ネームレス・ウエディング

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 その日、彼女はラフな格好で一人でコンビニにやってきた。  ゆっくりと選んだ商品を手に持ってレジまでやってきた彼女の姿を見て、あることに気が付いた私は思わず「あ」と声を出しそうになった。  彼女の左手の薬指に指輪がはまっていた。  それを見た瞬間に、私の見てきた彼女のそれまでが頭の中に蘇る。  ウエディング姿で泣いていた彼女を、あの日コンビニの外でうつむいていた彼女を。  どうしてか、つい涙ぐみそうになっていた。私と彼女は知り合いですらない。何かを思うなんておこがましい。それでも私は、彼女が幸せなら心の底から嬉しいと思った。 「おめでとうございます」  だからだろうか、何も言うつもりなんてなかったのに、彼女の指輪を見ながら私は無意識にそんなことを声に出してしまっていた。  商品をレジに置こうとしていた彼女の手が一瞬止まる。驚いたように、彼女は目を見開いた。  それを見て自分がそれを口に出してしまっていたことに気が付いて、何を言ってるんだ私は、と思った。  一瞬にして体中の毛穴から汗が噴き出すのが分かった。血の気が引くという感覚を、私は随分久しぶりに味わう。  完全にやってしまった。こんなの完全にヤバい人だ。  実は私、前にも同じような失敗を何回かやらかしたことがある。  今まで見るだけだった人に声を掛けて変な顔をされるぐらいはまだいい方で、気を使って話しかけたつもりが逆に場をかき乱すだけかき乱してしまったりしたこともある。  人間観察は見ているだけが一番いいのだ。ネームレス信者に登場シーンは要らない。慎むべし慎むべし。  でもやってしまった後でこんなことを考えている場合じゃない。今重要なのは何をやったかじゃなくてどうするかなのだ。  そんなことを思い出しながら私はひたすら冷や汗をかく。 「あ、すみません。……その、」  何でもないですと言いかけた私に、彼女はレジの向こう側から僅かに微笑んだ。 「──ありがとう」  花がほころんだみたいな、綺麗な笑みだった。花嫁姿の彼女も綺麗だったけど、その頃よりもずっと。  思わず息が詰まる。言葉に詰まって何も頭に思い浮かばなくなって、手元に目を戻した。  彼女がその日レジに置いたものは、鮭おにぎりと、あの日私が彼女にあげた缶コーヒーだった。 「今度、引っ越そうと思うの」  私がバーコードを読み込んでいる間に、彼女は独り言みたいな声で言う。  レジ袋に入れた商品を手渡しながら「ありがとうございました」とマニュアル通りなお辞儀をした私に、彼女は丁寧にお礼を言って出て行った。  凛々しい足取りで去っていく彼女の背筋の伸びた綺麗な後姿を見ながら、私はきっと彼女がこのコンビニにやってくることはもうないだろうと思った。  それは何もおかしい事のない普通のことだったけど、私はそれを少し寂しく感じた。
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