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旅立ちと出会い 4
「はぁ……参ったな。とにかく中に入れよ」
予想とは大幅に違ったが、それでも、こいつは俺の弟子なわけだ……。
師匠が去った今、俺がこの屋敷の庭師の頭で、こいつの師匠になる。
気を取り直して柵の向こうにいる桂人に話しかけると、また想定外のことを言われ、いよいよ仰天した。
「手を貸してください」
「はぁ? 何で俺が」
「……では荷物を持ってください」
ドサッとトランクを乱暴に渡されて、その重みに沈みそうになっていると、桂人が腰の高さの柵に手をかけ、ひらりと俺の方に向かって乗り越えてきた。
和装姿なのに身軽過ぎて、思わず目を擦ってしまった。
間近で見ると、蓮の花を思い出す端正な顔だ。
一気に距離が近くなり、俺の方が焦る!
「……じろじろ見ないで下さい」
な、なんだよ。この男はー‼
****
おかしい……この状況は変だ。
柊一のような可愛くあどけない弟子に、手取り足取り教えるはずだったのに。全部淡い夢となり消えたようだ。
「あなたの名を教えてください」
「あ? あぁ俺はテツだ」
「テツ? カタカナだけですか」
「鉄骨の『鉄』という意味さ」
「ふぅん……では、おれはテツさんと呼びます」
「じゃあ君の事は?」
「あぁ、桂人でいいです」
「君は庭師の経験があるのか」
「さぁどうだか。おれがやってきた事が庭師の仕事に値するのか分かりませんが……ただ……『社』の守り人として生きてきました」
ツンとした表情を崩さないまま、そっけなく喋るので、取り付く島もない。
「おい……社って?」
「あなたには関係のない話です。それより、今日から働く約束なので、身支度を整えたいのですが」
「あぁ、そうだったのか。じゃあ着替えるか」
「えぇ、おれの部屋はどこです?」
「案内するよ」
森宮家には使用人が多いので『使用人棟』というものが離れに存在する。
俺は隠居した師匠の部屋に引っ越し、15歳から長年使ってきた俺の部屋を、新しくやってくる弟子に譲る約束になっていた。
だがなぁ……
案内した途端、思いっきり眉をひそめられてしまった。
「えっ……ここですか」
「なんか文句あるのかよ」
「ありますよ」
「弟子には充分だと思うが……一体、何が不満なのだ?」
「……あなたの、匂いがしますね」
「は?」
まったく意味不明だ。とにかく、得体の知れない男がやってきた。
雄一郎さん、恨みますよ。どうして、こんな男が弟子なんですか。よく吟味して下さったのでは……これは俺への嫌がらせですか。
海里さん、参りましたよ。俺は人付き合いが苦手なのに、実に厄介な相手です。
「あの、着替えるので、早く出て行って下さい」
「はぁ?」
男のくせにピリピリして……何なんだ?
****
とうとうこの屋敷にやってきた。
長年の願いが、ついに叶ったというべきなのか。その興奮はひた隠し、冷静に振る舞ったつもりだ。
しかし、おれの師匠になる人は、ずいぶん純朴そうだな。きっと幼い頃から、植物だけを純粋に愛し、庭だけと対面してきた人なのだろう。おれとは真逆の脳天気な平和な人だ。
和服を脱ぎ捨て作務衣に着替えるために、下着姿になった。
するとテツさんの匂いが、素肌にいきなりまとわりついてきた。
参ったな。
邪魔だ……どけよ……っ
真っすぐな緑と土の匂いを敏感に感じ、ブルっと寒気がした。
不慣れな温もりは……おれには不要だ!
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