【最終話】霧は晴れて 8

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【最終話】霧は晴れて 8

 テツさんは目を丸くしたが、今度はテツさんがおれの後頭部に手を伸ばし、熱い口づけを返してくれた。  そうだ……テツさん。  あなたからも、求めてくれよ。おれをもっと、もっと――  まるでおれたちに生まれた恋を見せつけるように、おれたちの恋の始まりを告げるような深い口づけをした。 「……参ったな、完敗だ。どうか君たちは冬郷家で幸せになってくれ」  雄一郎は全てを悟った表情のまま背を向けて、肩を落として去って行った。    やっとこれで終わったのだと思うと、自然と彼に向って叫んでいた。 「雄一郎も……絶対に幸せになれよ!」    悪いが、これは優しさから生まれた言葉ではない。そうでないと困るからだ。お互いがそれぞれの場所で幸せなら、これ以上の干渉はないだろう。  それを願って! 「あぁ」  彼は振り向きもせず、片手をスッと上げただけだったが、背筋は伸び、その遥か前方には、春の薔薇のような鮮やかな色が見えた。 『あなた、気になって早く戻ってきたわ。昨夜は酷い嵐でしたね。おひとりで大丈夫でしたか』 『お父様、どうなさったの? ひどくお疲れみたい』  あれは……彼の妻と娘なのか。  雄一郎は、本来いるべき場所……戻りたい場所に、戻って行った。  その光景は、光に包まれていた。 『あら、なんだか森が急に明るくなったようだわ』 『昨日の雷雨で、庭の木が何本か薙ぎ倒されたようだ』 『大変だったのね。でも、あなたがご無事で本当によかったわ。早速、庭のお手入れをしましょう』 『あぁでも……庭師を……クビにしたばかりだ』 『まぁそうなの? よかったら私の実家の庭師にみてもらいましょうか』 『……それはいいね。ぜひ頼むよ』  その会話を聞いて、安堵した。  もう大丈夫だ、森宮家と冬郷家はしっかりと分離された。  それぞれが、それぞれの幸せを目指していく、家となった。 **** 「さぁ乗って下さい」 「瑠衣、いつの間に?」  森宮家の正面玄関に横付けされた大型車には、皆、驚いた。 「僕は執事ですから、たやすいことです。さぁ皆で帰りましょう……冬郷家に」 「そうだな、行こう」  海里さんが柊一さんをエスコートする。柊一さんは雪也くんと手を繋いでいた。そしてテツさんとおれも、早く乗るように促された。  瑠衣さんの運転で、助手席にはアーサーさんが嬉しそうに座った。 「瑠衣、君はやっぱり執事の職が似合うな。生き生きしている」 「アーサー……ありがとう。どうやら、そうみたいだ」 「じゃあその勢いで、桂人に執事の職務を伝授するといい」 「あ……じゃあ、もう少し滞在しても?」 「もちろんさ。桂人は『じゃじゃ馬』らしいから、頑張れよ!」  また言われた。おれって、そんなに『じゃじゃ馬』なのか。自然のまま、ありのままなんだが……。 「そんな言い方……で、君は何をするの?」 「俺はテツに弟子入りしてみようかと」 「えっ! アーサーには無理だろう?」 「そんなことない。英国で君のための薔薇を育てる。海里には負けていられないからな」 「またっ、すぐに君は海里と競うんだから」 「永遠のライバルさ!」  助手席の会話は甘ったるく、くすぐったくて、後部座席の皆で顔を突き合わせて笑った。  おれとテツさんも、顔を見合わせて笑った。 「俺は『じゃじゃ馬』な桂人が好きだから、安心しろ」 「テツさんなら、きっとそう言ってくれるかと……」  昨夜まで死闘していたのに……  今は拍子抜けするほど、平和な時間だ。 「あ……綺麗ですね」  雪也くんが指さした方向には、白い曼珠沙華が、たおやかに咲いていた。  f64708e7-e3e7-40ad-b22f-8339eb3989c8 「……母さん」 「白い人……」  瑠衣さんとおれの声が重なった。  故郷の『鎮守の森』に白い霧が舞い降りたら、きっとそれは天国に漸く辿り着いた、あの人からの知らせだろう。 a0af8d84-70d0-4276-89b2-230c0e065666    元気にやっているかしら。  天国からずっと見守っています。  私の息子、瑠衣。  私の甥っ子、桂人。  私の分も幸せになって欲しい人。                           ****  赤い曼珠沙華も、白い曼珠沙華も、それぞれに美しい花だったのだ。  また会う日を楽しみに……  おれたちは生きていく。  この世を、この生を――  おれは、もう自由だ。  足に絡まっていた見えない縄も解けた。  テツさんと手を取り合って、大地を踏みしめて生きていこう。 0264ac8c-5cad-45c5-8d4b-e3e212ccbc20                      『鎮守の森』 了
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