まるでおとぎ話シリーズ番外編『春の雪』42

1/1
前へ
/151ページ
次へ

まるでおとぎ話シリーズ番外編『春の雪』42

 春子ちゃんが、僕をまっすぐに見つめてきた。  僕たちの間には、天からひらひらと雪が舞い降りて来た。  髪や頬に触れると、雪はスッと溶けてしまう。 「雪くん、聞いて」  あぁ、春子ちゃんの意志のある力強い瞳が好きだ。  僕はこの瞳に射貫かれた。  そう実感した。 「もう春なのに、別れ際に雪が降ってくるなんて不思議ね。まるで雪くんと私が繋がっているみたいに感じない? そうだ、雪くんは『春雪(しゅんせつ)』という言葉を知っている?」 「いや……」 「私のばばちゃから教えてもらったお気に入りの言葉なの。『春の雪』の別の言い方なのよ。文字通り春になって降る雪のことよ、今日みたいにね。雪片が大きくて積もらなくて消えやすい。つまり溶けやすいの」  一体何を? それは、どういう意味だろう?  消えやすいし溶けやすいって、初恋が実らないと暗に示しているのかな。 「……そう」  そう思うと、どうしても声のトーンが下がってしまう。 「雪くん、あのね……私、二十歳になったら、またここに戻って来てもいい?」 「え?」 「広い世界を見て、知識や教養をしっかり身につけて、素敵な女性になりたいの」 「え……またここに……戻って来てくれるの」 「そのつもりよ。やっぱり……この前話したのに、聞いていなかったのね」  あの時はふられたと思って、ショックで何も聞こえなくなっていた。 「だから会えない時間が長くてもこの『春雪』が、会えなかった時間や心の距離を一瞬で溶かしてくれるはずよ。この雪はきっと、その前触れよ」 「そうか……僕……この雪を絶対に忘れないよ」 「うん、待っていて。次に会う時は雪くん、もっとカッコよくなっているだろうな。楽しみにしているね」  え? えっと、これって……少しは希望を持っていいのかな?  兄さまと海里先生が、ニコニコと微笑みながら僕たちの会話を聞いていた。 「春子ちゃん、行っておいで。そしてまた帰っておいで。君の部屋はそのままにしておくよ」 「柊一さん、ありがとうございます。私に帰ってくる家を与えて下さって……私、戻れる場所があるから行けるのです。とても恵まれていると思っています」 「春子ちゃんは頼もしいな。そうか、二十歳になったらなんだね。皆、君を待っているよ」 「海里さんもいつもありがとうございます。はい、白江さんたちとは、そういうお約束にしました」  すごい! 春子ちゃんはちゃんと目標を持って生きている。僕も負けていられないな。 「春子ちゃん……聞いて! 僕ももっと広い世界を見て、教養も知識も身につけ、カッコイイ男性になる! だから二十歳になったら戻って来て欲しい。その時もう一度僕を見て欲しい」 「うん! 雪くん元気でね」  春子ちゃんが手を握ってくれた。  15歳と16歳のまだ少年と少女。 手と手が触れ合うのが、精一杯だった。  しかし未来に明るい約束を交わした。 「海里先生、柊一さん、またお世話になります。その時までお元気で!」 「待っているよ。冬郷家は何も変わらず、君を待っているよ」 「テツさん……天邪鬼なお兄ちゃんのことを……どうかよろしくお願いします」  春子ちゃんが最後は空を見上げ、大きな樹に向かって叫んだ。 「お兄ちゃん―‼ 春子……もう行くわ。見えなくなるまで、そこでちゃんと見守っていてね。大丈夫だから……どうか心配しないで。二十歳になったら戻って来るから」  春子ちゃんは泣きそうだったが、ぐっと涙を堪えていた。  ****  春子……  本当に行ってしまうのだな。  弱い兄で、すまない。  お前が二十歳になるまでの4年間……おれも頑張るから許してくれ。  次に会う時は、こんな不安定な姿でなく、しっかりとした大人の男になっているから。  だから、今は樹の上からしか見送れない兄を許して欲しい。 『旅立ちの 背中を(おす)は 春の雪』   「くっ……」  今はやっぱり……寂しい、寂しい、寂しい!  おれのこの気持ちも包んで隠してくれよ。  いや……溶かしてくれよ……春の雪!  妹の背中を押してやってくれ!   涙を拭いて、春子の背中をいつまでもいつまでも見送った。       
/151ページ

最初のコメントを投稿しよう!

1552人が本棚に入れています
本棚に追加