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祈りを捧げるような気持ちで、ぎゅっと目を閉じながら、マウスの左側にあるボタンを押した。
最近の製品は、クリックしても「カチッ」なんて音は鳴らない。押せたのか押せていないのかわからないような腑抜けた感触が指に伝わってくるだけで、まるで自分の人生みたいだな……と、小南千秋は自嘲めいた笑みを浮かべつつ、瞼を開いた。
クリックによって表示されたページを、スクロールする。大賞、準大賞、佳作、優秀作品……と進んでゆき、とうとう自分が入るはずもない「ベストルーキー賞」の見出しが見えてきたとき、千秋は五臓六腑がきしむ音の代わりに、大きなため息を一つ吐いた。
またダメだったのか。
作家になりたいと志して小説を書きはじめてから、もう片手の指を全て使わなければ数えられないほどの年数が経っていた。もともと作文が好きだったし、頭の中で誰にも言えない作り話を考えることも、さして興味もない教養を頭の中に突っ込まれる時間の気分転換として毎日のようにしていたことだ。それをエディタの中に詰め込むだけでよかった。
着眼点がすてきです。
感激です。
あなたの小説が好きです。
時にそんな応援コメントや「スター」「拍手」と名前のついたリアクション通知が届くたび、千秋の胸は高鳴った。ダイヤモンドだって磨かねばただの石ころだ。今をときめくアーティストやアイドルだって、地道なトレーニングやレッスンを重ねて、やっとステージの上で光を浴びる。そうでなければ、どこにでもいる「歌のうまい人」「ダンスがうまい人」「かわいい人」止まりだったはずなのだ。
ならば自分だって、磨けばキラリと光るモノがあるのかもしれない。本当に自分がすべきこと、望むことはなんなのか。その答えをずっと見つけられずにいたけれど、もしかすればこの文字の羅列の中に、自分はその答えを見いだすことができるのかもしれない。
そう信じて、千秋はいくつもの作品を紡いできた。公募はもちろん、小説投稿サイトで催されるコンテストに至るまで、吐き気がするような耳心地のよい言葉を並べながら。心にもないフレーズを連ねて。時に、実際に自分の身に降りかかった事実にさえ、上からふるいで粉砂糖をまぶすように、嘘をふりかけながら作品を書き続けた。
それでも、今回もダメだった。
今回も、と、ダメ、との間に「やっぱり」が自動で追加されるようになったのがいつからなのか、千秋はもはや自分で思い出すことができない。増え続けるのは連敗記録と、虚無感、自分の年齢。そして減り続ける幸福感と、読者の反応。
何がダメだったのか。
何もかもすべてがダメだったのか、何か一つだけがダメだったのか。
落選作品に選評など届くはずもなければ、ページビュー数のカウンターを見ても、そもそも一般読者にすらまともに読まれていないことは、千秋も既に知っていた。
遮るもののない吹雪の雪原にただひとり取り残されたような心地がする。上下左右、どこに目を凝らしても、白一色。それでいて純白でない、どこか灰色がかった、白く寒々しい景色。
振り返ると、ここまで残してきたはずの足跡は、降りしきる雪によって既に消し去られている。今更、他のことを一から極められる気がしない。勉強も仕事も人並み程度かそれ以下にしかできない自分にとっては、この頭と指先で紡ぎ出す物語こそが全てだ。
輝いた、あたたかい場所を求めれば求めるほど、残酷にきらめく冷たい雪に足が埋まってゆく。わかっているのに、一歩、また一歩と歩き出そうとする。もう今更どこにも帰れないと気が付いたのは、雪に覆い隠されたクレバスの裂け目を勢いよく踏んだ瞬間だ。
あなたが特別に巧かったわけじゃない。
あなたより巧い人が、今までこの場所にいなかっただけだよ。
黒というより、濃紺一色に沈む冷たいクレバスの底で、千秋ははるか頭上の裂け目から降り注ぐ声を聴いた。
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