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まるでおとぎ話シリーズ番外編『春の雪』 13
目覚めると、昨日までの日常とは、あまりにかけ離れた場所にいて驚いた。
小学生の頃を、ふと思いだした。
「あそこと似ている」
私が育ったのは、とても小さな農村だった。
貧しくて、畑の手伝いで満足に通わせてもらえなかったけれども、小さな分校には、小さな図書館があったの。そこには、見たことも聞いたこともない世界の物語本が並んでいて、夢中で読んだわ。
大好きだった本のタイトルは、今でも覚えている。
『まるでおとぎ話』
貧しい女の子が、どん底で白亜の王子さまと出逢い恋に落ちるの。不幸な境遇から抜け出して、心の自由を掴むの!
子供心に、憧れたわ。
このお屋敷の白い煉瓦の建物を見ていると、あの物語を思い出す。
そこで、はたと私が今まで体験したことのない、ふかふかな場所で眠っているのに気がつき、飛び起きた。
ふっくらとしたお布団に包まれていた。
何……このお布団? まるで羽が生えているみたいだわ。
「そういえば、いつの間にベッドに? 床で寝ていたのに。にーたまは、どこ?」
両開きの窓を開けると、眼下に兄の姿が見えたので、ホッとした。
今日は作務衣姿なのね。うん、やっぱり和装の方が馴染みがあるわ。
兄は、真剣な顔で庭仕事をしていた。
庭師の見習いって本当だったのね。あぁ、カッコイイ!
私の大好きな兄なの。綺麗なお顔でいつも優しくて、私にはとびきり甘くて、私のために何でもしてくれた。
にーたま!
そう呼ぼうとして、躊躇した。『にーたま』って呼び方は、ここではまずいかな? 子供の頃の気分で呼んでいたけれども、私はもう16歳だし……そうだわ、これからは『お兄ちゃん』と呼ぼう。
じゃあ早速……!
「お兄ちゃん!」
初めてそう呼んだのに、兄は私の方ではなく、後ろを振り返ってしまった。思わず身を乗り出して様子を伺うと、背後からテツさんが近づいてきて、親しげに話し出した。
『桂人、そうじゃない。こうだ』
『……こう?』
『枝先やつぼみをもっと丁寧に見るんだ。細い枝や枯れた枝など、不要な枝を切り落とすのに、そんなに迷うな。木全体の3分の2くらいの高さになるように剪定しろ』
『なるほど、分かった』
『鋏の持ち方が、まだまだだな』
『……すまない』
『ふっ、どうした? 今日はえらく素直だな』
『う、五月蠅いな……昨日……で、疲れているんだよ』
テツさんが兄の手を握ると、突然、胸の奥がズキンとした。
なんだか……私、変ね。
もう一度、今度はもっと大きな声で呼ぼう。きっと気付いてくれる!
「お兄ちゃん! おはよう!」
「あ……春子なのか」
やっと、上を向いてくれた!
「ここよ!」
「今の……『お兄ちゃん』って、おれのことか」
「そうよ! 都会風にしたの」
「そうなのか」
こちらを眩しそうに見上げた兄の顔に、ドキリとした。
男の人なのに、なんだろう?
すごく綺麗……15歳の頃とは、また違う空気を纏っていた。
そうか! 幸せそうなんだ。
村で一緒に過ごしていた時は、お互い空腹で飢え、寒さに震えていた。
でも今の兄は、心が満たされているっていうのかしら。とても柔らかな雰囲気だわ。
『テツさん、ちょっと春子のところに行ってもいいですか』
『あぁ、朝の挨拶をして来い』
『ありがとう! テツさん。妹がこんなに近くにいるなんて、うれしいんだ』
そんな会話に、私の心も潤った。
柔らかい気持ちって、こういうことなのね。
兄が目の前の木の幹に足をかけて、するすると木登りして来てくれた。
「お兄ちゃん!」
「まだその呼び方は慣れないな。春子、おはよう」
「あっ、すごい」
あの日……鎮守の森で見たよりも更に迫力のある景色が、兄の肩越しに広がっていた。
「東京は家ばかりね。樹木の代わりに家が生えているみたい!」
「あぁ、おれも来た時は驚いたよ。春子……ここがお前の生きていく場所になるが、後悔はないか」
「ない! ワクワクしてきたわ」
「ふっ、やっといつもの春子らしくなったな。さぁ着替えておいで。朝ご飯を食べに行こう」
「どこへ?」
「ここでは本館で、皆で食べるんだ」
「皆って?」
「柊一さんと雪也さん……海里さんも一緒に」
「えぇ?」
驚いた……使用人が、ご主人様と一緒に食事を?
私の育った村とは大違いだわ。
「春子、よく聞いてくれ。ここはお伽話のような世界なんだよ」
兄さまの言葉を受けて、あぁやっぱりそうなのねと、腑に落ちた。
ご当主さまや弟さんはお上品で、まるでお伽話の住人のようだったし。
「だから……何を見ても、何を聴いても……どうか……驚かないでくれ」
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