閉ざされた秘密 19

1/1
1543人が本棚に入れています
本棚に追加
/151ページ

閉ざされた秘密 19

「ちょっと……ちょっと待って下さい! ここの仕事を放り投げるわけには」 「そんなの明日、二人でやればいい」 「ですがっ!」  おれは他人から威圧的な態度を取られるのが怖くて、いつも強がってしまう。 「つべこべいうな! 男ならビシッとしていろ!」  厳しい声にビクッと躰を震わせると、テツさんはポリポリと頭を掻いて、静かな口調で言い直してくれた。   「あぁ……悪い、大きな声を出して。驚かせたよな。まぁそうだな。今日は外部研修という事にしよう。それならいいだろう?」 「……はい」    今はテツさんの強引さが、心地良かった。  口では素直に言えないが、嬉しかった。  本当は今日ここに一人で残るのがとても怖かった……とは、素直に言えないが。  おれが一人でいる事を知ったら、雄一郎はきっとやってくる。そんな不吉な予感しかない。何かに取り憑かれたような雄一郎の手は、人間のものとは思えない程冷たく、おぞましかった。  中秋の名月の儀式で、おれはあの手に己の身体を委ね……この身を捧げるのか。そう思うだけでも、身震いしてしまう。  無理だ……逃げてしまいたくなる程、恐ろしい。だが約束が、あの約束だけは守らないと。   「あの……いつもテツさんが通われているお屋敷って、どんな場所ですか」 「あぁ外国のおとぎ話に出て来そうな白薔薇の館さ」 「……?」 「あぁそうか。まぁ行けば分かる」  おれには『外国のおとぎ話』というものが、どんなものか分からない。  東北の片田舎で15歳までは普通に育ち学校にも通わせてもらったが、そんなハイカラなものは見る機会はなかった。まして社に閉じ込められてからは、学校教育など一切受けていない。  無慈悲な大人の会話と、あの青年との会話が全てだった。だから難しい漢字や言い回しに疎いのだ。 「桂人は心配するな。心優しい人しかいない場所だ。そうそう天使のように清らかな子がいるよ」  天使というものがどんな人か知らないが、テツさんがそう言うのなら、信じられる。  今までおれの周りには……信じられる人がいなかった。  テツさんが、初めてだ。    おれの唇を優しく奪ってくれたテツさんだけ…… **** 「兄さま! 兄さま! 兄さま!」  窓辺で外を眺めていた弟の雪也が血相を変えて、書類を整理している僕の元にやってきた。 「一体どうしたの? そんなに走ったり慌てたりしたら心臓に良くないよ。手術までは、刺激を控え、平静を保たないと」 「ですが! とうとう現れたんです」 「何が?」 「テツさんまで騎士のように颯爽と」 「くすっ、テツさんが騎士だとしたら、彼にはお守りしている姫でもいるの?」  冗談半分で聞くと、雪也が大きく頷いた。 「もちろんです。凛とした雰囲気の綺麗なお方です!」 「え……本当に?」  僕も興味を持って窓辺から身を乗り出すと、確かにテツさんが颯爽と風を斬って歩いていた。 「テツさん……? 本当にあれがテツさん? 」  思わず目を擦ってしまった。  今まで庭仕事に没頭する素朴なテツさんか、海里さんに飄々とした態度で接する様子しか見て来なかったので、これは……まるで別人だ。 「兄さま、守る人の存在って凄いですね! 今まで朴訥とした飾り気のない人だったのに……見違えるようですね」 「うん、確かにすごくカッコいいね」 「あっ、兄さまは駄目ですよ。海里先生が後で聞いたら泣きますよ」 「何……言って? くすっ、それより後ろを歩いている……日本人形のように楚々とした人は誰だろうね」 「もう、兄さまってば、相変わらず鈍いですねぇ~」  ん? 最近の僕は雪也に押されっぱなしだ。 「あの人がきっとケイトさんですよ」 「あの桂人(ケイト)さん?」 「そうですって。さぁ僕たちも出迎えを! 」 「う、うん!」 ****  テツさんに連れられて入ったお屋敷は、漂う空気が森宮の屋敷とは真逆だった。   森宮の館は黒を基調にしているが、ここはとにかく白だ。  きっと五月になれば真っ白な白薔薇が咲き乱れる、全く違う趣の庭園が広がっていた。  お屋敷は白っぽい茶色の煉瓦造りで、緑色の蔦が絡まって歴史を感じさせる佇まいだった。  ここにはきっと清らかな歴史が紡がれてきたのだろう。  おれのいた世界とはあまりに違う世界の存在に、茫然としてしまった。  世の中には、こんな場所もあったのか…… 「桂人、こっちにおいで」  振り返ったテツさんが、また手を差し出してくれた。  おれの目の前に、真っすぐに、躊躇わずに……
/151ページ

最初のコメントを投稿しよう!