岩の中の聖者

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 地の底から静かに泉が湧き上がるように。蔓草が伸びて花を咲かせるような緻密さで、エダンは声を伸ばす。ミサで歌う詩篇である。歌詞は全て頭に入っていた。修道院にくる前は、エダンは音楽学校に所属していた。そこでは楽譜と歌詞を一度見ただけで歌えるような訓練をしてきたのだ。四度の音から外れないように、その旋律にふさわしい音を出す。かつての学舎であった場所では、少女のごとく清涼だが、光り輝く音ではなく、霧のように辺りに霧散する音とかつて評された音。男ばかりの聖歌隊の中に入ると、当然のことながらエダンの声は浮いていた。  修道院での生活は、祈りと奉仕活動が大体だ。歌は神を賛辞するための重要な役割を果たしている。日々のミサの中では歌は欠かせない。1日のミサと礼拝の中で何度も歌うのだ。  この声を喜ぶ人間と、面白がる人間と、蔑む人間がいる。  歌いながら、エダンは礼拝堂の窓をみやった。窓の向こうには岩の中で像を掘り続ける男がいる。  日々の聖務と下働きの隙間に、エダンは食事と材料を届ける。岩の入り口に立つと、時折、咳と、ガリガリと硬いものを削る音が奥から響いた。前者は病によるもので、後者はみで石像を作っている音に違いなかった。老人が掘るための石は、全て院長が用意をした。手のひらに収まる石から、かごほどある大きさのものまでを、荷車を用いて岩の前まで運んだ。そこからはバルバロが、枯れた枝の腕で奥まで運んだ。  ミサにも聖務にも参加せず、ひたすら岩の中で石像を掘り続ける男に、周りの牧僧は確かに恐れを抱いているようだった。人相の悪い牧僧が、狂人、気狂いと、バルバロが言った通りの恐怖を口にする。その様子が少し滑稽に映った。皆、人に言えないような事情を抱えているのに、どうして岩の中にい続ける老人を恐れるのだろうかと。  バルバロとエダンは、食事や材料を届ける際に、少しずつ話をするようになった。菜園の中の野菜の話。今日の修道院長の説教の内容。好きな聖書の逸話。話を交わすうちに親しくなりつつも、バルバロの顔色はどんどん悪くなり、平常ではない咳の回数が増えていった。ある時エダンは、岩の中に入っても良いだろうかとバルバロに尋ねた。どのような石像があるのか気になったからだ。すると老人は静かに首を横に振った。まだ、誰にも見てほしくない、と。 「院長には、私が死ぬときに全ての石像を出してくれと言ってある」  その時まで、誰の目には触れてほしくはないのだとエダンは悟った。
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