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まるでおとぎ話シリーズ番外編『春の雪』34
「ママー、おねえちゃん、えーんえーんしてるね」
床に俯せになって泣き喚く春子ちゃんの頭を、次女の夕が『いいこ、いいこ』と言いながら撫でていた。
「ううっ……うう……お兄ちゃんに会いたくない! あそこに帰りたくない! でも行く場所がないの! うっ……」
春子ちゃんはうわごとにように呟きながら、次第に瞼を閉じて眠りについてしまった。
可哀想に、泣き疲れたのね。
それにしても娘の夕は、まだ3歳前なのに優しいわね。あなたはとても繊細な子だから、きっと感受性が豊かに育つのでしょうね。
いつか、あなたも……春子ちゃんのように人生に悩むのかしら?
いつかあなたにも好きな人が出来て、結婚し子供を産むのかしらね。
あらいやだわ、どうしてこんなことを?
随分先のことに、思いを馳せてしまった。
しかし人生はいつ嵐に巻き込まれるか分からない。
だから願わずにはいられない……平穏無事に暮らせますように。
優しく儚い夕は危うい。
だから、ずっと私達の手が届く場所に、見える場所に置いておきたいわ。
それにしても桂人くんのここまでの苦渋に満ちた人生について柊一さんから聞いた時は、衝撃だった。
順風満帆に生きてきた私には……とても想像出来ない暗黒の世界だったから。
「あの……どうして柊一さんは大切な話を私にしてくれたの?」
「白江さんには知っておいて欲しかったんだ。僕達は赤ん坊の頃からの幼馴染みだ。君も僕も家の跡継ぎとして制約の多い人生だった。でも白江さんはその中で精一杯明るく前向きに生きていて素敵だ。実は今度、桂人さんの妹さんが冬郷家にやってくると思うんだ。僕は女の子のことは、よく分からなくて……だから白江さんを頼りにしたくて」
柊一さんは端正な顔で背筋を伸ばして、真摯に理由を説明してくれた。
「あの桂人くんの妹さん? きっと綺麗な子なんでしょうね。そしてきっと……深い事情があってやってくるのね。桂人くんの事情も深く教えてくれてありがとう。柊一さんが守る冬郷家と私が守る月乃家は、何か深い縁があると思っているの。だから話してくれてありがとう。妹さんのこと、私も尽力したいわ。桂人さんのこの先の人生に……光を届けたいから」
あの時の会話が、役に立ったわね。
床で眠ってしまった春子ちゃんをベッドに運ばせて、子供たちも寝付かせると、柊一さんから電話があった。
予想通り、春子ちゃんの今後についてだった。
桂人くんは妹さんの拒絶を受け入れられず、殻に閉じこもって眠りについてしまったそう。まぁ……春子ちゃんも似た状況だわ。顔だけでなく、似た者同士なのね。
だとすれば……今のふたりは危ういわ。
周りが手を出しすぎて無理矢理、受け入れさせては駄目よ。
「あのね、これは一つの提案だけれども……春子ちゃんを外に預けてみるのはどうかしら?」
「それは僕も考えていた。でも……そんなツテがあるの? 信頼できる人なの?」
「うん、私が幼い頃から習っているピアノの先生よ。実は娘さん夫婦を数年前に事故で失ってしまい……ひとりで暮らしていらっしゃるの。高齢になり、一人暮らしが寂しいので、住み込みのお手伝いさんを探しているのよ」
「そうなのか、でも本人の意志を聞かないと」
「もちろん、そうよね。そういう道もあることを知って欲しいわ。先生はわが家で春子ちゃんと何度も会っているわ。先生からは既に春子ちゃんについて打診があって……」
「そうなのか。分かった」
どうなるかは……本人が選ぶ道ね。
私は少し手助けをするだけ――
道を開くのは、春子ちゃんと桂人くんなのだから。
生きるって……本当にいろいろあるわね。
****
寒い。
手足がかじかんで凍えそうだ。
もっと奥へ、もっと深く潜ろう。
そうしないと死んでしまう。
己の身体を守れ――
死んでしまえば楽になるのに、最後の最後で欠片のように残るのは生きてみたいという願いだった。
だが……今のおれが抱くのは……欠片のような小さな希望ではないはずだ。
桂人、お前は忘れたのか。
ぬくもり重ねたい人と巡りあったことを。
忘れてない!
その人は名前は、テツさんだ。
「て……テツさん……どこだ? こわい……ここは暗くて……寒くて……こわい」
闇に恐る恐る……彷徨わせる手。
今までは……暗闇に光は届かず、誰も手を掴んでくれる人は現れなかった。
だが今は違う。
「桂人! 気付いたか! ここだ! 戻って来い」
ほら、力強い声が響く――
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