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まるでおとぎ話シリーズ番外編『春の雪』34
「あの……テツさん、そろそろ僕は戻ります」
「あぁ、そうか」
「……心配ですね。テツさんが温めてあげて下さい。それが一番です。明日、雪也に迎えに行かせますので、それまでは桂人さんについていて上げて下さい」
「ありがとう」
柊一の言葉が有り難かった。
君はどこまでも理解がある人だな。桂人も俺も救われている。
部屋に二人きりになったので、ベッドに勾玉のように丸まっている桂人に呼びかけた。
「桂人……起きないのか」
しかし、返事はない。
これは本格的に、殻に閉じ籠もってしまったようだ。
心に何重もの蓋をして、そうやって自分を守って生き延びてきたのだ。
お前は10年もの間、狭い社で寒い冬も暑い夏も、冬眠するように眠ることで何とか凌いできたのか。食べ物も充分でなかっただろう。
人間らしい生活を取り上げられて過ごした年月を思うと、悔し涙が零れそうになる。
ここで暮らすようになり穏やかな日々を俺と育んでいたのに、桂人が再び殻に閉じこもってしまうなんて。それほどまでにお前が愛した妹からの言葉が、堪えてしまったのだな。
可哀想に……。
少し汗ばんだ額を撫で、抱き寄せてやった。
「冷たい……桂人、こんなに冷たくなって」
こんな調子では、俺も仕事が手につかない。今日はもう全部投げだそう。
桂人の衣服を剥ぎ取って裸に剥いてから、深く抱きしめた。
俺も作務衣を脱ぎすてて全裸になって。
「俺が温めてやる。お前を目覚めさせるのは、俺だと分からせてやる」
朝が来るまで桂人の身体を擦り、抱きしめて……囁いた。
「戻ってこい。お前の居場所はここだ。大丈夫だ、俺がいつだって一緒にいる」
****
「雪也、お帰り。少しいいかな」
「どうしたんですか」
中学校から帰宅すると屋敷の空気が重く、真剣な表情の兄さまに呼ばれたので、何事かと案じた。
「実は困ったことになって、雪也が頼みの綱なんだ」
「僕が? 僕で役に立つのなら何なりと。兄さま、話して下さい」
「実は桂人くんと春子ちゃんのことで」
兄さまの話を、僕は真摯に受け止めた。
そうか、それは春子ちゃんにとっては衝撃だったろう。いきなりそんな場面からでは……兄さまと海里先生のことはすんなり受け入れられたように感じていたので、まさかそこまでの拒絶反応を示すとは思いもしなかった。
しかしよく考えれば……無理もない。
他人事で見ていた時と大好きなお兄さんがでは感じ方が違うのも、尤もだ。
僕はあの時、兄さまと二人で死を選ぶ程に追い詰められていた。だからどんなに海里先生が頼りになったか。海里先生が救いの手を伸ばしてくれなかったらどうなっていたか。
だからお二人がお付き合いし、愛し合うことに何の戸惑いもなかった。
だが……春子ちゃんの場合は違う。桂人さんと半年前にいきなり再会したのだ。桂人さんが社に幽閉されていたのは知っていても、具体的にどんな仕打ちを受けて来たのかは知らない。
春子ちゃんが知るにはあまりに惨い内容だし、桂人さんの自尊心を尊重して誰も詳細を伝えることはなかった。
テツさんと出逢って……どんなに桂人さんが救われたか。死ぬために生きてきた桂人さんが、生を選んだのは、テツさんの存在が大きい。
あの曼珠沙華の花咲く日の騒動の全てを伝えるのは、当事者でないと難しいだろう。
「兄さま……春子ちゃんにテツさんとお兄さんの関係をすぐにでも認めて欲しいとは思いますが、昨日の今日ですんなり受け入れるのは……難しいかもしれないですね」
「やはりそうか。実は……僕もそう思うんだ。白江さんと少し話してみようと思う」
「そうですね。白江さんは人の心に長けていますから」
時間がかかるかもしれない。
それが僕の直感だった。
何かが動き出す予感もする。
スノードームのように閉ざされた穏やかな日々にも、変化が訪れるのか。
それは僕自身にも当てはまることだった。
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