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1. 台風のせいで上司と泊まることになりました
「セミダブルの部屋しかないみたいなんですが」
「構わない」
上司とそんなやり取りをしたのが数時間前。
天気予報で朝から「今日は夕方から猛烈な勢いの台風が迫り…」なんて言われていたのに、会社の無茶振りで営業先に行くことになった俺たちは、案の定帰る頃には吹き荒れる雨風に襲われることになったわけで。
とにかく、電車も止まってしまい、帰るに帰れない。仕方なく近場のホテルに寄ったものの、一部屋しか空いていない。しかも男二人でセミダブル。
いや、いいんだ、いいんだけど。
ここで問題が一つ発生した。それは……
「菅谷?」
「天利さん、あの、俺……っ!」
俺がその上司である天利さんを、好きだということだ。もちろん恋愛的な意味で。
そして現在、俺は天利さんを組み敷いている。押し倒された天利さんは状況が分かっていないのか、とろんとした目で不思議そうに俺を見ている。
こんなことになることくらい、俺は分かっていたはずなのに。
**
今の会社に入社して二年。天利 彰良さんは、俺の会社の上司だ。30歳。性格は穏和。人当たりがよくて周りから慕われている。仕事も有能で、指示も的確。部下が失敗した時のフォローも忘れない。取引先からの評判も上々だし、私生活も後ろ暗いところはない。現在、恋人なし。あ、両親は共に公務員。清廉潔白、仲睦まじい夫婦だという話だ。また、10歳ほど離れた弟がいるらしい。
これらは全て、周りから聞こえてくる評判で、何もせずとも集まってくる情報。
(ほんと、好みなんだよなぁ……)
俺は仕事をしながら、いつも天利さんを目で追っていた。最初は憧れ。いつか俺も天利さんのような"仕事のできる男"になりたいと思っていた。だから色々なことを吸収したくて、執拗にまとわりついた自覚はある。
そして気付いてしまった。
顔も性格も体型も、全部好きだ。
俺はどちらかというと男性に惹かれやすいと思っていたけど、ここまで好きになるなんて初めてで戸惑った。
ただ、天利さんがゲイだとは聞いていないし、仮にそうだったとしても、俺はまだ天利さんに釣り合うような男ではない。
「お前も早くシャワーを浴びた方がいい」
そんな天利さんとホテルで二人きり。
風呂上がりの上気した肌や濡れた髪は目に毒だ。天利さんは何ともない顔をしているけど、ドキドキと心臓が高鳴って仕方ない。
逃げるように浴室に行き、頭を冷やすために冷水をかぶりながら(平常心、平常心……)と念仏のように唱えた。
「今日は災難だったな」
「そ、そうですね」
浴室から出てくると、机の上には缶ビールが2つ。向かいのイスに座ると、「一応出しておいたが、飲むか?」と尋ねられた。
「あ、はい。飲ませていただきます!」
「無理はしなくていいが、まぁ、お前は酒に強いんだったな」
「そうですね、酔いにくい体質みたいで」
「……羨ましい」
「え」
羨ましい?俺が?
きょとん、としていると苦笑されてしまった。
「俺は酒に強くないんだ。仕事絡みで飲むこともあるのに、情けないよな」
何だそれ可愛い、と口に出しそうになり、慌てて缶ビールを飲む。緊張しすぎて味が分からない。
「そんなことないですよ。あっ、じゃあ、もし天利さんが酒で困ったら、俺がその場で飲みます!」
「ん?はは、頼もしいな。じゃあ今度から飲みの席にはお前を連れていくかな」
「よっ、喜んで!」
食いぎみで答えると笑われてしまった。あんまりガツガツ行くと引かれてしまうだろうか。
どう挽回しようと頭の中をぐるぐると悩ませていると、天利さんのスマホが音を鳴らした。どうやらメッセージが届いたらしい。天利さんはそれを確認すると、盛大なため息を吐いた。
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