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旅立ちと出会い 1
俺の名はテツ――
15歳で上京し、日本で有数のホテルを経営している森宮家で長年働いている庭師だ。
都心のど真ん中に千坪の敷地を構える大豪邸は迷路のように入り組んでおり、庭の手入れは、終わりを知らない重労働だった。
だから、ただひたすら……庭と共存するように過ごす人生を送ってきた。
これまでも、これからも――
人と深く情を交わすことのない、仙人のような人生を歩むと思っていた。
森宮家の人たちと庭師の俺が、個人的に話すことは許されていなかったが、そんな壁を物ともせず歩み寄ってくれたのが、森宮家の次男、海里さんだった。
もともと後妻の子供だった彼は、どこか森宮家に馴染み切れていなかった。
そして……驚いたことに、つい先日、一世一代の大恋愛の末、森宮家を出て、冬郷家という美しい白亜の御殿のような屋敷に移り住んでしまった。
海里さん、あなたは……どんな人と恋をしたのです?
その変わり様は、一体……。
謎は先日解明した。驚いたことに……海里さんが選んだ花嫁は女性ではなく、冬郷柊一という青年だった。
最初は腰を抜かすほど驚いたが、森宮家に引けを取らない冬郷家の若き当主・柊一は、清楚でひたむきな青年で、俺もすっかり気に入ってしまった。
森宮家の長男・雄一郎さんの命令で……彼の庭を在りし日の状態に戻すために、俺は庭の修復作業を手伝うことになった。『秘密の庭園』という特に荒廃した庭の改修作業は順調で、柊一が、つまり当主自ら熱心に手伝ってくれるので、助かっていた。
ここ最近、俺は週に2日を冬郷家で過ごし、あとは森宮家の庭の手入れに専念している。
それにしても、もう10月か……早いものだな。
まさに『天高く馬肥ゆる秋』の到来だ。
朝からサラリと爽やかな空気が広がり、空は青く澄み、高く見える。快適な気温と適度な湿度が、人としての食欲を増進させるようで、俺もどことなく日々、何かに飢えていた。
一体……何に飢えて……何を求めているのか。
「テツ、ちょっといいか」
庭先で水やりをしていると、出勤のために正面玄関に出てきた雄一郎さんに、声を掛けられた。彼は森宮家の跡取りであって、今の俺の実質的な雇い主なので無下には出来ない。
「雄一郎さん、なんでしょう?」
「あぁ、お前の弟子がようやく見つかったよ」
先月、庭師の師匠が高齢で引退し、俺も冬郷家の手伝いに入るようになったため、慢性的に人手不足で、弟子が欲しいと申し出ていたのだ。
「本当ですか。それは助かります」
「あぁ、なかなか住み込みの庭師になりたい人が見つからなくて手間取ったよ。まぁ……しっかり面倒をみてやれ」
「分かりました!」
「あぁ、それから今日到着するそうだ」
「えっ、急ですね」
「お前が昨日一昨日と冬郷家に行って、いなかったせいだ」
「……すみません」
「テツが手取り足取り教えてやれ」
「はい」
ついに、この俺にも弟子が出来るのか。
感慨深いな。
この屋敷に15歳でやって来てから、気が付けばもう20年も経っていた。
師匠との別れの日を思い出す。
『テツや、世話になったな。今日からはお前がこの庭を守れ』
『はい! お世話になったのは俺の方です。15歳の時から、息子同然に育ててもらいました』
『お前は覚えも早く、教え甲斐のある可愛い子だったな。まぁそんなお前もすっかりオヤジだがな』
オヤジ? ちょっと待って下さいよ。流石にそれはないしょうでしょう。
(俺は新婚ホヤホヤの海里さんと同い年のまだ35歳ですよ。オヤジと呼ばれるのは心外です)と言い返したかったが、師匠の顔を立て、ぐっと我慢した。
それにしても、どんな子供がやって来るのだろうか。
弟子というからには中学卒業したての若い少年か。きっと、かつての俺のように……いや、今時中卒はないか。高校を出たばかりだろうか。すると18歳位か。とにかく初々しく若い奴がやってくると思うと、ワクワクする。
願わくば……柊一のように健気で素直な子だといい。
勝手な空想を楽しみながら、弟子の到着をゆったりと待つことにした。
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