16. 隣に相応しいのは

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16. 隣に相応しいのは

とはいえ、恋人を演じる機会なんて滅多に訪れない。この間のようなパーティーならまだしも、普通に勤めていて会うことなんてない。 天利さんの自宅前で待ち伏せしている可能性は大いにあるから、そこは注意しないと。送り迎えしようかな。 「菅谷、少しいいか」 ウンウン唸っていると、部長が俺を手招きで呼び寄せた。 危ない危ない。仕事に私情を持ち込むのは良くない。 「お前はこの企画の担当だったな」 「あ、はい」 企画書を見せられ頷くと、部長は髭をなでつけながら俺を見た。ややご機嫌だ。 「今度、グループ傘下の会社と広告のタイアップをすることになってな」 「そうなんですね」 「先方はお前をご指名だ」 「……え。何でまた」 「そこの専務は面識があると言っていたぞ。天利と接待に行っただろう」 「……、…ああ!」 あの時の酒豪な専務! なるほど、あの時に「お前の顔を売っておきたい」と天利さんが言っていたのは、もしかしたらこれが狙いだったのかもしれない。さすがだ。 …と同時に、天利さんにした仕打ちを思い出してしまい、何とも言えない気持ちになった。 「というわけで、早速打ち合わせに行ってくれ」 「了解しました!」 これで企画を成功させたら、天利さんにも認めてもらえるかもしれない。頑張ろう。 俺は、意気揚々と打ち合わせ場所に向かった。 ** 「やぁ、こんにちは、恋人くん」 「ひぇっ?!」 ……頑張ろうと思った矢先にこれだ。 打ち合わせ場所の小さな喫茶店に現れたのは、昨日見た顔だった。 「あ、秋野さん」 「嬉しいな。名前を覚えてくれたのか」 全然嬉しそうじゃない……! こんなにも言葉と表情が真逆な人は見たことがない。 「何でここに」 「俺が今回のタイアップの担当だからね。はは、これから色々と打ち合わせをしないといけないんだから、仲良くしようか」 「仲良く出来る気がしません」 「仕事に私情を持ち込むのは良くないな」 冷たい目線を送ってきておいて何を言ってるんだこの男は。いや、でも……確かに、私情で企画をダメにするわけにはいかないか。 飲み物を注文し、企画書を広げる。 「では、まずはこれに目を通してください」 「君さ、彰良と付き合ってないだろ」 「私情を持ち込むのは良くないって、今自分で言いましたよね?!」 「雑談だよ、雑談」 なんて重い話題を雑談に出してくるんだ。 しかもそれが的を得ている。 ……いや、違う、これはカマをかけられてるだけだ。 落ち着け。 「……付き合ってますよ」 「本当に? それにしてはお互い名字で呼び合ってるし、心の距離が遠かった気がするんだけど」 「付き合ったばかりなんです」 「容姿だって、彰良のタイプじゃないし」 グサグサと言葉で刺してくる。 フラレているだけに、クリティカルヒットって感じ。 「付き合えてるんだから、その認識が間違ってたんですよ」 「いいや? あいつはどちらかというと自分と似た系統の顔が好きだよ。俺みたいな」 腹立つ。 でも、付き合ってたってことは、確かにこういう顔が好きなのかも。 「彰良に頼まれたんだろう。恋人のフリをしてくれって」 「頼まれてません。俺と付き合ってるんだから、あなたの入り込む隙はありませんからね」 「へぇ。もう彰良と寝た?」 「……何であなたにそんなプライベートなことまで言わないといけないんですか」 机の上に置いていた手をぐっと握る。 我慢しろ。殴りでもしたら、この企画が飛ぶ。それどころか先に手を出したら、俺が訴えられる。天利さんにも会社にも迷惑がかかる。 「あいつさ、付き合ってた頃は今より華奢だったんだよ。慣れてない感じが逆にそそられたけど、いつまで経っても上手くならなくて」 「デリカシーって言葉、知ってますか」 「なぁ、どうせ君とは上手くいくわけないんだからさ、俺に返してよ」 「嫌です。天利さんは物じゃないんですよ」 「彰良は俺みたいな奴に振り回されるのは結構好きだよ。あんなに雑に扱ってたのに、結局別れを切り出してこなかったんだからさ」 高校時代の天利さんを、俺は知らない。 だからどうしてこんな人と付き合ってたのかなんて、分からない。 この人の言う通り、もしかしたら振り回されるのが好きなのかもしれない。 以前、河瀬くんが言っていた言葉を思い出す。 互いが承知の上だったらいいんじゃないのか。 外野が口を出すべきでは、ないんじゃないのか。 「……。」 「ま、考えておいてよ」 秋野さんが企画書に目線を落とす。 そこからは普通に仕事の話。 企画の内容を詰めながら、心は鈍い痛みを訴えていた。天利さんの恋人を演じるだなんて豪語しておきながら、この人の言葉だけでこんなにも決意が揺らぐ。 (天利さんに幸せになってもらいたい) 俺が思っているのは、それだけだ。 そしてそこに俺がいたらいいなと思ってた。 だから、がむしゃらに突き進んできた。 でも天利さんの隣に相応しいのは、俺じゃないのかもしれない。 だって、邪魔したい。この人に渡したくない。 天利さんを独占したい。 こんな気持ち、天利さんは困るだけなのに。
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