まるでおとぎ話シリーズ番外編『春の雪』 25

1/1
前へ
/151ページ
次へ

まるでおとぎ話シリーズ番外編『春の雪』 25

 柊一さんと海里先生は、庭園の迷路に入ったまま、なかなか戻って来なかった。  二人は、まるで月光を浴びた薔薇のよう。  絵になるわ~! 大人な感じで素敵ね。  私も、何だか甘ったるい気分で眠くなってきたわ。今なら、ぐっすりと眠れそう。    その晩、夢を見た。  私はピンク色の可愛いドレスを着ていたの。足下はスースーしたけれども、レースのついたドレスは風船みたいに膨らんで、まるでお姫様のようだった。 「春子――」  そう呼ばれて振り返ると、そこにはピンクの薔薇を胸ポケットにさした男性が立っていて、私に手を差し出してくれたの。だから私は吸い込まれるように、手を伸ばした。  まるで夢のような夢を見て、朝起きたら甘い金平糖が心の中に転がっているような心地だった。 「私……幸せな夢を見られるようになったのね。よかったね、春子」  そんな自分が愛おしくて……ふわりと抱きしめたくなった。  お兄ちゃんが消えてからの日々は、暗黒だった。お兄ちゃんがいないと世界の色が違ったの。  父さんも母さんも、二番目と三番目の兄を猫可愛がりして、私は爪弾きだった。寂しくって悲しくって、逃げ出したい日々だった。  トントン―― 「春子、起きている? 入ってもいいか」 「お兄ちゃん!」  まだパジャマ姿だったけれども構わず扉を開けると、黒い執事服の兄が立っていた。 「ご、ごめんね。今、起きたところ」 「そうか、おはよう。昨日はどうだった? 仕事は辛くなかったか」 「大丈夫よ! むしろ楽しかったわ! 白江さんはとっても素敵な人で、いろいろ教えてもらっているし」 「へぇ、何を?」 「それは……内緒!」  だって言えないわ。昨日のことは…… 「ふっ、春子も秘密を持つ年頃になったんだな。今日も頑張れよ。あと……これ、使え」 「なあに?」 「……テツさんに作ってもらったんだ」 「わぁ! 木の櫛ね」 「春子が使うといい。お前の髪……ごめんな。おれのために」 「ううん。むしろ、さっぱりしたわ。生まれ変わったみたいで」 「そうか……ありがとう」  口数の少ない兄だけれども、とても優しいの。 「その櫛で梳かしたら少しは早く伸びるかも……春子のお下げ、可愛かったから、また見たい」 「ありがとう。働くからには身嗜みを整えないとね。お隣の邸宅もとても豪華だし、お兄ちゃんだって窮屈そうなお洋服を着て頑張っているんだもん!」 「ははっそうだな、確かに首元が窮屈だ。タイを締め過ぎたようだ」  兄は艶やかに微笑み、襟元に指をかけてネクタイを緩めた。   「あれ? ここ、虫に刺された?」 「え?」 「赤くなっているよ。お兄ちゃんは色白だから、昔からすぐに腫れちゃうね」 「え……あぁ……じゃあ行くよ。今日も頑張れ!」 「はーい!」  鏡の前で髪を梳かすと、とても使い心地が良い物だった。  ふぅん……これ、テツさんの手作りかぁ。あの庭師の師匠さんって、案外気が利くのね。  櫛は無骨だったけれども木肌が整って綺麗。濃いめの茶色が素朴な風合いで、丁寧に作られたものだった。  これって、何の木かな?  じっと見つめると『桂』という文字が彫ってあった。ええっと、桂の木だから、そう彫ったの? ま、まさかお兄ちゃんの『桂人』の『桂』では、ないよね?  なんだか、少しだけドキドキした。  あぁ……きっと昨夜、柊一さんと海里先生の仲睦まじい姿を見たせいね。       
/151ページ

最初のコメントを投稿しよう!

1552人が本棚に入れています
本棚に追加