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10. 謎の人物
思わず柱の陰に隠れてしまう。
観葉植物越しに、そっと向こう側を見る。
天利さんの表情は、うーん、見えない。
天利さんに言い寄っている男性は、見たことのない顔だった。つまり、別会社の人なんだろう。
ブランド物で身を包み、しかもそれが似合ってる。
背も高いし、シュッとした顔立ちのイケメン……悔しいけど、カッコいい。
「寝言というものは、寝ながら言うものだ」
「はは、何だよ、昔はもっと可愛げがあったのに」
「……離れてほしいんだが」
「俺の会社は、お前の取引先のひとつだ。俺のこと拒否できると思ってんのか」
「あんたの会社じゃないだろ」
「もうすぐ俺のものさ」
天利さんがタメ口で話してる。
珍しい光景だけど、二人の距離があまりにも近くて胸がざわつく。
本当は、きっとここで立ち去るのが一番いいのだろう。込み入った話をしていそうだし。
でも、割って入りたい気持ちが強かった。
「あ、あの!」
「……!菅谷」
声をかけると、天利さんがハッとしたような顔をして俺を見た。そして、かなり狼狽え、気まずそうに目線を伏せた。
その瞬間、ふと最悪の予想が頭をよぎった。
(まさか天利さんの好きな人って…この人なんじゃ)
距離が近いってことは仲が良いってことだろうし(天利さんも振り払おうとしない)、「好きな人がいる」ことを知っている俺と目を合わせてくれない。
つまり、この人が想い人でもおかしくはない。
「君は、誰?」
天利さんの想い人(仮)は、俺を見て目を眇めた。
口元は笑ってるけど目は笑ってない。
「天利さんの部下です」
「へぇ、部下。今ちょっと取り込み中だから、向こうに行ってくれないか?」
顔に「お前は邪魔だ」と書いてある。
でもここで引き下がるようなら、声なんてかけてない。
「仕事の話なら、俺も後学のために聞かせてほしいんですが」
「プライベートなことだ。君は必要ない」
「……っ」
圧が。圧がすごい。
後退りして逃げたくなる。
でも、何とか踏みとどまって、口をきゅっと引き結ぶ。すると、天利さんが俺の腕をとった。
「菅谷、気にするな。会場に戻ろう」
「何だよ彰良。せっかく会ったのに」
「このパーティーは仕事の一環だ。プライベートなことを持ち出してくる奴とは話さない。それだけだ」
天利さんがピシャリと言い放つ。カッコいい。
もしかして、想い人っていうのは杞憂なのかも。
「つれないな」
想い人(仮)は、天利さんの肩に気安く手を置いた。
腹立つ。軽々しく触らないでもらえますかね!
俺の心の中は大荒れだ。
天利さんがされるがままになっているのは、相手が取引先の人だからなのかな。
それとも、そういう気安い関係だから、なのかな。
「まぁいいや。あとで連絡する」
「しなくていい」
「連絡先変わったから。はい、これ」
天利さんの胸ポケットに紙切れを無理矢理差し込み、謎の人物はニッコリと微笑んだ。
天利さんは突き返すこともせず、じっと相手を見つめている。
……胸が、苦しい。
「じゃあな」
困惑する俺を尻目に、謎の人物はひらりと手を振ると去っていった。
「天利さん、あの人」
「気にしなくていい。昔からあんな感じだ。人の話をろくに聞かない」
「そう、なんですね」
「……高校の時の先輩」
「え」
「それだけだ。わりと誰に対してもああいう感じで……横柄というか、癪に障る言い方をするというか。ごめんな、嫌な気持ちにさせた」
相変わらず天利さんの表情は読み取れない。
一体何を思いながら話しているんだろう。
……どうして、俺の方を向いてくれないんだろう。
「俺は、その、大丈夫ですよ。気にしていません」
「それならいいが」
ダメだ、天利さんの顔を見ることができない。
付き合っているわけでもないのに、問い詰めたくなってしまう。
持っているグラスがやけに冷たく感じられる。
「あ、そ、そうだ。これ持ってきたんですが」
「ん、ありがとう」
天利さんがやっとこちらを向いてくれた。
でも目線は交わらない。
「まだ少し休みますか?」
「いや、会場に戻るよ。お前も色々な人と顔をつないでおくといい。人脈は大切だぞ」
天利さんはグラスを受け取ると、俺に背を向けて歩き始めた。俺はそれを、ただ見つめるだけしかできない。
(俺に、後ろめたいことでもあるんですか?)
この時、そう聞けたら何か変わっただろうか。
いや、また暴走して傷つけるだけだったかな。
結局、パーティーが終わってからも話す機会はなく、その日は終わってしまった。
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