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まるでおとぎ話シリーズ番外編『春の雪』 25
柊一さんと海里先生は、庭園の迷路に入ったまま、なかなか戻って来なかった。
二人は、まるで月光を浴びた薔薇のよう。
絵になるわ~! 大人な感じで素敵ね。
私も、何だか甘ったるい気分で眠くなってきたわ。今なら、ぐっすりと眠れそう。
その晩、夢を見た。
私はピンク色の可愛いドレスを着ていたの。足下はスースーしたけれども、レースのついたドレスは風船みたいに膨らんで、まるでお姫様のようだった。
「春子――」
そう呼ばれて振り返ると、そこにはピンクの薔薇を胸ポケットにさした男性が立っていて、私に手を差し出してくれたの。だから私は吸い込まれるように、手を伸ばした。
まるで夢のような夢を見て、朝起きたら甘い金平糖が心の中に転がっているような心地だった。
「私……幸せな夢を見られるようになったのね。よかったね、春子」
そんな自分が愛おしくて……ふわりと抱きしめたくなった。
お兄ちゃんが消えてからの日々は、暗黒だった。お兄ちゃんがいないと世界の色が違ったの。
父さんも母さんも、二番目と三番目の兄を猫可愛がりして、私は爪弾きだった。寂しくって悲しくって、逃げ出したい日々だった。
トントン――
「春子、起きている? 入ってもいいか」
「お兄ちゃん!」
まだパジャマ姿だったけれども構わず扉を開けると、黒い執事服の兄が立っていた。
「ご、ごめんね。今、起きたところ」
「そうか、おはよう。昨日はどうだった? 仕事は辛くなかったか」
「大丈夫よ! むしろ楽しかったわ! 白江さんはとっても素敵な人で、いろいろ教えてもらっているし」
「へぇ、何を?」
「それは……内緒!」
だって言えないわ。昨日のことは……
「ふっ、春子も秘密を持つ年頃になったんだな。今日も頑張れよ。あと……これ、使え」
「なあに?」
「……テツさんに作ってもらったんだ」
「わぁ! 木の櫛ね」
「春子が使うといい。お前の髪……ごめんな。おれのために」
「ううん。むしろ、さっぱりしたわ。生まれ変わったみたいで」
「そうか……ありがとう」
口数の少ない兄だけれども、とても優しいの。
「その櫛で梳かしたら少しは早く伸びるかも……春子のお下げ、可愛かったから、また見たい」
「ありがとう。働くからには身嗜みを整えないとね。お隣の邸宅もとても豪華だし、お兄ちゃんだって窮屈そうなお洋服を着て頑張っているんだもん!」
「ははっそうだな、確かに首元が窮屈だ。タイを締め過ぎたようだ」
兄は艶やかに微笑み、襟元に指をかけてネクタイを緩めた。
「あれ? ここ、虫に刺された?」
「え?」
「赤くなっているよ。お兄ちゃんは色白だから、昔からすぐに腫れちゃうね」
「え……あぁ……じゃあ行くよ。今日も頑張れ!」
「はーい!」
鏡の前で髪を梳かすと、とても使い心地が良い物だった。
ふぅん……これ、テツさんの手作りかぁ。あの庭師の師匠さんって、案外気が利くのね。
櫛は無骨だったけれども木肌が整って綺麗。濃いめの茶色が素朴な風合いで、丁寧に作られたものだった。
これって、何の木かな?
じっと見つめると『桂』という文字が彫ってあった。ええっと、桂の木だから、そう彫ったの? ま、まさかお兄ちゃんの『桂人』の『桂』では、ないよね?
なんだか、少しだけドキドキした。
あぁ……きっと昨夜、柊一さんと海里先生の仲睦まじい姿を見たせいね。
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