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9. 居心地の良い場所
天利さんに許してもらえた俺は、言葉だけじゃなくて、行動にも示すことを決めた。
まずは仕事をいつも通り行うこと。
近づいても身体接触はしないこと。
困っている様子が見られたら助けること。
でも俺のことを意識してほしいから、積極的に話しかけたし、昼食や外回りも可能な限り(許可をとって)一緒に行くようにした。
**
―――そして迎えた会長の誕生日の当日。
俺は、大人数でわいわいと話している立食パーティーの会場にいた。いやほんと、人多いな。
「なぁ、海晴。お前、最近天利さんと仲いいよな」
「えっ、そう見えるか?」
壁際で人数に圧倒されていると、一緒にいる悠吾にそう指摘された。
「天利さん、海晴といると楽しそうに見えるし」
「ほんとか?!」
「ほんと、ほんと」
あの夜の直後はぎこちなかったけど、確かに、ここ最近はぐっと近づけたような気がしていた。
(最近、天利さんも昼食を待っててくれる気がする)
昼食や外回りに着いてこようとする俺を、天利さんは最初訝しげにしていたけど、徐々に慣れてくれたようだ。
とりあえず今は、普通に目を見ながら話してくれる。前みたいに笑いかけてくれることも増えた。
「まぁ、俺はお前が上司と上手くいくのは嬉しいよ」
「はは……悠吾には本当に世話になったもんな。あの頃はありがとな」
悠吾は俺にとって大恩人だ。
真っ黒な会社から救ってくれたこともそうだし、尊敬できる上司……天利さんにも引き合わせてくれた。
もし悠吾が困ってたら力になりたいけど、天利さん程ではないにせよ、悠吾も物事をソツなくこなすタイプなんだよな。俺が手伝えることは今のところない。
「お、噂をすれば。ほら、見ろよ。天利さん、色んな人に囲まれてる」
「すごいなぁ……」
周りを数人に囲まれ、天利さんは穏やかに笑いながら会話をしていた。でも、何だか疲れてるようにも見える。そういえば、このパーティーの準備も遅くまでやっていたらしいし……。
「ちょっと行ってくる」
「ん?ああ、分かった。俺も何か食いもんとってくる」
俺は緊張しながらも、意を決して天利さんの元へと歩いていった。
「あ、あの、お話中、すいません」
ちょっと上ずった声を出してしまった。
恥ずかしい。
「……菅谷?どうした」
「あの、ええと、部長が呼んでました」
「そうか。……申し訳ありませんが、行ってまいります。お話はまた後ほど」
天利さんは話していた人たちにやんわりと謝罪をして、俺のあとを着いてきてくれた。
開け放たれていた会場の扉をくぐり、人の少ないロビーに出る。
「菅谷、部長は?」
「す、すいません。本当は呼ばれていません」
「……?どういうことだ」
「勘違いだったらすいません。でも、何だか天利さん疲れてるように見えて。少し休憩してほしいなー…と」
嘘をついた手前、言葉尻が弱くなる。
ただ、休憩してほしい気持ちは本当だ。
天利さんは目をパチパチさせたあと、可笑しそうに笑った。くっ、可愛いな……。
「お前は相変わらず、いい奴だ」
「そ、そんなことないですよ」
「じゃあお言葉に甘えて、少し休憩するか」
天利さんは近くにあったソファーに腰掛けた。
そして隣をポンポン、と叩き、「お前も休め」と言ってくれた。
「失礼します……」
「どうぞ」
隣同士で座り、しばらく沈黙が続いた。
でも不思議と嫌な感じはしなくて、心地よい静けさだった。
「今日、結構大きなイベントなんですね」
「そうだな。会長は今年、古希らしい」
「ええと、つまり、70歳ですか?」
「そう。だから、同じグループ傘下の、他社の社員も居ただろう?」
なるほど。
知らない顔が多いのはそういうことか。
「こんな大きいところでパーティーができるなんて、すごいですね…」
「以前勤めていたところでは、こういう催し物はなかったのか?」
「俺がいたところ、ほんと悲惨だったんで」
苦笑しながら、ポツポツと今までのことを話す。
なかなか帰れなかったこととか、上司からパワハラを受けていたこととか、心身ともに痛めつけられていたこととか……
「だから、今この職場で働けるのが、嬉しいです」
「そうか」
「天利さんが上司で良かったなぁって、思ってます」
「光栄だ。俺もお前みたいに熱心な部下を持てて嬉しいよ」
その言葉を最後に、また沈黙。
今度は何だかむず痒い空気だ。
このままだと、また余計なことを言ってしまいそうだ。それでこの関係が崩れるのも嫌だ。
「な、何か飲み物を持ってきます!」
「ん?別になくても」
「ここで待っててくださいね!」
後ろを振り向かず、俺は急ぎ足でまた会場に戻った。なぜか火照っている頬の熱を冷ますように、手近なテーブルにあったグラスを掴み、ぐいっと呷る。
(平常心……!)
いくら好きでも暴走するのは良くない。
また嫌われるようなことをしたくない。
深呼吸を何度かして、グラスを2つ持ち、来た道を引き返す。待たせすぎても申し訳ない。
先程まで座っていたソファーの近くまで来て、声をかけようと口を開く。
「天利さ、」
「……なぁ、彰良。お前、まだ俺のこと好きだろ」
そして聞こえてきた単語にピシッと体が固まった。
え? 何? 誰が誰を、好きだって?
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