はじまりの春

2/14
510人が本棚に入れています
本棚に追加
/36ページ
 そうして見つめ合うこと数秒。  先に視線を切ったのは、私の方だった。 我に返って自分があまりにも不躾に神主さんを見つめていたことに気づいたからだ。 見惚れてましたなんて、さすがに恥ずかしすぎて、もう顔があげられない。  そのままぺこりと頭を下げてから、私は社務所の方を見ないまま歩き出した。 だから神主さんがどんな反応をしたのかは、知らない。  カラコロとカートを引いて、本殿に向かった。  神社の御参りってどうするんだったかな。 先ほどの一件が頭にあって、なおさらに混乱していたものだから、うっかり手水をすっ飛ばしそうになる。 ごめんなさい神様。 あわてて参道を戻り、入手水舎で柄杓を手に取った。  ふと見ると、水盤には野の花がひとつふたつと浮いている。 うわあ、可愛い気遣いだなあ。 掃除も丁寧にされていて、とても気持ちがよかった。 こんな小さな神社なのに、信仰されているんだなって感じる。  お賽銭を探してバッグを探ったり、モタモタしながら参道を進む。  二礼二拍手一礼。  幼い頃、祖母に教えてもらった参拝の方法を思い出しながらやってみる。 何度かやり直したりしたけど、不格好ながらにお参りを終えることができた。 これで少しはいい運がもらえると良いな。 そう思いながら、来た道を戻る。  なにしろ小さな神社だから、歩く距離も無いに等しい。  と、思ったのだけど。  カラコロと石畳の参道をカートの音が響く。  ……あれ?  私は覚えた違和感に立ち止まった。 石段と鳥居はすぐソコに見えている。 なのに、いつまでたってもたどりつけない。 あれ……?どういうことだろう。 歩いても歩いても距離が縮まらない。 「……なに、これ」  不審に思うと同時に、私は怖くなってきた。 どういうこと?どういうこと? なんで辿りつけないの。 ありえない出来事に、鼓動は早くなる。  どんどん怖くなってきて、足を早めた。 だけど、鳥居に辿りつけない。 しまいには、闇雲に走った。  やだやだやだやだ、なにこれ怖い……!! だけど走っても走っても私の足下だけがルームランナーにでもなったみたいに、進まない。  私は息の続く限り走って、とうとう動けなくなった。 その場にしゃがみ込んで、はあはあと荒くなった呼吸を整える。  私の他に人の気配はない。 満ちた静謐が、かえって怖かった。 いっこうに近づけた気がしない参道の、出口の方を見つめて泣きべそをかく。 嘘でしょ、このままじゃここから永遠に出られないんじゃないの。  厄払いのつもりでお参りした神社でこんな目に遭うなんて。 疲れたのと怖いのと色々な感情が綯い交ぜになって、もう動けない。 ここでこのまま行き倒れてしまうのだろうか。  膝を抱えて考えた、その時だった。 「……迷ったのか」  すぐ後ろで声が響いた。 びっくりして振り返ると、さっきのイケメン神主さんが立っていた。  ああ、せっかく話しかけてくれたのに……。 「あ……あ、あの……」  涙目でたすけてと訴えようとしたのだけど、言葉が続かない。 酸欠の魚みたいに口をぱくぱくとさせた私に、神主さんは分かったというように頷いて見せた。 どうやら、完全にパニックになっていた私の混乱は伝わったようだ。 「落ち着け……」  深いバリトンが、そう言った。 その声を聞いた途端のことだ。  私はそれまでが嘘のように、すぅっと自分が落ち着きを取り戻すのが分かった。 瞬きをして彼を見上げると、黒い瞳が私を見下ろしていた。 「立てるか」  訊かれて私は、こくりと頷いた。 足はまだガクガクしていて、息は切れて言葉を紡ぐのも難しかったけど。  少しよろけながら立ち上がると、神主さんがポンポンと私の背中をかるく二度叩いた。 ちょうど、肩胛骨のあたりをそれぞれ交互に。 そうされると、私はなんだか身体がふわりと軽くなったような心地がした。 そして恐怖に丸く猫背になっていた背筋が、ピンと伸びる。 「……!!」 「まっすぐ行くんだ」  驚いている間に、背後に立った神主さんが前を指さす。 