里帰り番外編 『楓』4

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里帰り番外編 『楓』4

「楓……楓……」  風にのって、記憶の中の声が聞こえた。 「にーたま? どこ……どこなの?」  いつもよりずっと近くに感じるのは、誰よりも好きだった美しい兄の声。 「楓、どこに行くんだ?」 「丘の上!」 「嫁入り前の娘が、よしとくれ。なんかあったら大変だ」 「それは言わないで!」     洗濯物を放り投げて、私は丘を駆け上がった。  あの日、兄が忽然と消えてしまった朝も、同じ事をした。  幼い私が眠る寸前まで、優しい顔で見つめてくれた兄が姿を消してしまうなんて……信じられなかった。  15歳で行方不明になった兄の足取りは、未だに掴めない。  ただ、兄が消えた日に、丘から見た花嫁行列は印象的だった。  白無垢の花嫁さんなのに、まるで葬送のような暗い雰囲気。どこか兄に似た美しい花嫁さんに元気を出してもらいたくて、足下に咲いていた黄色い秋桜を届けようとしたのに、途中で転んで、届けてあげられなかったのを悔いている。  あの花嫁さんは、あの後、幸せになったのだろうか。 「にーたま。楓も明日で16歳になるのよ。そして……明日……お嫁に行かないといけないの。この村はまだまだ貧しくて、時代から取り残されているわ。遠い町の……顔も知らない20も年上の男の後妻に行くなんて、まだ信じられない。まるで人事のようよ」  今の私になら分かる。あの花嫁さんの暗い顔の理由が。私もこの年齢になって……意に染まない結婚が、この世にある事を知った。 「嫌だ……行きたくない! 誰か助けて」  秋空に向かって、大声で叫んでしまった。 「あっ……」  その時また一つポロリと忘れていた過去を思い出した。  そうだ! 兄が消えた翌日、兄の声を聞いた。あれは確かに兄の声だった。今の私みたいに悲痛に叫んでいた。 『嫌だ! 行きたくない! 助けて』  慌てて飛び起きた時は、時既に遅し。どんなに探しても、兄の姿は見えなかった。ただ……兄の気配だけは、勝手口に感じた。    あの日から10年……未だに誰も教えてくれない。大切な家族のひとりが消えてしまったのに、真実を明かしてもらえない。  時折、両親の喧嘩が聞こえた。父は投げやりで、母は嘆いていた。 「運が悪かった。あの子だけ選ばれてしまったのには、理由があるのさ。何しろ白き血族の落とし子だから」 「それでも私が乳を与えて育てたんだ! ばばちゃだって、あんなに可愛がっていたのに……ごめんね。ごめんね」  父と母の喧嘩の内容は、小さな私には理解出来なかったし、今の私にも理解出来ない。  兄の行方を訊ねる度に、きつく言われ続けたのは『鎮守の森の社には絶対に近づくな、遠くから見るのも駄目だ。あそこには悪鬼が住んでいるから、目が潰れるぞ』 ただ……それだけだった。  今までは、怖くて近づけなかった。  でも今なら、もう怖くない。  社に行けば、兄の足取りが分かるかもしれない。  いつも遠回りしていた道を、思い切って真っ直ぐに進んでみた。  社は、昨年、嵐で破壊バラバラに壊れてしまったと聞いている。だからもう私が足を踏み入れても大丈夫だ。明日、この村から嫁に出される前に訪ねてみよう。  禁忌の場所へ。 「わぁ……」  10年ぶりに、ここに来た。すぐに朧気だった記憶がまた蘇った。  あの日……お腹が空いたと兄に駄々を捏ねて、社のお供えを食べてしまった苦い記憶と、背後から迫ってくるような恐怖。  もしかして……私、あの時……何かとんでもないことをしてしまったの?  あの後すぐだった。兄が行方知れずになったのは。  社はもうなくなっており、バラバラの木屑のみで見る影もない。  兄の行方が分からないのと同じで、がっかりした。  ここに来れば、何か手がかりが掴めるかと思ったのに……  なぎ倒された木が散乱しているが、こんなに酷い嵐なんてあった? まるでこの場所にだけ起きたみたい。  その中で一本の大木(たいぼく)だけが、デンと残っていた。 「いい幹だね、お前は……ここの守り神さまなの?」  思わず幹を、両手で抱きしめた。温かい……いい気が流れている。 「なんだか……登るのに良さそう」  嫁入り前の娘がすることではないのは分かっているが、登ってみたくなった。 「上に行けば、どんな景色が見えるのかな。もう見納めになるだろう。この村の全てを見ておこう」  かつて兄が木登りして、柿を取ってくれたのを思い出した。 「にーたま、どこ? 楓の大好きなにーたま! にーたまのところに行きたい。もうこの世に……いないの?」  そう口に出した途端、とんでもない寂寥感に襲われた。   あとがき(不要な方はスルーです) **** 番外編読んで下さってありがとうございます。 スター特典で書いたエピソードを、どんどん回収していきますね!
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