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まるでおとぎ話シリーズ番外編『春の雪』 22
「お、お兄ちゃん、せ、背中の……」
「あっ!」
「な……なんでもないよ。えっとね、お兄ちゃんに急ぎの相談があって来たの」
「……分かった。着替えてくるから、少し待ってくれ」
もう一度脱衣場に入り、背中を鏡に映して確認した。
背中には、鞭の痕が無数に付いたままだ。
テツさんがいつも薬草から作った軟膏をいつも塗ってくれるが、当時……その都度、きちんと手当出来なかったせいで、ケロイドのように皮膚が線上に赤く盛り上がって、消えない。
胸に散らされた、この甘やかな赤い花びらとは大違いだ!
禍々しいモノ!
キライだ!
さっき……春子に見られてしまった。あの子はおれに気を遣って何も言わなかったが、こんな醜い傷を見せて、怖がらせてしまったな。
テツさん、こんな時はどうしたらいい?
不器用な俺の心は、冷たく塞がっていくばかりだ。
俺が名付けた春子は……可愛い妹だ。
生まれた時からばばちゃと一緒に、可愛がってきた子だ。
『この子はお前に似て、めんこいな』
『ばばちゃ、おれ、この子を、うーんと可愛がるよ』
『桂人、可愛がるだけじゃ駄目だ。どうかしっかり守っておくれ! もうどこにも取られないように』
ばばちゃは……父さんの母さんで、父さんには姉さんがいたけれど、若くして事情があって亡くなってしまった。ばばちゃには娘を失った経験があるから、三人も男が続いた後に生まれた待望の女の子、春子を特に可愛がっていた。
後から考えれば、その亡くなった娘さんが、あの瑠衣さんのお母さんで、俺を救ってくれた人だったわけだが。
だから俺は……我が身が自由になった時、春子を助けに行きたいと願ったのだ。
しかし困ったな。
作務衣を着たものの、気まずくて出るに出られない。
****
お兄ちゃんの背中の傷。
あれは一体なんだったの?
どうしよう……見てはいけないものを見てしまったのかも。
心臓がバクバクしてくる。
気持ちを落ち着かせようと、壁にもたれて息を整えた。
ここがお兄ちゃんの部屋なのね。
まだ入ったことはなかった。何故か入ってはいけない気がしていたのは……もしかして、あの背中の傷を見られたくなかったせいなのかな。
離れ離れになっていた10年間、お兄ちゃんの過酷な日々を物語るような傷痕に心が塞いだ。
お兄ちゃんには、幸せになって欲しいな。
もう今は……自由なのでしょう?
「桂人どうした? 遅いな」
「テ……テツさん!」
「あれ? 春子ちゃんじゃないか」
いきなり扉が開いたと思ったら、テツさんが我が物顔で入ってきたので驚いてしまった!
「桂人は?」
「あ……そういえば、ずっとお風呂場から出てこないわ」
「……何かあった?」
「あ、あの……お兄ちゃんの背中」
つい口が滑ってしまった。だって聞かずにはいられない。あんな酷い傷、誰がつけたの?
春子の大事なお兄ちゃんに……!
「……あれを、見たのか」
「は……い、あの……」
「……10年間だ」
「え?」
「桂人が苦痛に耐えた年数だ。あいつ……今、ようやく自由を手に入れたんだ」
「想像できない程、辛い目にあったのね。お兄ちゃん」
「……違うんだ……春子ちゃん、どうか……アイツのことを、可哀想とか哀れな目で見ないでくれないか」
「あ……ハイ」
「よし、いい子だ」
テツさんが笑うと、急に大らかな気が漂って来たわ。
「そうか……鎮守の森の樹だわ」
「え?」
「テツさんは、春子が登ったあの樹に似いている!」
「ははっ、参ったな。兄弟で同じ事を言うのか。俺は人間だよ。その昔は仙人とか世捨て人とか海里さんに馬鹿にされたが、今の俺は煩悩欲望に塗れた、ただの人間だ。っと……すまん。言い過ぎた」
「くすっ、くすくす。テツさんって……寡黙な人だと思ったんですけど、話し出すと突拍子もないこと言うんですね」
場が和み、お腹を抱えて笑っていると、いつの間にかその笑いの渦に、お兄ちゃんも包まれていた。
「テツさんは……自虐的だな」
「お兄ちゃん!」
「春子、待たせたな」
もう……あれこれ詮索するのはやめよう。
お兄ちゃんが笑ってくれるのが、一番よ!
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