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まるでおとぎ話シリーズ番外編『春の雪』31
春子と冬郷家で暮らすようになってから、あっという間に数ヶ月が経過し、季節は3月。もう間もなく……春になろうとしていた。
春子は毎日、子守りの仕事に通い、俺は執事と庭師の仕事の二足の草鞋を……テツさんは広大な庭の手入れに勤しんでいた。
本館の人達と朝食を取り、一旦離れに戻り、仕事前におれの部屋で、テツさんと春子と一緒に薬湯を飲むのが日課だ。
「うっ……テツさん、今日のは一段と苦いぞ」
「そうか。これは皮膚の再生能力を高めるお茶だ。だから、しっかり飲め」
「……イヤだ」
「桂人、子供みたいに抵抗するな。ほら、春子ちゃんはちゃんと飲んでいるぞ」
「だが……苦くてまずいんだ!」
「桂人は甘党だからな。しかたがない。全部飲んだら褒美をやるぞ」
「本当か」
テツさんが引き出しから一欠片のチョコレートを取り出したので、急いで薬湯を飲み干した。
「なぁ、さっきから春子ちゃんの目つきが変じゃないか」
「そうか」
薬湯を飲み終えた春子は、ひとり窓辺に立っていた。
「桂人は無頓着だな。俺たちを見る目つきが、いつもと違うような」
「そうかな?」
テツさんは時々妙な事を言う。おれの可愛い妹の目つきが変だなんて。
何故……そんなことを?
苦笑しながら振り向くと、春子と目が合った。
相変わらず可愛い顔をしている。お前は幼い時から、めんこい妹だったよ。
軽く微笑んでやると、何故か春子の顔が朱に染まった。
「どうかしたのか」
「ううんっ、なんでもないよ」
「?」
「それにしてもお兄ちゃんとテツさんって本当に仲良しよね。ここに来てからもう半年……あのね、ずっと気になっていたんだけど、テツさんのお部屋は、どこなの?」
春子に、とうとう真実を告げる時が来たようだ。
「……テツさんの部屋はここだよ」
「え? だってここはお兄ちゃんの部屋だよ?」
「実は一緒に暮らしているんだ」
春子がぽかんとした顔をしている。こういう時、どう説明したらいい? おれもテツさんも本当に口下手過ぎるな。海里さんを見習って……直接言えばいいのか。男同士で愛し合っていると。なのに俺の口から言うのが気恥ずかしく、躊躇してしまった。
いや、ダメだ。今日こそは――!
「そっかそっか、師匠と弟子って寝食共にするっていうもんね」
寝食を共に? 確かにそれで間違ってはいないが。
「そうだよ。だから俺たちは、あ……」
「きゃあ! もうこんな時間! 私、そろそろ仕事に行かないと」
「あぁ、そうだな。がんばれよ、よしよし」
ようやく伸びてきた髪を撫でてやると、春子が口を尖らせた。
「もう~いつまでも子供扱い!」
「いやか」
「うー、嫌じゃないわ! 春子もお兄ちゃんのこと、だーいすき!」
「お、おい?」
春子は躊躇いもせずに、おれに触れてくれる。
社にいた時は、穢らわしいモノと蔑まれたおれの躰に、迷い無く触れてくれる。
それが嬉しい。
おれに一番近い人、同じ血が流れている、それを感じる瞬間だ。
「じゃあ行ってきます!」
****
「うーむ、相変わらず全然気付いてないようだな」
「あぁ、意を決して同じ部屋で暮らしていると伝えたのに……変だな」
「今日は疑い深い視線だったから、絶対に気付いたと思ったのに……きっと俺に色気が足りないせいだな。おれも海里さんのように華やかなら……」
「そんなことない! テツさんはとても素敵だ。おれの鎮守の神様だ!」
桂人はぶっきらぼうだが、言葉を惜しまない。
伝えるべきところは、男らしく直球で来る。
「おいおい、何度も言うが、俺は神様ではないぞ? 朝から桂人を押し倒して抱きたくなるような煩悩の塊だ」
「ふっ、あなたのそんなところも好きだ」
男の色香が漂う桂人の甘い微笑みは、とても危険だ。以前、海里さんに飲ませてもらった『桂花陳酒』の花のようにまろやかに俺を誘う。
「なぁテツさん……少しだけスルか」
「お前って奴は、朝から誘うのか」
「……今日は雨だから」
「それが理由か」
「あぁ、だから」
雨が苦手な桂人。
乾いた田畑への雨と引き換えに、その身を社に閉じ込められたからか。
思えば最初に小高い丘の上で桂人と接吻した時も……雨が降っていたな。
「テツさんにはお見通しか。おれは相変わらず雨が怖いんだ。雨がこの幸せを流してしまうかもといつも不安になる」
「馬鹿だな。そんなことは絶対にない!」
桂人の細腰を抱きしめベッドに押し倒し、口づけの雨を降らす。
あの日の慈雨のように、桂人の唇を濡らしてやる。
その時、カチャリとドアが開いた。
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