12. 弟くんとその先輩

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12. 弟くんとその先輩

自己紹介をするかどうか悩んでいると、弟くんが「俺の兄貴の部下の人です!」と簡単に説明してくれた。 「……部下?それで、その人を連れてきた理由は?」 「今日の話、この人も居たほうがいいかなと思って!」 今日の話? 首を傾げていると、弟くんが俺の背をぎゅうぎゅうと押して席に座らせた。 「あ、この人は河瀬先輩。俺の憧れ!」 「やめろ。俺に憧れる要素なんて無いだろ」 紹介をされた河瀬くんは、煩わしそうに眉根を寄せた。不機嫌そうな様子に、俺は絶対来るべきじゃなかったと悟る。 「だって先輩、カッコいいじゃないですか!喧嘩強いし、俺の話ちゃんと聞いてくれるし」 「聞いてやるとか言わなきゃよかったな」 「あ、あのー……やっぱり俺、帰った方が」 恐る恐る申し出てみる。 でも俺の隣に座った弟くんは許可してくれなかった。どいてくれないし。 「兄貴のことで聞きたいことあんの。まだ帰らないでよ」 「え。天利さんのこと?」 途端に話を聞きたくなった。天利さん関連のことなら、もしかしたら力になれるかもしれないし。いやむしろ、力になりたいし。 なんだかソワソワしてきた。 ウェイターの人が持ってきてくれた水を受け取り、とりあえず自分を落ち着かせるために口をつける。 「兄貴、ヤリモクの奴に振り回されてるらしいんだ!」 弟くんの言葉に、ごふっと水を吹き出しそうになり、慌てて飲み込む。 「ヤ、ヤリ…っ?!え?!」 「お前な……公共の場でなんつー話を」 「河瀬先輩にもアドバイスをもらいたくて」 「絶対、俺より適任な奴が他にいただろ。そもそも、何でそう思ったんだよ」 「さっき、具合悪いっつー兄貴の家に見舞いに行ったんですけど、たまたまスマホ見ちゃって。それで画面にメッセージが来てたんです。『そいつは体目的だからやめとけ』って。たぶん兄貴の友だちから」 弟くんの衝撃発言にフリーズしてしまっていたけど、つまり、天利さんが体目当ての人に言い寄られてるってこと? 「そ、そんな話、聞いたことないけどな」 「そうなんだ。会社の奴じゃないのかな」 天利さんはそういうの嫌いだろうから断ると思うし、確かにモテてるものの、うちの会社で天利さんにそんな失礼なこと言う人…… ふと、昨日の光景がフラッシュバックした。 (……まさか、昨日の人か…?!) 天利さんに言い寄っていた謎の男。 あいつがもしかして天利さんと体の関係を求めてて、でも天利さんはあの人のことが(たぶん)好きで、それであんな気まずそうで……見ようによっては辛そうな表情をしてたんじゃ。 ぐるぐる悩んでいた俺は、スマホの軽快な音で現実に引き戻された。目の前で黙って話を聞いていた河瀬くんが、自分の物であろうスマホの画面を見る。 「……げ」 そして、嬉しそうにも見えるし、面倒そうにも見える複雑な表情をしながら、河瀨くんは立ち上がった。 「悪い。少しだけ席外す」 「あ、電話ですか?」 「ああ」 河瀨くんは歩きながらスマホのボタンをタップし、「…何だよ、まだ帰れねぇ。……あ?迎え?いらねえっつーの。大体、お前……」と、何やら話しながら外に出ていった。 「……なぁなぁ、菅谷さん。仕事中の兄貴ってどんな感じ?」 「そうだなぁ、何でも"完璧"にできる人だよ。手際がいいし、教えるのも上手い。尊敬してるよ」 「ふーん」 「家ではどんな感じなのかな」 「今は兄貴は一人暮らししてるけど……昔っから大して変わんないな。あ、俺に対しては超過保護」 「あはは、君を大切にしてるのは知ってるよ」 「うわ、兄貴の奴!職場でも俺のこと言ってんの?」 「え。ああ、いや、俺が君のことを聞いたのは偶然で……別に他の人は、過保護とまでは思ってないと思うよ」 職場でも、天利さんの兄弟仲が良いことは知られている。それに、弟くんの話をしているときの天利さんは、とても優しい顔をしてる。 「ったく、兄貴さ、俺のことまだ小学生かなんかだと思ってるんだよな」 「はは、そうなんだね」 拗ねるように口を尖らせる様子は、確かに幼く感じられて可愛いかもしれない。 しばらく二人で天利さんのことを話していると、河瀬くんが戻ってきた。 「悪い。…なぁ、電車止まってるらしいけど」 「え! マジっすか」 「お前帰れんの?」 「歩くのダリィっすね…ま、いいや。兄貴の家の方が近いんで、そっち行きます」 え、何それ羨ましい。 なんて言葉が出かかるけど、ぐっと飲み込む。 天利さんの家ってここから近いんだ。 「あ、菅谷さんどうする?」 「俺は、まぁ、どうとでもなるから大丈夫だよ。タクシーとか使ってもいいし」 「あ、そうだ。じゃあさ、俺と一緒に兄貴の家に行こ」 「分かっ…、……え?!な、なぜそんなことに?!」 「まだ全然話してないだろ。あ、何か飯食ってからにしようよ」 弟くんが、メニューを開く。 そういえばまだ何も注文してなかった。 ……じゃなくて!! 「俺が押しかけるわけには」 「兄貴さ、具合悪くても無理すんだよ。誰かいたほうがいいんだ。俺、明日は午前中に用事入れてるから、菅谷さんよろしく」 「いやいやいや」 「何か用事あんの?」 「な、ないですが」 「じゃあ、決まり!」 ニコニコしながら言われ、押し負けてしまった。 いや、嬉しいけど。天利さんの家に行けるのは、とてもとても嬉しいけど…! 「お前って強引だよな……」 「えっ、そうですか?っていうか、河瀬先輩も何か食べます?」 「いや、いい。一緒に住んでる奴が迎えに来るって言ってきかねぇから、あと少ししたら出る」 「そうなんですね。いいなぁ、俺も先輩と暮らしたい」 「……頼むから、あいつの前で言わないでくれよ」 河瀬くんが頭を抱えた。 会ったばかりだけど、何だか苦労しそうな子だなぁと漠然と思った。 目の前のメニューを見る。 とりあえず、腹を満たしておこうかな。
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