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『春の雪』後日談 ~テツと桂人の場合⑤
「柊一さん、お茶を持ってきましたよ」
執務室をノックするが、返事がない。
なんだ、また居ないのか。
昨日からどうした? 柊一さんは、どこか上の空で屋敷内をうろうろしているようだ。
せっかくの紅茶がもったいないな。
しかし瑠衣さんに勝手に飲んではいけないと言われているし、そもそもおれは紅茶より日本茶が好きだ。あぁこの家は洋風過ぎて、時々息が詰まる。
「柊一さん、どこですか、いないのですか」
廊下の扉を一つ一つノックしながら歩くが、返事はない。全く、この家には一体いくつ部屋があるのだか、広すぎる。
そういえば一階の奥まで歩くのは、初めてだな。
最後の扉をノックすると、中から柊一さんの声がした。
「桂人さん? あぁ……すみません! 僕はここにいます」
「開けますよ。何をしているんですか」
「しーっ」
「シーって?」
柊一さんは、窓辺で何か小さな物体を抱き抱えていた。
「それ、なんですか」
「子猫ですよ」
「へぇ、可愛いですね」
真っ白な子猫が、柊一さんの胸の中で丸まっていた。
「一昨日の夜、猫の鳴き声がしたんです」
「へ? あぁ、そうなんですね」
一昨日の夜といえば、テツさんがガラガラ声、つまりダミ声で鳴き真似した日だが。
まさか……あれを本物の猫だと信じたのか。
「で、昨日から探していたんです。実は……」
「だから昨日、執務室にいないことが多かったのですね」
「恥ずかしながら……屋敷内に迷い猫がいると思うと気が気でなくて、さっき、ようやく見つけました」
「野良猫……ですか」
「だと思いますよ。とても可愛いですよね」
野良猫にしては毛並みも整っていて、美しい猫だな。一体どこからやってきたのだか。
「そうだ、紅茶を持ってきたんですよ。お茶の時間だったので」
「お茶といえば……桂人さんにぴったりの和菓子を海里さんが買って来て下さったので、一緒に食べましょう。さぁこちらにどうぞ」
「はぁ」
柊一さんが、洋室の奥の扉を開けた。
そこは渡り廊下になっていて、その先に茅葺き屋根の小屋があった。
「あそこは茶室です。屋根が朽ちてしまっていたのですが、ようやく手入れた終わったので、桂人さんにお披露目出来ます」
「あ……」
懐かしい光景だった。
故郷の……ばばちゃと暮らした家を思いだした。
「桂人さん、今日は僕がお茶を入れますね」
呆然と立っていると、柊一さんに話し掛けられた。
「少し待っていて下さいね。中に入っていいですよ」
「あ、あぁ」
「あ……この子猫をいいですか。畳を傷つけないように抱いていて下さい」
「了解だ」
そっと中に入れば、懐かしい匂いがした。
優しい畳の温もりに、ばばちゃの膝枕を思い出す。
子猫の温もりが、涙を誘うよ。
畳にそっと頬を乗せてみた。
「ばばちゃ……」
目を閉じて想像した。
ばばちゃの温もりを……ばばちゃの声を……。
「あの……お待たせしました。まずはお干菓子から、どうぞ」
柊一さんが出してくれた和菓子を口に頬張れば、懐かしい故郷の味がした。これはまだばばちゃが生きていて……おれの家の中が明るかった頃、正月に作ってもらった菓子と似ている。
「これは……もろこしだ」
「箱に、秋田の諸越と書いてありました。小豆粉と砂糖を主原料にして作った干菓子のようですね」
「あぁ……そうだ。柊一さん、ありがとう……」
あとがき(不要な方はスルーです)
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今日6月16日は【和菓子の日】とフォロワーさんに先ほど教えていただいて、思いついた話です。いつもながら即興です^^
雪也の英国での話は『ランドマーク』https://estar.jp/novels/25672401で、不定期に書いていくことにしました。(今日導入部分を1話UPしてみました)
いつも書きたい話、読みたい話を書いているので、ランダムであちこち飛んでしまいます。その分、アナウンスはしっかりしていきたいです。分からないことがあったら、お気軽に聞いてくださいね。
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