命を受け入れられそうにない。ショックも絶望も拭いきれず今にも心が壊れてしまいそう、だけど。
起き上がろうとしている葵に手を貸すついでに、そのまま腕を引き寄せた。
「ぁおいぃっ。いつにも増してイイオトコっ大好き!」
「んが!? こんな時だけ懐くな、そんな好きいらねーし──ヤメレ!!」
「……ありがとっ……」
この日この時、葵と私を柔らかく包んでいた街灯と、万物を冷ややかに照らす月光と──それらは今まで見て来たどんな光よりも目映く、滲んでいた。
「──何分待たせるんだ、この馬鹿が」
「だって、こう改まってするデートなんて初めてで、何着たらいいのか分からなくって。こんにちは、庵……」
そうして迎えた、土曜日。
─「階段を駆け上る等の運動は言うまでもありませんが、今後は少しの動悸の乱れでも発作が起こるかもしれません。感情の高まりによる興奮状態は引き金となりやすいことを忘れないでください」─
病院の先生からの注意をよく心に留め、そして挑んだデート。庵との待ち合わせ場所は、家や会社から距離のある銀座の交差点。
「一先ず、乗れ」
「う、ん。あ、ありがとう……」
私を迎えてくれた庵の車は、高級四駆のハマー。会社では見ることのないゆるい髪型に、休日専用のラフな格好。
腹黒だろうがカネモチはレディのエスコートを忘れない。助手席への扉を開けてくれるわけだが、初めて拝んだ庵の私服姿を前に、私の胸はドキドキでどうにかなりそうだった。
気を紛らわすために、どうにか悪態をついてやろうと思ったのに、困ったことに文句のつけどころが一つもない。
──はぁどうしよう。無駄にイケてるよ庵……
「いいんじゃないか? そういう格好も」
助手席でシートベルトを締めていた矢先、さらには心臓が止まりそうになった。アクセルを踏むと同時にさり気なく、お嬢風のヒラヒラワンピースを褒めてくれるものだから。
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