「振り返るな」  そう言うと、彼の手がごくごく軽く私の背中を押した。 そんなに強く押されたわけでもないのに、私はよろめくように三歩ほど前に進む。  するともう、さっきはあれほど走っても辿りつけなかった鳥居の下にいた。 「ええ……ッ!?」  びっくりして振り返ろうとしたら、今度は叱咤するみたいな声が追ってくる。 「振り返るな……!」  その声に背中を押されたような気がして、私は夢中でカートを抱えて石段を走り降りた。  まろぶように走り出たのは、さっき歩いてきた砂利道だ。 畑と田圃の間を通って、山肌に沿うようにつづいている道。  さっきまで私の周りにあった神社の張りつめたような空気は、どこかにいってしまった。 とんでもなく、不思議な心地だ。  私はへなへなとその場に座り込む。 出られたのだ、と思うと安心したせいで腰が抜けてしまいそうだった。  そして、私はおそるおそる背後を振り返る。 「え……」  そこには、周囲と同じ緑の斜面があるだけだった。 小さな石段も鳥居も、何もかもがなくなっている。 「……え……えええ」  ええええええぇぇぇぇっ!?  私はマンガみたいに何度も目をこすってみた。 でも、景色は変わらない。 何度見ても、そこに神社があった痕跡は見つけられなかった。  ──まるで、白昼夢のような出来事。  私は慌てて小銭入れを取り出した。 中を調べて、ポカンとしてしまう。 お賽銭に使った、五円玉。 バスで乗車賃を払うときに小銭を確かめたから、ひとつしかなかったのを覚えている。 それは、小銭入れから無くなっていた。  ということは……。 「夢じゃなかったんだ……?」  小さな可愛い神社は消えてしまった。 だけどお賽銭をあげてお参りをしたのは夢じゃなかった。 出られなかったのは怖かったけど。 それに……。  ──あの神主さんは何者だったんだろう。  ううん、誰だったとしても助けてくれたことには違いない。  私はよろよろしながら立ち上がる。 それから今はただの山の斜面でしかなくなった、石段があったはずの場所に向かって頭を下げた。 「あの……助けてくださって、ありがとうございました」 「いえいえ、どういたしましてぇ」  深々とお辞儀をしていたら、答えがあって私は腰を抜かしそうに驚いた。 え、まさかの再登場!?  そう思って振り返ると、そこには色白で長身に眼鏡をかけた見知らぬ人が立っていた。  女性か男性かわからないなと思ったくらい、ほっそりとしている。 色素の薄い感じで、薄茶の癖っ毛をうなじで纏めていた。  眼鏡の奥の瞳は優しそうで、人好きがする。 彼……いや、彼女なのかな。 ともかくも、眼鏡さんは私の顔を覗き込むようにして、にっこり笑った。 「間違ってないといいんだけど。アナタ、塚森の里ちゃん?」 「あ……はい」  なぜ、私の名前を知っているのだろう。 心当たりがなくて、首を傾げつつも頷く。 すると眼鏡さんは、やっだーよかったーと言いながら私の肩を叩いた。 「道の真ん中で見えない何かに頭下げてるもんだから、心配しちゃった。アタシ、菰田松里ですう」 「……菰田さん」 「ほら、お宅のカギを預かってる」 「ああっ!!」  言われて、思い出した。 菰田さんというのは、祖母の家の管理をしてくださっている御近所さんだ。 私は慌てて、頭を下げた。 「す、すいません!もっと年配の方かと……あ、いやっ、その……ごめんなさい!」  電話でだけど、一度お話したこともあるというのに。 声の感じからして、年配の女性を勝手に想像していた。 それで思い当たらなかったのだ。 「やあだ、よく言われるのよね。気にしなくていいわよ」 「いえ、ほんとに……すいません」  よかった。気さくな人のようだ。 怒っていない様子なのに、ほっとする。 菰田さんは、口許に上品に手をあてて笑っていた。 「いーえー。だって、アタシ、男だもの」 「…………え」 「勘違いもしちゃうわよネ」  そう言って、年配じゃなかったオネエさん系の菰田さんは、ぱちんとカッコよくウインクをきめてくれたのだった。
/36ページ

最初のコメントを投稿しよう!