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里帰り番外編 『楓』7
ザザザッ――
視界が下へ下へと、落ちていく。
あ……っ、私、なんてことを!
幹に着物が引っかかり、飛ぼうと思った身体は浮くことはなく、そのまま落下してしまった。
「イヤァァ――っ‼」
闇雲に伸ばした手は、途中で、まるで手を差し出すように伸びていた枝を掴めた。
ぐらぐらと不安定に揺れる視界。身体を揺らす程、強く吹きつける風。
怖いっ!
足下を恐る恐る見下ろすと、地上が遙か彼方に見えて、目眩がした。
ここから手を離したら、確実に……死んでしまうわ!
そんなつもりではなかった。兄さんの所に行けるかもという興味が先走って、大変なことをしてしまった。どうしよう! どうしたら?
冷たい汗がだらだらと背中を伝い、血の気が引いていく。
枝を何とか掴んでいる手も、身体の重みを支えきれずブルブルと震えている。
も、もう駄目――
耐えられない、落ちてしまう!
「楓! おれに掴まれ!」
「え……!」
もう駄目だと手を緩めそうになった瞬間……突然、両手を掴まれグイッと上に引き上げられた。
「だ、誰なの?」
恐る恐るギュッと瞑っていた目を開けると、二人の人間の足下が見えた。
この人達が助けてくれたの? まさか……
ところが……顔を上げようとした瞬間、ぐらりと視界が揺らいだ。
楓と呼んでくれた人の顔を……見たいのに。
****
楓が落ちてくると思ったが、音のみだった。
慌てて樹を見上げると、楓が途中で引っかかり、枝に掴まっているのが分かった。
「あそこだ! 桂人、上がるぞ」
「テツさん!」
テツさんが幹に飛び乗るようにしがみつき、そのまま一気に登っていったので、おれもすぐに後を追った。
「もう少しだ。桂人も縄をつけろ」
庭師で高木にも登るテツさんらしい判断で、縄を腰にすごい早業で結び、救助に向かった。
おれのテツさんは凄い! とっさの判断が速い!
「楓、おれに掴まれ」
ギュッと目を瞑って枝を掴む楓は……白い襦袢姿だった。黄色着物が幹に引っかかったせいで落下速度が落ち、枝を掴めたのだ。
やはりこの木は……鎮守の森の守り神だ。楓の命を守ってくれたのだ。
腰に縄をつけ、安全を確認して、一気に楓を引き上げる。
おれたち二人の力を合わせれば、楓を救助できる。そう信じて……
****
「楓……しっかりしろ」
頬を叩くが目を覚まさない。あまりの恐怖に失神してしまったのだ。
二人がかりで楓を担いで地上に降りた。
幸い、楓の落下は誰にも気付かれていないようで、辺りには静まりかえっている状態だ。
「この子なんだな。桂人の妹は」
「あぁ、すっかり大きくなったが見間違うはずない。この子はおれの妹の楓だ」
「しかし……若い身空で、何故……あのようなことを」
「楓は、おれを待っていたんだ。ずっと探してくれて……だから……おれに会おうとして……おれには分かる。馬鹿だな。おれはちゃんと生きているのに」
気絶した楓を抱きしめていると、テツさんに水筒を渡された。
「飲ませてやれよ」
「どうやって?」
「口移しで構わん。兄妹だろ」
「だが……」
「俺がやろうか」
「いいっ! おれがする」
救命救助だ。だが……妹とは言え年頃の女の子の唇に触れるのは申し訳ない気がして躊躇していると、楓の睫毛が揺れた。
「あ……ここ……どこ?」
「楓! おれが分かるか」
「え……」
楓はおれを見て、目を見開きパチパチさせていた。
「うそ……に、にーたま? ケイトにーたまなの」
昔のように、そう呼んでもらえて……すぐに気付いてもらえたのが嬉しくて、涙が零れた。
「そうだよ。お前の兄……桂人だ……分かるか」
「やっぱり……生きていてくれたのね! 私……ずっとずっと信じていたの!」
「楓……」
「ケイトにーたまぁ……ううっ。怖かった」
楓の方から抱きついてきてくれた。
これは、おれの大切な妹の温もりだ。
15歳で失ったものが、ひとつ帰ってきた。
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