里帰り番外編『楓』 12

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里帰り番外編『楓』 12

 闇に紛れて脱出しようと思ったのに、不穏な気配がした。  おびただしい数の松明の灯りが……前方に見えたのだ。 「どこだー? 娘を探せ!」 「‼」  どうして……何故バレた?  町へ続く道が封鎖されていた。  慌てて道を外れ、茂みを分け入り……小さな岩の下に身を寄せた。 「にーたま、怖い」 「……楓、大丈夫だ」 「変だな。両親は天狗に攫われたと納得すると思ったのに、今俺たちを探しているのは、別の人達のようだ」 「テツさん。それっ、誰だ……?」 「あんなに人を使えるのは、この村でひとりしかいないな」 「あっ」  思い当たって……ギョッとした。アイツ……まさかアイツなのか。  思い出すのも忌ま忌ましい存在。    女でないと激怒して、おれを殺そうとした男。おれを10年間幽閉した男。そして、森宮家に行けと引導を渡しに来た時の卑猥な目つきが忘れられない。まるで女を見るような不穏な目つきだった。  アイツ……ま……まさか、おれを?  暗闇で楓と目が合うと、腑に落ちた。おれの服を着て、髪を一つに束ねた姿は、想像以上におれに似ていた。  野生の動物のように、研ぎ澄まされた目をしている。 「……アイツだ」 「誰だ?」 「村の地主……社の管理を森宮家より任されていた奴だ。言うこともやることも二転三転する信用ならない奴だ。何より……」  もう痛まないはずの足首がズキッと痛んだ。 「痛っ」  あの日、ザックリと切られた足の腱を手で擦ると、何かが纏わり付いているような感覚に、思わず悲鳴を上げてしまった。 「し、桂人、静かにしろ。居場所がバレる」 「う……テツさん……」    赤い縄だ。あの社で、両足に赤い縄をきつく結ばれ折檻されたのは、逃げ出したのが見つかり、社に連れ戻された時だ。体中を縛りあげられた。縄が食い込んでくる……! 「おい? 桂人しっかりしろ」 「テツさん……駄目だ。この土地はおれをまだ縛りあげてくる! はぁ……はぁ……」 「桂人‼」 「にーたま‼ どうしたの?」  見えない縄に絡め捕られていく。全身をグルグルに巻かれ、首も絞められる。息が出来なくなる……あの日のように。 「く、苦しいっ」  呼吸を求めて、必死に手を伸ばした。  誰も掴んでくれなかった……おれの手。  光は遠く、カビ臭い空気しか掴めなかった……哀れなおれの手だった。  幸せも自由も、どこにもなかった。欠片も微塵もなかった。 「桂人! しっかりしろ!」 「い……息がっ」 「にーたま! しっかりして」 「おれ……息が、ハァハァ……」 「いかん! これは過呼吸だ。心に抱えている不安や恐怖、緊張などのストレスが引き金で起こるんだ」 「テ……ツさん……」  テツさんがおれを荒々しく抱きしめる。いけない! 楓の前で―― 「しっかりしろ! 桂人! 落ち着け。お前はもう自由に息をしている。何もお前を縛るものはない!」  すっぽりと抱きしめられると、テツさんの心臓の音が聞こえた。あぁ……ここは暖かいな。安心できる。テツさんの匂いに包まれて、楓の前だというのに……唇を薄く開いて……求めてしまった。おれの身体の中に空気をくれよ。テツさんの温かい心の風を吹き入れて欲しい!   「桂人、しっかりしろ」 「あ……」    テツさんには伝わるんだ、ちゃんと、おれの心の声が。  顎を固定され、唇を開かれる。そこにテツさんが唇をギュッと押し当ててきた。 「ん……っ」  待ち望んでいた光、自由。  テツさんの息づかいが伝わり、涙が零れ落ちた。  大丈夫……おれは生きている、生きていく。  そうありたいと希望を持っている。  ****  目の前に光景に、どう反応していいのか分からなかった。  さっきから、分からないことばかりよ。  それにしても……テツさんという庭師が、過呼吸に陥った兄さまに人工呼吸をする様子が、あまりに濃密な雰囲気で、思わず目を瞑ってしまった。  空気を送っているだけなのに、何でこんなにドキドキするの?  こんな状況で……不謹慎かもしれない。  でも、にーたま、とても綺麗だわ。  先ほどから少しずつ明かされる……兄の過酷な人生に、胸が塞がる。  私は小さくて何の助けにもならなかった。  15歳の兄が……当時どんなに怖かったか。どんなに辛かったか……今、ここに兄が生きていてくれることが奇跡だったのだ。  あの日助けられなかった分、私が兄を救いたい。今度こそ!  私を匿っているのがバレたら、兄に咎めがあるだろう。まして兄はもう死んだことになっている……絶対に見つかってはいけない。見つかったら大変なことになる。  どうしたらいいの?   どうしたら、この美しい兄を守れるの?  教えて‼  もしも天狗様がいらっしゃるのなら、楓に知恵を――!  楓を差し上げますから、どうか。  楓という名前から、どうぞ奪って下さい!
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