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「あの、どうかしましたか?」
「……いや、弟が」
「弟?」
「かなり大きな台風だから……心配で、連絡をとろうとしたんだ。でも、電話をかけても繋がらなくてな。メッセージを送ったが既読もつかないし、どうしたものかと思っていた」
「あ、じゃあ返事が来たんですね」
「……。ウザいと」
「え」
「『兄貴は過保護すぎてウザい』と書いてある」
「う、うわ、それはまた」
「普段はそんなことを言わない子なんだ。ただ、今は喧嘩をしていて、その、機嫌が悪いみたいで」
兄弟仲は良いと聞いていたけど。ああまぁ、でも喧嘩くらいはするか。不謹慎だけど、しょんぼりする天利さんも可愛らしい。
「……俺は、あいつに嫌われたら生きていけない」
「そんなにですか……って、え?!」
見ると、天利さんはポタポタと涙をこぼしていた。
そもそも、と前置きをしながら、天利さんがガンッと缶ビールを机に勢いよく置く。
「今日こそは弟と仲直りをしようと思っていたんだ。手土産も用意していた。台風も近付いていたから、会社も早めの退勤を促していただろう? それなのに、仕事の振り方も分からない無能な重役は、外回りに行けと言ってきた。馬鹿なのか?しかも今回は奴らの尻拭いだぞ。無理難題押し付けるくせに納期を早めようとする取引先も俺にとっては目障りでしかない」
「めざ、」
「どうして俺がこんな目に遭わないといけない。理不尽だ。理解に苦しむ。これで弟に絶縁宣言なんてされたらどう責任をとってくれる」
怒濤のような言葉の数々に頭の処理が追い付かない。あ、あれ? いつもの穏和で優しくて、人当たりが良い"完璧"な天利さんはどこにいった。
「俺は基本的には、やれば出来るんだ」
「…ん?」
「もちろん努力もしているが、それでも、大抵のことは出来る。出来てしまう。元の能力も高いんだろう。適当にやってもそれなりの結果が残せる」
「そ、そうだったんですね」
「だからなのか、弟に『兄貴には出来ない奴の気持ちなんて分かんねーだろ!』と言われてしまって」
「あ、あー、なるほど」
「じゃあどうしろって言うんだ?俺は"出来ない"という感覚が分からないから、どうしようもないんだ」
静かに涙をこぼしながら、天利さんが項垂れる。この人たぶん嫌味でもなんでもなく、本当にそうなんだろうな。
(…これは、また…)
完璧な人だと思ってたのに、とんでもないブラコンだし、弟に嫌われたらどうしようって泣くし、言葉の端々から結構色々と鬱憤を溜め込んでたり、実は腹の中で上役に悪口雑言吐いてるし。
そんな天利さんを俺は、
(…っ、…やばい、超好き…!)
やっぱりどうしようもなく好きだと感じた。
いや、ダメなんだよ、俺。こういうギャップとか、弱いところがある人とか、どストライク。ダメな部分があればあるほど支えたいとか思ってしまうタイプなんだよなぁ……!
「……ああ、すまない、菅谷。お前に言っても仕方ないよな。酔いが回ってしまっているようだ。忘れてくれ。そろそろ寝るか」
天利さんは、涙を拭って立ち上がり、ベッドに足を向けた。そして俺は続けて立ち上がり、天利さんの腕を掴んだ。
「あ、あの!」
そしてその勢いのまま、ベッドに押し倒す。
弱ったところにつけこもうとしてる?
それがどうした。
こんなチャンスは、もしかしたらもう二度と巡ってこないかもしれない。
「菅谷?」
「天利さん、あの、俺……っ!」
状況が分かっていない天利さんは、とろんとした目で見上げている。ああもう、可愛いな。
抵抗しないその腕をぐっと握り、強引に口づけた。柔らかいその感触にくらくらしてくる。何度か角度を変えてその唇を堪能したものの、あまりに無抵抗で逆に困惑する。
「何で抵抗しないんですか?もしかして、こういうことに慣れてます?」
「……。」
「無言って、肯定してるようなもんですけど」
「……。」
直視できなくて目線を外してしまう。
やばい、情けない。泣きそう。天利さんはモテるし、こんなこと日常茶飯事なのかもしれない。
「天利さんが慣れてても、それでも俺は」
「……。」
「……あの、天利さん?」
「…、……。」
反応が薄い、というより無いのが不安になってきて、顔を上げる。天利さんは瞼を閉じていた。
「……。」
「……。」
あ、これ寝てる。
すよすよと気持ちのよい寝息も聞こえる。
「ええっ?!嘘だろ?!酒に弱いっていっても限度が!限度があるって……!」
揺り動かしても起きない。マジですか。
「う、うぅ…」
つけこもうとした罰が下ったんだろうか。
一気に罪悪感に苛まれる。
「頭、冷やそ……」
そして俺は肩を落としながら、もう一度浴室へ向かった。
**
翌朝。外は清々しいほど綺麗な青空が広がっていた。まるで俺の邪な心を浄化するかのようだ。
「昨夜はすまなかった」
「え」
ぼんやりと空を眺めていると、後ろから申し訳なさそうな声で話しかけられた。
「上役や取引先、弟のこと……すまないが、聞かなかったことにしてほしい」
「あ、はは……。はい、もちろんです」
あ、そっちね。
そこらへんは別に好感度上がっただけなんだけど、そうだよな、普段見せない顔を見られちゃったわけだし。
「だ、大丈夫ですよ!俺で良かったらいつでも話聞きますし!」
「そうか。ありがとう」
「あ、あの、そのあとのことなんですけど」
「……そのあと?」
「あ、いや!何でもないです!大したことじゃないんで、気にしないでください!」
ぶんぶんと手を振ると、天利さんは不思議そうな顔をしたあと、こくりと頷いた。可愛い。
この感じだと、天利さんは覚えてない。その事実は少しだけ悲しいものの、安心もした。今まで通りの関係でいられるってことだし。
「じゃ、じゃあ帰りましょうか。電車、もう動いてるみたいですよ」
「そうだな」
居たたまれない気持ちになり、自然と歩くスピードが早くなる。このまま一緒にいたら、余計なことを口走ってしまいそうだ。
だから、
「大したことじゃない、か……」
天利さんが口元を押さえながら、ぽつりと寂しそうに呟く姿に気付く余裕は、なかった。
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